【02】友との約束


 誠司の話はこうだった。

 昔、夜鳥島では、生後三歳となった双子の片割れや不具癈疾者ふぐはいしつしゃを親元から引き離し、島長しまおさである箜芒家の養子にしたのだとう。

 養子となった子供は“甕子みかこ”という名へと改名させられ、その日から箜芒家の座敷牢の中だけで生活する様になる。

 名の由来は、古代日本にあった甕棺墓かめかんぼという、かめに入れた幼児の遺体を埋葬まいそうする風習からきているらしい。

 “甕”とは棺桶……すなわち“甕子”は“棺桶の子”という不吉な意味の名前となる。

 因みに男児でも女児でも甕子と名づけられたのだそうだ。

 ともあれ、甕子は九歳の誕生日になると手足を縛られて大きなかめに閉じ込められる。そして島の北の岸壁にある洞窟“北門口ほくもんぐち”に放置される。

 やがて、その洞窟には潮が満ちて、引き潮と共に甕は海へと流される。

 すると同時に甕子が島の全ての厄災を黄泉へと持ち去ってくれるのだと云う。

 ただし、その甕がいつまでも残っていたり、流された甕が島に戻ってきた場合は凶事が起こるとされている。

 この生け贄の風習は、何とおぞましい事に、明治時代の終わりまでずっと行われていたらしい。

 これを“厄返しやくがえし”と云うのだとか。

「……ところが明治二十二年の晩夏であった。島の浜辺に、厄返しをしたはずの甕が流れ着いたと云われている。中に入っていた甕子の死体は驚くべき事にほとんど腐っていなかった」

 誠司は戦々恐々せんせんきょうきょうといった様子であったが、別段に驚く事ではない。屍蝋化しろうかしたのであろう。私はすぐにピンときた。

 低温で湿潤しつじゅん。空気の流れのない場所ではまれに死体の脂肪が腐らずに蝋となる。何の不思議はない。

 しかし、当然なから、まだ迷信の色濃く残る時代だ。島中は大騒ぎになった。もう一度、流れてきた甕を再び閉じ、北門口へと運んだ。しかし甕はいつまでも洞窟内に止まり続けたのだと云う。

 それからほどなくして、島に甕子の亡霊に憑かれた者が現れた。

 それが箜芒の娘であった、箜芒照美くのぎてるみである。

 照美はある夜、自らを箜芒甕子と名乗り、箜芒家の頭主であった元親もとちかを惨殺。

 それから屋敷に住まう者たちを殺して回り、夜明けと共に庭先のけやきで首をくくって自殺した。

 この一件により箜芒本家は壊滅の憂き目にあったのだと云う。

 しかし、どうにか分家筋が箜芒の家督かとくを受け継いで、今に到るのだそうだ。

「それ以来、何年かに一度、島では箜芒甕子に憑かれる者が現れるようになった。箜芒甕子に憑かれた者は獣の様に酷く暴れまわり、近くにいる者を手当たり次第にあやめようとするのだ」

「それは凄まじいな……」

 私はあまりの血生臭さに、呆気にとられながら考える。

 恐らく箜芒照美は島の陰惨な風習に対して、罪悪感を抱いていた。

 文明開化の時代であったというのに迷信により無垢むくな命を犠牲にする。

 厄返しなる儀式を取り仕切る箜芒家に産まれた者として、強く思う所があったのだろう。

 その鬱屈うっくつが、島に箜芒甕子の死体が返ってくるという事件を経て、噴出した結果の惨劇。

 後に続いた憑き物も同じ理屈だ。

 箜芒照美の引き起こした惨劇が引き金となって、島民は“箜芒甕子が実在する”という思い込みと“自分も箜芒甕子に憑かれるかもしれない”という恐れを抱いた。

 こうして種はまかれ、何らかの切っ掛けで精神に変調をきたした島民が箜芒甕子の人格を作りあげるようになったのだ。

 一種の集団しゅうだん歇私的里ヒステリーだろう。

 しかし、それだけで、そこまで重篤じゅうとくな症状を成す物なのだろうか……。

 もしかすると夜島鳥の島民に根付いた遺伝的な要因も関わっているのかもしれない。

 つまり“箜芒甕子憑き”の病理は夜島鳥という特定地域の風習や風土が大きく関わっている事に他ならない。

 云わば文化依存型の精神病である。

 心の病がその土地の文化や風習に起因する……一見すると飛躍ひやくした考えのように思われるが、実際に東南亜細亜とうなんアジアの特定の国々でしか見られない特殊な精神疾患の存在は、遥か昔より周知されている。

 これは今までの精神医学界になかった着眼点ではないだろうか。

 誠司は考え込む私の顔を不安げに覗き込んで問うてきた。

「もしも、これが病であるというのならば……治療する事は可能なのであろうか?」

「無論だとも」

 私は友の言葉に頷いた。そして、こう続ける。

「憑き物だけではない。全ての怪異は、科学的な解釈が可能なのだ。この世の中に不思議な事は何もないのだよ、誠司君」

 すると、誠司は突然泣き出す。

 どうしたのかとたずねると彼は「箜芒甕子憑きを解明して欲しい」と懇願こんがんしてきた。

 あまりにも急な話で戸惑っていると、誠司は涙ながらに訴える。

「実は俺の妹の華枝かえが箜芒甕子に取り憑かれてしまった。以来、ずっと座敷牢で暮らしている。何とかしてやりたい……」

 これまでにもあらゆる霊媒や加持祈祷かじきとうを頼ったが、妹から箜芒甕子を祓う事はできなかったのだと云う。

 そうする間に戦争が始まったらしい。

「どうか妹に会って欲しい……あれが病気だというのならば、治療の糸口を見つけてやって欲しい。俺に取り憑いた亡霊を追い払ってくれたように君ならば、妹を救う事は容易いはずだ」

 文化依存型の精神病というこれまでにない研究の題材には心引かれる。

 しかし今の私は、この病院を離れる訳にはいかない。戦争で只でさえ人手が足りないのだ。そう誠司に言い聞かせた。

 しかし、彼は強情で引きさがらない。

 そこで私は戦争が終わって落ち着いたら必ずや島に向かうと約束して、すがりつかんばかりだった誠司をなだめた。

 すると彼はより一層、感激したらしく涙と鼻水をたらしながら泣きわめく。

 それから彼をなだめるのに、また随分と時間を要す。


 この翌年の夏であった。

 我が国が敗戦を喫したのは――




 終戦。そしていやおうにも、新たな価値観を受け入れざるを得なくなった時代。

 私は戦後の混沌とした日々の中で慌ただしい日常を送っていた。

 誠司は終戦のすぐ後に郷里へと帰って行った。

 駅まで見送りに行った時、彼は「約束を忘れないでくれよ」としつこく繰り返し、危うく汽車に乗り遅れる所であった。

 ともあれ、それから毎日が忙しく、あれよあれよという間に時は過ぎ去り、それは昭和二十四年の初夏の事であった。

 私の元に箜芒誠司の訃報ふほうを知らせる手紙が届く。

 手紙の送り主は平川良作ひらかわりょうさくという名前の男で、箜芒家の下男げなんらしい。

 手紙によると、驚くべき事に誠司は座敷牢から脱走した妹の華枝に惨殺されたのだと云う。

 私は悔やんだ。

 誠司の事を忘れていた訳ではなかった。

 しかし、忙しさを言い訳に、彼と交わしていた夜鳥島来訪の約束をないがしろにしていた事は、動かしがたい事実であった。

 誠司の友情に報いる事ができなかった。その悔恨の念は私の胸をいたく締めつけたのだった。

 決心した私はひまをもらい、一も二もなく夜鳥島へと向かう事にした。




 結局、仕事の引き継ぎや諸々もろもろの準備の為に二月ふたつきもかかる。

 私は取り合えず和歌山の加太港かだこうへと向かい定期連絡船に乗り込んだ。

 この船は徳島と和歌山の間を行き来するのだが、その途中に夜鳥島へと立ち寄るのだそうだ。

 座敷のどうの間で他の乗客たちと波に揺られていると、窓の向こうに臨める水平線の果てにやがて見えてくる。

 赤松と杉に覆われた小高い丘が海上にポツリと突きだしていた。

 そのよく晴れた空には白粉を吹いたような雲が漂っている。夜鳥島だ。

 島の形は真上から見ると三日月の形をしており、湾が南向きに入り口を開けている。

 対する島の北側は崖に覆われており、この湾内の小さな港が、島の唯一の玄関口であるらしい。

 ただし、湾の入り口付近には浅瀬や岩礁がんしょうがあり大きな船は通れない。その為に廻漕店かいそうてんはしけの小舟で迎えにくる。

 その迎えの小船に乗り込む客は私一人のようだった。

 甲板に出ると小舟には年老いた白髭の船頭の他にもう一人、陰気な顔つきの小男が乗っていた。

 私が縄梯子なわばしごをつたい、小船に乗り込むと、その小男が開口一番に問うてきた。

「貴方が誠司様の御友人の目羅様でありますね?」

「如何にも」と、答えると彼は慇懃いんぎんに頭をさげて名乗りをあげる。

「私、平川良作と申します」

「ああ。貴方が平川さんですか。その節はどうも」

 平川は面長の痩せた小男であった。極端な猫背で両目の位置が離れており、えらの張った魚類染みた顔をしている。

 彼は陰鬱な声音で更にこう続けた。

「誠司様からお話は予々かねがね……。お偉い学者先生であるとお伺いしております」

「いや、それほどでも」と私はくすぐったい気持ちに身をよじる。同時に少しだけ緊張感が和らいだ様な心持ちとなった。

「……その叡知えいちで甕子憑きを科学的に解明し、華枝お嬢様を救っていただけるのだと、私共は聞いております。我々はその為の協力を惜しみません」

 平川の言葉に私が返事をする前に、船頭がかいを漕ぎ始める。

 こうして私は遠ざかる連絡船の汽笛を背中で聞きながら、夜鳥島へと上陸したのであった。

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