【06】満喫


 降りそそぐ日射しと蝉時雨せみしぐれ

 庭先のもみじの葉はまだ青々としている。

 それは二〇一九年の八月も後半に差しかかったある日の事だった。


 白蝶旅館“座敷わらしの間”


 その離れは、一階の玄関から向かって左側のお土産屋の奥から、裏手へと延びた渡り廊下の先……ちょうど、露天風呂を囲う柵の後ろにあった。

 茅葺きかやぶきの平屋で、かつては茶室として使われていた場所である。

 中には八畳程の座敷が広がっており、奥には床の間があった。そこには千羽鶴やまり、人形やけん玉などのアナログな玩具がところ狭しと並べられている。

 その前には漆塗うるしぬりの御供え机があり、お土産屋で売っている駄菓子がたくさん乗せられていた。向かって右側に木板の看板が立ててあって、そこには可愛らしい座敷わらしのイラストと共にこうあった。


 『座敷わらし様にお供え物をしよう! もしかしたらお部屋に遊びに来てくれるかもしれないよ!』


 その前で真剣な表情の二人が密やかな声で、何やら話し合っていた。

 一人は五十代の女性で名を川田悦子かわたえつこといった。この旅館の女将である。

 そしてもう一人は紫色の袈裟けさを着た老僧であった。彼は旅館の近くにある寺の住職で静啓せいけいという名である。

 静啓は多少ながら人の世ならざる世界を視る力を持っている。

 今から七年前に、例の脚本家による体験談が有名になった際、白蝶旅館に様々な助言を行ったのは彼であった。

 因みに伝承に反して座敷わらしがいる事を全面に押し出そうと提案したのも彼である。

 静啓は座敷わらしがいる事を口外してはならない理由については茅野と同じように解釈していた。

 それゆえに『現代ではやっかまれたり悪評が立ったりする事はないので、むしろ積極的に宣伝した方がよい』と女将である川田に進言した。

 ともあれ、その静啓が、床の間を不安げな眼差しで見つめる川田に向かってきっぱりと言う。

「大丈夫」

 川田はすぐに声をあげる。

「ですが……」

 静啓はその言葉をさえぎるように言った。

「これまで通りうやまいなさい。それで安泰です」

 川田は釈然としない顔で首を傾げながら「はい。和尚さまがそういうなら……」と、言った。




 お土産屋には、座敷わらしへのお供え用の駄菓子コーナーがあった。

 ここにも可愛らしい座敷わらしのイラストのポップがあり、その吹き出しに『座敷わらし様にお菓子を買ってあげよう』などと記してある。

 桜井と茅野の二人は、うまい棒をそれぞれ一本ずつ購入する。

 因みに桜井は明太子味で、茅野が納豆味である。

 それから吹きざらしの渡り廊下を歩き、離れの間へと向かった。

 等間隔で建ち並ぶ丸太の柱と、頭上で屋根を支えるはりは神社の鳥居めいて見えた。

 渡り廊下の入り口に備えつけてあった下駄をカラコロと鳴らし、二人はその茅葺かやぶきの平屋へと到着した。そのまま、中に入り座敷にあがる。

 そして床の間と、お供え物、立て看板を見渡して桜井は感心した様子で頷く。

「やっぱり、座敷わらしにぐいぐい乗っかってるねえ……」

「一応、監視カメラはあるみたいね」

 茅野は天井の見あげながら言った。

 桜井は床の間に置かれた玩具類に目線を移す。

「ねえ……」

「何かしら?」

「花札とかトランプは解るけどさあ。将棋は子供には難しいんじゃあないかなあ」

 桜井の目線の先には、床の間に置かれた将棋盤があった。

 マグネットタイプの折り畳み式で、盤は開かれており駒も並べられていた。

 茅野は微笑みながら桜井の言葉に首を振る。

「そんな事はないわ。ルール自体は簡単なゲームよ」

「へえ……じゃあ今度、教えてよ」

「いいわよ」

「やったー」

 と、無邪気に喜ぶ桜井。うまい棒を御供え机に乗せる。

「それじゃあ、そろそろ、お供え物してお祈りしよっか」

「そうね」

 茅野もうまい棒を供える。

「何か、お願い事をした方がいいのかな?」

「願うだけなら只だし、構わないのではないかしら?」

「じゃあ、今年もたくさんいいスポットに巡り合えますように……」

「いや、貴女は膝の事をお願いしなさい。それから今年はもう終わるわ」

「あ、そだね……それで、循はどんなお願いをするの?」

 桜井の問いに茅野はどや顔で胸を張りながら答える。

「それはもちろん“我が願望を百万個叶えてください”よ!」

「それもどうかと思うよ……」

 ……などと、知能指数の低そうな会話を交わした後に二人は床の間で手を合わせ、離れを後にした。




 それから二人は旅館の庭を散策して部屋に戻り、ごろごろだらだらと過ごした。

 色々と出歩きたいのも山々であったのだが、桜井の膝の調子が悪いのでいたかたなしである。

 桜井はスマホで漫画を読んだり、茅野は持参した黒死館殺人事件を読んだり、二人でポーカーをやったりして適当に時間を潰す。

 それから十六時過ぎに仮眠を取ってから、再び温泉に繰り出した。

 たっぷりと湯に浸かり、部屋に戻ると夕食となった。

 献立こんだてはブランド牛のすき焼きに刺身の盛り合わせ、焼き魚、山菜と茸の天婦羅てんぷらなど……特に特筆すべき事がないほど普通だった。しかし、それなりに美味である。

「それにしても、のんびりしていいけど……流石に身体がうずいてきたよ。ちょっとでいいから旅館の外に行かない? 無理はしないから」

「そう言うと思って、色々と調べていたの。明日はこの近くにある日帰りの大浴場に行きましょう。七種類の内風呂に露天風呂、四種類もサウナがあって、中々魅力的な場所らしいの」

「循って、サウナ好きだよね。あたしも好きだけど循ほどじゃあないよ」

「あの水風呂に入った時の酩酊感めいていかんが堪らないの……」

 と、茅野が恋する乙女のようにうっとりとサウナの魅力について語り出し、桜井がそれに耳を傾けつつ夕食は続く。

 夕食が終わると今度はバカラをしながら取りとめもない会話に終始する。

 それに飽きてくると茅野のタブレットでルチオ・フルチのサンゲリアを鑑賞する。

 映画が終わったあと、桜井は『なぜ、この映画の元々のタイトルは“ゾンビ2”なのか』と茅野に問うと、彼女は物憂ものうげな表情で、

「それに関しては長い話になるわ……」

 と、嘆息たんそくしイタリアホラー界の重鎮二人による血で血を洗う抗争から和解までの顛末てんまつを語り始めた。

 それについては、物語といっさい関係がないので割愛する……。


 ともあれ、その話を聞き終えた桜井は心底どうでもよさそうに「ふうん」と言った。

 そこで二人とも眠くなってきたので就寝する事にする。


 そうして、桜井梨沙は再び奇妙な夢を見る事となった――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る