【09】強敵


「……と、言う訳なんだけど」

「成る程」

 いったん部屋に戻り座卓を挟んで、お茶を一杯やりながら桜井の話に耳を傾けていた茅野は、その話が終わると得心した様子で頷いた。

「座敷わらしは、梨沙さんにあの男の凶行を止めて欲しかったのかしら?」

「でも、何であたしなんだろ? 警察に電話すればいいのに……」

「座敷わらしが……電話……」

 茅野は想像する。

 白い振袖姿の座敷わらしが、スマホを耳に当て……。


 『もしもし、警察ですか?』


 あまりにも可愛いらしくて、思わず吹き出してしまった。

「どうしたの?」 

 怪訝けげんそうな顔の桜井。

 茅野は「おほん」と咳払いをして、気を取り直し、

「……それはそれとして、あの男の目的は何なのかしら?」

「この旅館に恨みがあるとか……。座敷わらしでもうけているのが気に食わなかったとか……」

「単なるロリコンの可能性もあるわね。座敷わらし狙いの」

「それはマニアック過ぎるよ……」

「そうかしら? 日本人の変態性を侮ってはいけないわ」

「そかなー?」

 また思考がふざけた方向に行きかけたところで、桜井の方が真面目な顔になる。

「……でもさ、あの男、ボストンバッグがひとつだけだったよ。猟銃も灯油の入ったポリタンクも持っていなかった」

「それはきっと車のトランクの中じゃないかしら? 梨沙さんの見た夢では、まずあの男は厨房に灯油をまいて火を放ったのよね?」

「うん」

「多分、梨沙さんの夢の中のあの男は、駐車場で車に積んでいたポリタンクと猟銃を回収して勝手口から厨房に侵入……それから、凶行に及んだのではないかしら?」

 駐車場と厨房は隣接している。

「ああ。なるほど」

 桜井は、ぽん、と手を叩く。茅野が眉間にしわを寄せながらあごに指を当てる。

「警察に通報……したとしても、根拠が夢では信じてくれないでしょうね」

「……取り合えず、確かめたいね。あの男の車に猟銃とポリタンクが積まれているのか」

「そうね。私たちが食堂を出る時に、ちょうど白いセダンが入ってきたわ。タイミング的に、あれがあの男の車なんじゃないのかしら?」

「なるほど……でも、どうする?」

 と、いつになく慎重な調子で桜井は続ける。

「あたしの夢が未来に起こる現実の光景だったとしたら、あの男……凄くライフルの扱いに慣れていたし、あの身体つき…… きっと、本職・・だよ」

「ええ」

 茅野も桜井の言わんとしている事を察したようだ。

 そして桜井が真面目な表情で結論を述べる。


「まともにやりあったら、あの男に勝てない」




 酒本岳の部屋は、二階の玄関から向かって左手の部屋だった。

 チェックインを済ませ、荷物を部屋に置いてから館内を散策する事にした。

 もちろん観光目的ではない。これから起こす凶行の下見と、チョウピラコを探す為だ。

 “調伏法ちょうふくほう真髄しんずい”はいつでも取り出せるように、ヤッケの上着の右ポケットに忍ばせている。

 酒本は二十八日と二十九日の夜までの間、館内をうろつきながらチョウピラコの出現を待ち、もしも遭遇できなかった時は例の作戦に出るつもりだった。

 そんな訳で館内をさまよっていると宿泊客と何度か遭遇した。

 その誰もが笑顔……笑顔……笑顔……笑顔……。

 そして、ときおり酒本の顔の火傷痕を見て、明らかに気まずそうな顔で目線を逸らす。

 何とも思わなかった。

 不快感も劣等感もない。

 ただ酒本は頭の中で強く念じる。


 ……こいつらは生け贄だ。

 ……こいつらは人質だ。

 ……早く出て来なければ、全員殺すぞ。


 しかし、チョウピラコは姿を現さなかった。

 二階から一階、離れや食堂、温泉の脱衣場まで見て回る。

 そうして、再びエントランスロビーから大階段を登り二階へ。

 すると二階ロビーの応接で二人の少女が将棋を指していた。

 黒髪の少女がパチリと駒を置いて、小柄な少女が頭を抱える。

 その光景を横目で見やりながら、酒本は自室へと戻った。

 ……やはり、妖怪なのだから暗くならないと出てこないものなのかもしれない。

 そう考えた酒本は、仮眠を取る事にした。




「はい。これで詰みよ」

「ああーっ。負けた……でも、桂馬は取られなかったし」

「梨沙さん桂馬好きよね」

「どうぶつは好きだよ。みんな」

「でも王将を取られてしまっては元も子もないわ」

 二階ロビーの応接テーブルで将棋を指す二人。

 運要素の絡むゲームならいざ知らず、将棋のような完全情報ゲームならば茅野に圧倒的な分がある。

 それでも桜井は楽しそうだった。彼女は負けず嫌いではあるが、基本的に敗北をいとわないのだ。彼女が「やめよう」と言い出すのは本当に飽きた時だけである。

 それが桜井梨沙という天才の才能なのだろうと茅野は改めて実感した。

 大抵こういう場合は連戦連勝しているにも関わらず、茅野の方が根負けして別な事をしようと提案するのが常だった。

 もっとも、そうした集中力の代償なのか興味のない事には、とことんテキトーなのであるが……。

「次は飛車角金銀落ちでお相手するわ」

「よーし……それならきっと……」

 すると、そこで館内を廻ってきた酒本が姿を現す。二人は何食わぬ顔で駒を並べ、新たな対局を始めた。

 酒本が二階ロビーから客室のある廊下の向こうへ姿を消す。

 すると二人はお互いに視線を合わせる。

「下見かな?」

「でしょうね……」

「どうする?」

 茅野は少し考え込み、

「取り合えず夜まで待ちましょう。確か梨沙さんが夢で見たXデイは明日なのよね?」

「うん。夢の中の厨房の日めくりカレンダーがそうだった」

「……ならば、今日の夜、あのセダンのトランクの中を確かめましょう」

「できるの?」

「直接、見てみない事には何とも言えないけれど、多分いけるわ」

「鍵開けスキルだね?」

「そうよ」

 得意技のピッキングである。

「夜までに雨が止めばいいね」

 桜井はそう言って二階ロビーの窓へと視線を向けた。

 米びつをぶちまけたような雨音が依然として鳴り続いていた。

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