【07】握られていた物


 逢魔おうまとき――。

 世界一面が朱色に染まっていた。

 そんな中、桜井梨沙は浴衣姿で下駄を履き、カランコロンと座敷わらしの間まで続く渡り廊下を歩いていた。

 すると、どこからか子供たちの笑い声が聞こえてくる。

 桜井はきょろきょろと辺りを見渡す。

 そして、それは渡り廊下の先にある離れの玄関だった。

 がらり……と、引き戸の閉まる音がする。

 桜井はその一瞬前、戸口の向こうに黒い長髪の女の後ろ姿を見たような気がした。

「循……?」

 桜井は離れへと向かう。

 戸を開き三和土たたきで下駄を脱いで、座敷にあがる。

 すると部屋の真ん中に五歳くらいの少女が立っていた。

 白い振袖を着ており、おかっぱの黒い長髪であった。日本人形と形容するのが相応しい美少女である。

「誰……? もしかして、チョウピラコさん?」

 桜井の質問に少女は答える事なく、その桜のつぼみのような唇で言葉を紡ぐ。

「我とて万能ではない」

「は? どゆことなの?」

 桜井が首を傾げる。しかし、少女はやはり答えようとせず一方的に喋り続ける。

「我の力が及ばずの者には苦労をかけた。すまぬ事だがそなたらの力を借りたい」

「だから、いったい何を……」

「……これを」

 そう言って、少女は右手を開いて伸ばす。

 その掌に乗っていた物を桜井は摘まみあげる。それは将棋の駒。飛車であった。

「これは……?」

「今度は忘れてくれるなよ」

 やはり少女は質問に答えない。

 そして……。


「思い出せ……」


 その言葉の直後、桜井は夢から覚めた――


 布団の上で上半身を起こすと、茅野はまだ寝ていた。

「……夢か」

 ぼんやりとしていた意識が次第に覚醒してゆく。

 そこで桜井は右手で何かを握り締めていた事に気がつく。

 はっとして手を開いた。

 すると……。

「これって……」

 桜井の掌の中にあった物。

 それは将棋の駒の飛車だった。




 それから間もなく茅野が目覚める。桜井は昨晩の奇妙な夢について彼女に話した。

 すると茅野が口角を釣りあげて一言。

「面白くなってきたわね」

 しかし、桜井は両腕を組み合わせて唸る。

「でも、ピラコちゃんの言ってる事が全然解らなかったよ」

「その“彼の者”というのがいったい誰を指しているのかよね……」

 茅野は指を顎に当てながら思案顔をする。桜井が飛車の駒をしげしげと見つめながら言った。

「これって、やっぱり、あの離れにあった将棋の駒だよね? マグネットタイプだし」

「それをまずは確かめに行きましょう」

 茅野が勢いよく布団をはねのけて起きあがる。桜井もそれに続いた。

「……でもさ、何であたしばっかり夢を見るんだろうね。ピラコちゃんの」

 桜井は後頭部でまとめた髪をヘアゴムで縛りながら言った。

「きっと、この旅館の座敷わらしと貴女の“相性”が近いのではないかしら?」

「ああ……“相性”って、前に九尾センセが言ってたやつだよね?」

「そうよ」

 この世の万物には“相性”があり、その“相性”が合わないものに霊は干渉する事ができない。

 霊能者である九尾天全によれば、そういう事になっているらしい。

「何で、梨沙さんだけ……」

「循」

「何かしら?」

「もしかして、妬いてるの?」

 ニヤニヤと笑う桜井。

 茅野が目線を泳がせる。

「そっ、そんな事はないわ」

「ふうん……」

 二人は身支度を整え始めた。




 床の間のマグネット将棋盤に並べられた駒はやはり一つなかった。

 桜井は右手の人差し指と中指に挟んだ駒を、その空いていた升目にぱちりと置く。

「王手、飛車取り!」

「その言葉だけは知っているのね」

「それはそうと、これでピラコちゃんがあたしに夢を通じて何かを訴えようとしているらしい事は確定したけどさあ……」

 さっぱり、わからん……と、桜井はかぶりを振った。

「昨夜の監視カメラの映像を確認したいわね……」

 茅野が頭上を見あげながら言う。

「どうして?」

 桜井は小首を傾げて問い返した。

「梨沙さんが映ってるかも」

「あたしが!?」

 桜井が目を見開いて自分を指差す。

 すると茅野は不気味に微笑んだ。

「目を瞑ったまま、ゾンビのようにふらふらとこの部屋にやってくる梨沙さん……そして、将棋の飛車を右手に握り再び帰ってゆく……そんな姿が映っているかもしれないわ」

「なるほど……夢遊病みたいな感じか。……まあ、意識、乗っ取り系は志熊さんで散々経験済みだし」

「いまさらね」

 茅野は同意して頷いた。

 すると、桜井のお腹がきゅるきゅると仔犬のように鳴いた。

 それを聞いた茅野も空腹を感じたのか自らの腹部をさすった。

「私もお腹が減ったわ。まずは脳が働く為のエネルギーを摂取せっしゅした後に考えましょうか」

「うん。そだね」

 二人は離れを後にして食堂へと向かった。




 朝食はビュッフェスタイルだった。

 和、中華、洋とメニューは豊富であったが、これもまったく特筆すべき事のない普通のビュッフェであった。

 適当に料理を取り分け、手早くエネルギー補給を済ませる二人。

 そして、食後。

 桜井は、ほうじ茶。茅野は甘い珈琲。それぞれ食後の一服を楽しみながら夢にあった“彼の者”が誰なのか、結局チョウピラコは何が言いたいのかを話し合う。

 しかし例の如く思考がふざけた方向に片寄ってきたので、いったん切りあげる事にした。

「……取り合えず、このまま話していてもらちが明かないわ。温泉にでも入って頭をすっきりさせましょう」

「同感だね」

 二人は椅子から腰を浮かせる。すると、硝子張りの向こうに見える駐車場へと白のセダンが入ってきたのと同時だった。

 まるで空が泣き崩れるかのように激しい雨が降ってきた。

「ねえ。ちょっと雨が止むまで、部屋で将棋を教えてよ。確かお土産物屋にあったよね?」

 茅野は少し考え込んだ後で、雨のベールに覆われた外の景色を見ながら答える。 

「……そうね。これでは湯冷めしてしまうわ」

 二人は、このあと近くの日帰り温泉に行く予定を変更して食堂を後にする。

 エントランスロビーを横切りお土産屋へ行こうとすると……。

 ちょうど、一人の客が玄関の敷居を跨いだところだった。

 その姿を見た桜井は、はっとして立ち止まる。

 客はボストンバッグを右手に提げ、黒いヤッケ・・・・・を着ていた・・・・・

 顔の左半分に・・・・・・酷い火傷の・・・・・痕がある・・・・

「どうしたのかしら? 梨沙さん」

 怪訝そうに眉をひそめる茅野。

「あ……ああ、あー」

 立ち込める灯油の臭い……銃声……転がる空薬莢からやっきょう……飛び散る血肉……炎……煙……その男の狂笑……。

 桜井はこの旅館にくる前に見た夢の内容をすべてを思い出す。

 それは二〇一九年十二月二十九日……未来の出来事だった。

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