【11】恐怖の追憶


 二〇一〇年七月十四日の早朝。

「うぉえええ……」

 十人乗りのクルーザーの甲板で、リュックを背負い地味なパーカーにジーンズ、ショートヘアの女が手すりに両手をついて、波間に吐瀉物としゃぶつを撒き散らしていた。

 彼女の名前は岡田世花おかだよはな。その彼女の背中を困り顔で擦るのは……。

「もう……。酔い止め、ちゃんと飲んできたの?」

 九尾天全であった。

 九尾天全こと岡田恵麻おかだえまと岡田世花は一卵性双生児の姉妹であるが、ダークブロンドの髪以外は、外見から性格までまったく似ていない。

 勝ち気で明るい恵麻と、気弱で陰気な世花。

 大抵、双子である事を明かすと驚かれるレベルである。

 そんな彼女たちが一昨年前に病死した父親のあとを継いで霊能者として身を立てる事に決めたのは、この年の春先だった。

 当初、世花は、こういった世界に関わるつもりはまったくなかった。

 自分には向いていないと、率直にそう思っていた。霊能者というのは、彼女が苦手とする対人スキルを高いレベルで必要とするからである。

 関係者から情報を引き出し怪異の原因を探らなくてはならない。また迷える霊と対話しなくてはならない時もある。霊だって元は人間なのだ。

 自分のようなコミュ障には荷が重い……幼い頃から霊能者の父親の姿を間近で見てきた世花にとって、その事はよく解っていた。

 しかし、そんな世花を説得し、この世界へと引きずり込んだのが恵麻だった。

 恵麻は言った。

 

 『二人で足りないところを補えば、万事上手く行く』


 小さい頃から何をやるにも恵麻の後ろをくっついて歩いてきた世花は結局折れて、二人三脚で霊能者としての道を歩く事にした。

 その二人の初めての仕事が、このテレビ番組のロケであった。

「……どうせ、昨日、緊張してろくに寝れてないんでしょ?」

 恵麻は口元をハンカチでぬぐう世花に、ミネラルウォーターのペットボトルを差し出す。

 世花はキャップを捻りながら「ごめん」と小さく呟いた。

 すると、水平線と白みがかった空の間に黒々とした島の影が見えてくる。

 世花はペットボトルに口をつけ、ごきゅり……ごきゅり……と喉を鳴らし、水を嚥下えんげした後で呟く。


「……あれが、夜鳥島」


 世花には、それが水中から顔の半分を覗かせた巨大な怪物のように思えた。思わず背筋を震わせ、不安げな眼差しで恵麻の横顔に視線を移す。

 対する恵麻は凛々しい表情で、潮風になびくダークブロンドの髪をかきあげる。

 その胸元には、ドイツ人の母からもらった煙水晶スモーキークオーツの魔除けが鈍く輝いていた。

「そんな顔しないで。恐怖心は悪霊の糧となるわ」

「でも……」

「それにわたしは、箜芒甕子の霊だなんて、半分は眉唾だと思っている」

 世花はうつ向く。

 確かに、にわかには信じがたい。

 伝え聞く話では、箜芒甕子にはあらゆる祓魔ふつまの術が通用しなかったと言われている。

 神道、仏教、密教、道教、カトリックの悪魔祓い……。

 そして、あの川村千鶴でも祓う事はできなかったのだという。

「きっと、その川村千鶴は偽物だったんじゃないかしら? 彼女の死体は、顔面が焼け焦げていたらしいし」

 川村千鶴といえば、数々の奇跡を起こした最強の霊能者として、九尾たちの業界ではよく知られた名前だった。

 一応は夜鳥島の一件で死んだという事にはなっているが、九尾の言うように死んだのは彼女の偽物であったとする説も根強い。

「あなたに足りないのは自信よ。世花」

 九尾はそう言って世花の両手を優しく握り締める。

 

 こうして、クルーザーの運転手とロケ隊の計八名は夜鳥島へと到着したのだった。




 夜鳥島は、一九四九年に起こった事件から間もなく住民が途絶えて、無人島となった。

 未だに当時の建物や設備が残っており、廃墟マニアの間では有名なスポットとなっている。

 例の事件については、警察の公式記録では、集団ヒステリーという事になっていた。一般的にもそう認知されている。

 しかし、すべての元凶である“絶対に除霊できない悪霊”の存在は、オカルトマニアや九尾たちの業界では真偽不明の怪談として広く知れ渡っていた。

 そんな背筋も凍る伝説の地に、ロケ隊は到着する。

 クルーザーの甲板から、藤壺ふじつぼと貝殻に覆われた桟橋に次々と足をつけた。

 最後にディレクターの長尾和久が、運転席の田村雅一たむらまさいちに向かって気軽な調子で言う。

「それじゃあ、昼前には戻ります」

「はい。俺はここにいますんで」

 田村は加太かだにあるレンタルボート店の社員である。しかし、これは社を通した仕事ではなく、直営業であった。

 夜鳥島に余所者を案内してはならない……この近辺での暗黙の了解であった。

 呪われた禁忌の土地。

 しかし田村は、これまでにも廃墟マニアを何組か夜鳥島に案内していた。何らかのトラブルが起こった事は一度もない。

 現に島を訪れた廃墟マニアは大勢おり、島内の廃墟を納めた写真がインターネットにはたくさんアップロードされている。

 ときおり、幽霊を見ただとか、眉唾物の怪談話を聞く程度であった。

「時間が押したり、何かトラブったら電話します」

 と、長尾がスマホを鞄の中から取り出すと田村はよく日に焼けた顔で、にやりと笑った。

「ここ、携帯、使えませんよ?」

 長尾は困った様子で「あー」と唸りながら思案顔を浮かべ、

「なら、ADの青木を走らせますんで……」

「りょーかい」

 と、田村は軽く右手をあげる。そして、懸賞つきの数独すうどくパズルを取り出してページを開いた。

「んじゃあ、行ってきます」

 長尾はそう言い残して、クルーザーを後にして、桟橋に降り立った。


 時刻は七時十四分だった。




 港は荒れ果てていた。

 瓦がはがれ、はりが丸見えになった倉庫が建ち並んでいた。

 錆びついたドラム缶や木箱、壊れた小舟や、割れた硝子の浮き玉、網などの漁具がいたるところに放置されている。

 波止場に並んだ係船柱けいせんちゅうの一つに海猫が舞い降り、しゃがれ声で鳴いた。

 その直後、ディレクターの長尾から「はい、OK」の言葉が出ると、リポーターの高原璃子たかはらりこの元に、よれたスーツ姿の肥った男がやってくる。

 彼女のマネージャーの藤沢竜馬ふじさわりょうまである。

「璃子ちゃん、お疲れ様ー。よかったよ」

 彼の右手からセカンドバックを引ったくるように奪い取る。煙草の箱を取り出して一本くわえると、ジーンズの尻ポケットからオイルライターを取り出して火をつけた。

 白煙を吐き出しながら、横目でこっそりと霊能者の九尾天全の様子を窺う。

 九尾は少し離れた位置で、地味な服装の付き人・・・と話し込んでいる。どうやら二人は一卵性の双子らしい。

 全然似ていない……高原は鼻を鳴らす。そして、改めて九尾の美貌を盗み見て歯噛みした。

 高原璃子といえば、元は人気アイドルグループのメンバーとして活動していた。人数が四十人以上いる大所帯の、誰もが知ってる有名なグループである。

 しかし、グループ内では特に目立つ事もなく三年前に卒業。

 そのあと、今の芸能事務所に移籍すると、元人気グループのメンバーという肩書きでバライティ番組に何度か出演をしていたが、爪痕はまったく残せていなかった。

 今年で二十九歳。

 年々仕事は減ってきている。このロケも二月振ふたつきぶりの仕事だった。

 かつて住民同士が殺し合いをしたという、おぞましい歴史を持つ無人島での撮影。

 グループを卒業した当初ならば、こんな仕事は受けなかっただろう。

 しかし、今はどんな事をしてでも、この業界にしがみつくつもりでいた。

 追い詰められて、ようやくプライドを捨て、気合いは充分……しかし、蓋を開けてみれば、霊能者としてやってきたのが、自分より若くて綺麗で可愛い女だったなど、彼女には到底許せる事ではなかった。

「……何なのよ。あの女」

 若くて綺麗で可愛いだけではない。ついさっき終えたオープニングトークの撮影を経て高原は確信した。

 あの女、人前で喋るのも上手い。

 これでは、どちらが主役・・なのか解らない。

 このままでは、またネットで叩かれる……高原は恐怖していた。

 グループにいた頃もそうだった。

 “一人だけブスがいる”だとか“他のメンバーの引き立て役”だとか“あれなら自分の方が可愛い”などと……。

 そして、今回もきっとそうだ。


 “あの霊能者の方が可愛い”


 しかし、そんな風に罵られる程度なら、彼女の中でまだマシな方だった。


 ……もしも、誰にも、何も、言われなくなったとしたら。


 高原は口の中から溢れかけた悲鳴をぐっと堪える。

「だ、大丈夫? 璃子ちゃん。顔色、真っ青だよ?」

 心配げな藤沢。彼に向かって煙を吐きかけて、高原は苛立たしげに舌を打つ。

「うっさい!」

 すると、ディレクターの長尾と話し込んでいたADの青木治夫あおきはるおが、右手を振りあげる。

「みなさーん。これから移動しまあーす!」

 その脇で、ディレクターの長尾が、音声とカメラマンに何やら指示を与えていた。

 こうして一行は、島の中央にそびえる丘の頂上に所在する箜芒邸を目指した。

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