【10】使徒襲来


 酒本が目覚めたのは十九時を過ぎたところだった。

 喉と胃の中がカラカラに乾いて飢えていた。

 素泊まりなので宿の夕食はない。ボストンバッグからブロックタイプの保存食とミネラルウォーターを取り出し素早く燃料補給を終える。

 そのままヤッケをまとい、再び座敷わらしを探す為に部屋の外へと出る。

 部屋を出てすぐ正面。

 廊下の窓の外では、依然として激しい雨が降りしきっていた。近くの町並みにかかる黒雲が稲光を帯びて青白く輝く。

 酒本は何の気なしにその光景を数秒眺めた後、再び動き出そうとした。

 その瞬間だった。

 旅館から少し離れた暗がりに、ぼんやりと明かりが浮かんでいるのに気がついた。

 それは駐車場の奥まった位置――酒本が白いセダンを停めた辺りだった。

 普段なら特に気に止めなかったかもしれない。しかし、荒事を前に神経過敏となっていた彼は、それを無視できなかった。

 廊下の窓硝子に張りついて暗闇を凝視する。

 それは懐中電灯の明かり……雨降りしきる暗闇の中、誰かがいる。

 鍵か携帯でも駐車場に落としたのか……酒本がそう結論を出そうとした寸前だった。

 雷光が瞬く。

 その蒼白い閃きの中に浮かびあがった人影――。

 酒本は息を飲んだ。両手を窓硝子に突いて凝視する。

 それは白い振袖姿の少女だった。

 歳は五歳くらい。長い黒髪のおかっぱ。

 切れ長の瞳で二階の窓から覗く酒本を真っ直ぐ見あげていた。

 その姿はすぐに暗闇の中へと沈み込んで消える。

「やっと……見ぃつけたぁあぁ……」 

 声が震えた。

 気がつくと窓硝子に見たことのない酷い顔の男が映り込んでいた。

 そいつは地獄の悪魔のように、その表情を醜く歪めていた。

「そこで、待っていろよぉ……」 

 酒本は、まるで生まれて初めてのデートに向かうときのような、弾む足取りで駐車場へと向かった。




 夕食を食べ終わると桜井、茅野の二人は浴衣から着替え、コートを羽織って一階に降りた。

 受付カウンターで大きめのビニール傘を借りて外に出る。

「相変わらず酷い雨ね……」

 玄関を出て、ひさしから滴り落ちる雨垂れを見あげながら茅野は傘を差した。

「どうする? もう少し待つ?」

 桜井の問いに茅野は首を横に振る。

「かえって好都合だわ。人目につく心配がない」

 完全に泥棒の発想である。

「それに旅館の門限もあるわ。手早く済ませましょう」

「らじゃー」

 桜井はそう返事をしてペンライトの明かりをつける。

 二人は雨の中、駐車場へ向かった。そうして、しばし歩き回り、白いセダンを発見する。

「これがそうみたいね」

 因みにセダンは駐車場の入り口の方――つまり車道側にフロントを向けて停車している。

「梨沙さん……旅館側の方に立って。そうそこ」

 茅野はなるべく死角ができるような位置に桜井を立たせ傘を持たせる。

 桜井は代わりにペンライトを彼女に手渡した。茅野がトランクの鍵穴を照らす。

「どう? 行けそう?」

「不可能ではないけど、ちょっと手間取るかも。誰かが来たら教えて頂戴ちょうだい。落とした車の鍵を探している振りをしましょう」

「りょうかーい」

 桜井がそう言った瞬間だった。

 雷光が瞬き、周囲の闇が蒼白く染まった。

 茅野はコートのポケットからピッキングツールを取りだし、口にペンライトを加えながら解錠に集中し始めた。




 酒本はヤッケのフードを目深に被ると玄関の外に出た。視界が蒼白く染まり雷鳴が轟く。

 当然ながら往来に人の気配は全くない。

 そして駐車場の入り口付近に着くと、身を屈めながらセダンへと近づく。

 トランクの蓋が開いていた。後部に誰かがいる。人の気配がした。しかし死角となっていてうかがえない。

 酒本は駐車場に停車してある車体の影を渡り歩きながら慎重に近づく。セダンのフロントの影に身を屈めたまま、こっそりと車体の後部の様子を窺おうとした。

 すると、その直後だった。

 雨音を割って微かに声が聞こえた。

「……これ、ホローポイント弾……こんなエグイ……」

「ほろー……だん……?」

 二人いる。

 その密やかな会話は、雨音にかき消されてよく聞こえない。

 酒本は一つは深呼吸をして気を落ち着かせると立ちあがった。

「そこで、何をしている!?」

 一拍の沈黙の後で、トランクの蓋が閉まる。

 その向こうから姿を現したのは傘を持ったダッフルコートの少女……まだ中学生ぐらいに見えた。

 酒本は拍子抜けする。

 そして、その隣には黒のミリタリーコートを着た人物が亡霊のように立っていた。

 雷光に照らされ、そのフードの中が一瞬だけ照らされる。

 色素の薄い瞳が闇の中に浮かびあがる。

 こちらもまだ若い少女だ。

 酒本は首を傾げる。

 いったい、何者であろうか。

「お前ら、いったい何なんだ……」

 雷鳴の後、ミリタリーコートの少女はその問いに答えた。


「私たちは、チョウピラコの使徒よ」


 酒本は息を飲んだ。

 再び彼の口角が悪魔のように釣りあがる。

「奴はどこだ!?」

 酒本は右手ポケットに入れていた“調伏法ちょうふくほう真髄しんずい”を指先で触っていつでも取り出せるように確認する。

 再び雷光が瞬く――

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