【03】盛り塩


 黒ずんでぬめり気を帯びた桟橋さんばしに降り立ち、平川の案内で箜芒邸を目指す。

 どういう訳なのか港には大勢の人々が集まっていた。まるで祭りのような有り様である。何事かと驚いて平川にたずねる。

 すると彼は苦笑いをしながら、その理由を教えてくれた。

「皆、誠司様の御友人である貴方を見物にきたのですよ」

 気恥ずかしい思いがしたのと同時に、期待されているとも感じた。改めて身の引き締まるような思いがする。

 そんな野次馬たちの群れを抜けた所で私はふと気がつく。

 島民の殆どが平川とよく似たような面長で、目が離れえらの張った顔をしていた。

 きっと閉ざされた土地で縁組を繰り返し、血が濃くなっているのだろう。

 やはり甕子憑きは、遺伝的な要因も大きい事が伺える。

 しかし、我が友人の箜芒誠司の面差しは、彼らと然程似さほどにていない。

 この辺りを平川にそれとなく尋ねると、誠司は大阪から嫁いできた母親似であるらしい。

 成る程と私は頷く。

 そこで、もののついでにと、平川に訊いてみた。

 彼は甕子憑きという迷信についてどう感じているのかを。

 すると彼は、たっぷり悩んでから、こう答えた。

「私は学がありませんし、滅多な事はえません。それに誠司様の御友人である先生が、アレは科学的に解釈できるモノというのならば、きっと、そうなのでしょう。しかし、あくまでも私個人の意見を述べるのならば……」

 そこで彼はまるで喉に布でも押し込んだかのように言葉を詰まらせる。

 私がどうにか話を促すと、平川は申し訳なさそうな顔で云う。


「私はアレが病気などとはとても思えません」


 どうやら彼は迷信を深く信じているらしい。無理からぬ事だと思い、特に腹を立てた訳ではなかったが、平川は随分と気不味きまずそうな表情をしていた。

 ……それを切っ掛けに会話がピタリと止まり、黙々と歩き続ける。そのまま急な斜面の間に建ち並ぶ、家々の細い路地や狭い石段を通り抜けた。

 当然ながら坂道が多く、港から大した距離を歩いた訳ではないのに疲弊ひへいする。

 そうして私達は、丘の頂上の木立に囲まれた屋敷の門前に辿り着いた。

 そこが我が親友の生家であった箜芒邸らしい。

 門を潜ると、私は使用人たちに迎えられ、立派な庭先を臨める大きな洋間に通された。




 烏木うぼくの円卓に着いて私と平川を待ち受けていたのは、一組の男女であった。

 歳の頃は六十前後といった所か。

 この家の主である箜芒英司くのぎえいじと、その細君である富枝とみえであった。

 富枝の顔を見た瞬間に私は得心した。確かに平川の云う通り、我が友の誠司とよく似た顔立ちをしている。

 対する英司は目が離れ、腮の張った面長――夜鳥島面ぬえじまづらとでも云えばよいのであろうか――をしていた。

 私は挨拶を済ませ、透かし彫りの背もたれの椅子に腰をかける。

 すると間もなく若い女中が茶を運んできた。

 この時、私は左から差し出された湯呑みを、つい掴み損ねて取り落としてしまう。

 幸い着衣は濡れなかったが波斯ペルシヤ絨毯じゅうたんに大きな染みを作ってしまった。

 その事で英司が女中をとがめようとしたので素早く右手で制する。

 ここで私は、幼い頃の怪我のせいで左の視野が狭い事を明かした。お陰で湯呑みを掴み損ねたのだと。

 すると尚の事、女中が気まずそうな顔をしたので、私は強引に話の転換を図った。

「そんな事よりも誠司君の事についてですが」

 英司は、ついにきたかと言いたげな顔で神妙に頷き、問い返してきた。

「先生は息子の死については、何処どこまで聞いておられるかな?」

「妹さんに殺されたとしか……」

 私が答えると英司は沈痛な面持ちで我が友の最後を語り始める。

 それによると、事件が起こったのは月始めの水曜日だったのだと云う。

 その日は座敷牢の華枝を入浴させる日であった。

 毎回、女中が四人がかりで当たるのだが、一瞬の隙を突いて華枝が逃亡をはかる。

 この際に女中の一人が大怪我を負ったらしい。

 そして箜芒邸から外に出ようとした華枝の前に立ちはだかったのが、兄の誠司であった。

 取っ組み合いになるも、誠司は華枝に殴り飛ばされ、獣のように喉笛を喰い千切られたのだという。

「……その傷が元で息子は死んだ」

 英司が話を結ぶと富枝は再び声をあげて泣き始める。

 婦女子である華枝が精悍せいかんな男子の誠司を殴り飛ばし、致命傷になる程に深く喉笛に食らいつく。常識ではあり得ない事だ――そう思えるかも知れないが、これも不思議な事ではない。

 実は歇私的里ヒステリー患者かんじゃが通常では有り得ないような力を発揮する事はよくある。

 人間とは常々、力を出しすぎて己の肉体に負担が、かかり過ぎてしまわないように、脳が制限をかしている。

 ゆえに我々はどうやっても普段は全力を出す事ができない仕組みになってる。我々が全力であると思っている力は、ほんの何割かの加減されたものでしかないのだ。

 しかし、この制限のたがが何らかの切っ掛けで外れてしまう事がある。

 原因としてあげられるのは、心理的な暗示や、薬物、そして精神の病。これらのせいで、脳が上手く働かなくなり、その箍が緩む。すると結果として正常な状態よりも、ずっと強い力を発揮できる様になったりする。

 華枝が誠司を殺害した時も、恐らくそうだったのだ。

 因みに華枝は男数人がかりでようやく取り押さえられ、再び座敷牢へと戻されたのだと云う。

「華枝は兄を……人を殺した。本来ならば警察の手に委ねるべきであろうが……」

 私は首を横に振って英司の言葉をさえぎった。

「無駄でしょうね」

 華枝が悪いのではない。全ては病が原因であるのだ。

 彼女の罪を裁く事よりも、病を完治させる。それこそが、亡き友への手向けとなる事だろう。

 そもそも、こういった島は、実質的に治外法権ちがいほうけんであるから余所者の警察の出る幕は最初からない。

 そんな閉鎖的な場所で私ができる事と云えば一つしかない。

 これまで私は、心理療法の経験をいくつも積んできた。そこで培った技術を活かして、今こそ友情に報いる時であろう。

 私は英司に向かって言った。

「では、早速で申し訳ありませんが、華枝さんに会わせてください」

「という事は、我々に力を貸してくれるのか? 今の話を、息子の惨たらしい最後を聞いてもおくさずに」

 感激した様子の英司に向かって、私はきっぱりと言った。

「その為に、この島にやってきました。箜芒甕子憑きの全てを科学的に解明してご覧にいれましょう」

 富枝が泣きながら何度も礼の言葉を繰り返す。

 この後、話を切りあげた私は、平川に案内され、往診鞄を片手に座敷牢へと向かった。




 座敷牢は裏庭の隅に立つ蔵の二階にあった。

 部屋の半分を頑丈なかしの格子で仕切ってある。

 そこには床の近辺から天井の間際まで大量のお札が貼られていた。

 神道、仏教、密教、道教……耶蘇教キリストきょうの十字架もかけられていた。

 そして腰を屈めなければ潜り抜ける事ができなさそうな小さな扉が真ん中にあり、両脇の床には盛り塩がしてあった。

 その格子の正面――土蔵の表側に面した窓が一つだけ開いている。

 牢の中を見渡せば生活に必要な調度品は一通りそろっており、床も赤絨毯あかじゅうたんで覆われてる。

 その中央にある座卓の向こう側で、此方こちら向きにうつむいて革張りの椅子に腰をおろしているのは、赤い着物姿の女であった。

 彼女が箜芒華枝である。

 良く見ると彼女の両手には木のかせがはめられていた。

 華枝は我々が姿を現すと顔をあげる。

 美しい娘であった。何処どことなく目元が兄の誠司に似ている。

 しかし、その長い黒髪はほつれ乱れ、口には猿轡さるぐつわを噛まされていた。それが何とも痛々しい。

 顔をしかめていると、平川が言い訳がましく云う。

「拘束しているのは、動きを封じるという目的もありますが自殺の防止という意味の方が強いのです。華枝様が生きている限り、箜芒甕子は彼女の肉体に止まり続けますから。箜芒甕子に憑かれた者は、こうして死んでしまわぬように拘束され、隔離されます」

 後で聞いた所によれば、この土蔵は代々の箜芒甕子憑きを監禁する場所だったのだと云う。

「つまり、誰か一人が箜芒甕子に憑かれている間は、他の者が箜芒甕子に憑かれる事はないという事ですか?」

「ええ。つまり華枝様は人柱であると云う訳です」

 平川は悲しそうに笑い、上着の胸ポケットから鍵束を取り出した。

「中に入りましょう」

 そう言って格子の入り口に向かう。

「いいのですか?」

 すると平川は、格子の扉にぶらさがった相撲取りの掌ぐらいはありそうな大きさの南京錠に、鍵を差し込みながら云う。

「大丈夫です。今は箜芒甕子ではなく、華枝様のようです」

「なぜ、それを?」

 当然の疑問である。

 すると平川は盛り塩を指差す。

「それが白い間は大丈夫です」

 そう言って牢の中に足を踏み入れる。この時は彼の言葉の意味が解らなかった。

 私も彼に続いた。

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