【05】夢


 それは二〇一二年の八月十一日だった。

 白蝶旅館に宿泊したある男性客が帰り際、女将にこんな事を言ったのだという。

「不思議な体験をした……」と。

 何でもその客によれば、夜ふと目を覚ますと枕元に白い振袖姿の少女が立っていたのだという。

 その少女がこんな事を言ったらしい。


「仕事を先に終わらせよ」


 その男性客は著名な脚本家であった。

 このとき彼は、確かにある仕事を抱えていたが、どうにも行きづまってしまい、気分転換もかねてこの月夜見温泉郷へとやってきていたのだ。

 しかし、それでもどうにも乗り気にならず、いったん都内の自宅へ帰ったあとに、羽田から飛行機に乗ってハワイの知人の家へ遊びに行くつもりだった。

 まだ締切しめきりまでには時間があり、何か切っかけがあれば充分に進捗しんちょくの遅れは取り戻せる……そんな状況であった。

 きっと、その事について少女は言っているのだろうと、脚本家の男はすぐにピンときた。

 しかし名前も、顔も知らない少女がなぜ、自分の置かれている現状を知っているのか。

 声をかけようと口を開いたが声が出ない。

 そこで彼はようやくその少女が、この世の者ではないと気がついたのだという。

 その話を聞いた女将は、客の男が寝ぼけて夢でも見たのだろうと思い、そのときは適当に聞き流して済ませた。

 脚本家の男はというと白蝶旅館から東京の自宅へと帰った途端に、次から次へと行き詰まっていた仕事のアイディアが溢れてきたのだという。

 そうして、彼は既に連絡していたハワイの知人に、来訪を取り止める旨を電話で伝え、あの不思議な少女の言う通り仕事に励む事にした。

 すると、その翌日の朝、脚本家が搭乗する予定であったボーイング機が羽田から飛び立った二時間後に、機体のトラブルで海上に不時着するという事故が発生した。

 幸いこの事故では軽い怪我人が数名出た程度で死者はいなかった。

 しかし脚本家の男はテレビのニュースを見て、ゾッとしたのだという。

 そして、後にあるラジオ番組で、このエピソードが紹介される。

 以降インターネットのオカルト系のまとめサイトやテレビ番組で、ときおりではあるが取りあげられるようになった。




「……元々この辺には座敷わらしにまつわる伝承があったの。だから、その少女の正体も座敷わらしなのだろうという事になったのよ。それでこの旅館は座敷わらしの住む宿として有名になったという訳」

「ふうん……七年前って、割りと最近なんだね」

 灰色の寒空へと立ちのる湯気をぼんやりと眺めながら、桜井はいつもの気の抜けた相づちを打つ。

 二人は饅頭まんじゅうとお茶で一息吐いたあと、旅館の裏手にある大浴場の露天風呂に浸かっていた。

 余談であるが、この二人にはライトノベルや深夜の美少女アニメで良く有りがちな『女の子同士の過剰なスキンシップで、おっぱいを触り合う的なやり取り』は起こらない。

 なぜなら桜井梨沙が『寝技が決めにくくなるから』という理由で今のサイズで満足しているからである。彼女はおっぱいにあまりこだわりがないのだ。

 茅野の方も“持っている女”の余裕なのか、その辺りはどうでもよいと思っており、二人の入浴は落ち着いた静かなものだった。

「……ただ、この地方の伝承によると、座敷わらしが家にいる事を口外してはならないらしいわ」

「何で?」

「理由は二つ考えられるけれど……まず一つ目は、妬まれて余計な揉め事にならないようにね」

「成る程ね。可愛らしいロリショタが家に住み着いたなんて知れたら、その手のマニアに嫉妬されちゃうよね」

「いや、そうではなくて……ていうか、梨沙さん、いつの間にそんな単語を……」

 驚愕する茅野。ロリは兎も角、ショタは明らかにオタク用語である。

 桜井は得意気な顔で右手の人差し指を立てる。

「あたしも色々と勉強しているのだよ」

「そ、それは、頼もしいわね……」

 茅野は親友の無駄な知識欲におののきながら、話を軌道修正しにかかる。

「それで、二つ目だけれど、座敷わらしの存在自体が隠すべきものだからよ」

「なるほど……いや、やっぱりわからん。どゆことなの?」

「座敷わらしが、何らかの理由で死んだ嬰児えいじの霊であるという説は電車の中で話したわよね?」

「うん。聞いた」

「その“何らかの理由”が、口べらし・・・・の為の間引き・・・・・・だったとしたら?」

「ああ……」と桜井は渋い表情をした。

「そういった子供を手厚く奉って、祟られないように家の守護者とした。それが座敷わらしとなった。……この辺りは、祟り神のシステムと似通っているわね」

「なるほど。それなら座敷わらしが家にいるだなんて言えば、子供を殺したって言っているようなものだしね」

 桜井は納得した様子で頷く。

「もっとも、座敷わらしは家を出て他所の土地へ行く事もあるから、必ずしもそうとは言えないのだけれど」

「でも、悪い噂の元となり、余計なやっかみを買う……と」

「そういう事よ」

 と、茅野は話を締めくくり、

「それはそうと梨沙さん。膝の調子はどうかしら?」

 その質問に桜井は苦笑しながら答える。

「まだわからないよ。温泉に入ったばかりだし。……でも、何か気持ちいいかも」

「そう。何よりだわ」

 そう言って茅野は、ざばん……と勢いよく立ちあがる。

「それなら、次はサウナよ!」

「何が“それなら”なのかはわからないけど、お供するよ……」

 桜井も立ちあがる。

 こうして二人は温泉をたっぷりと満喫まんきつした。




 桜井と茅野の二人は浴衣に着替え終わると食堂へ向かった。

「けっこうな盛況振りだね」

「そうね。温泉街は寂れた印象だったけれど、この旅館は違うみたいね。これも座敷わらしの力かしら?」

 和モダンを基調とした店内の席は、八割程がうまっていた。

 二人は硝子張りの壁際にあるテーブルに向かい合って座る。

 外には躑躅つつじの生け垣があり、その向こうには駐車場が見えた。

 桜井と茅野は白い振袖姿の少女のイラストが描かれているメニューを開く。

「座敷わらし御膳ごぜんだって。ぐいぐい乗っかってるみたいだねえ。あたしはこれにしよっと」

「私はこの何の変哲もない、どこに行っても食べられそうな醤油ラーメンにするわ」

 ……そんな訳で二人は昼食を取る。

 座敷わらし御膳は、手鞠寿司てまりずしや刺身、天婦羅てんぷらなどが、十二升に区切られたお重に盛りつけられていた。

 桜井的には見た目も可愛らしく味も満足だったが、ボリューム面に関しては少し不満そうだった。

 そして茅野の醤油ラーメンはというと……。

「普通ね」

「それは、まあそうだろうね。……ところで、この後はどうするの?」

 桜井の問いに茅野はテーブルの上にパンフレットを開きながら答える。

「離れが“座敷わらしの間”になっているらしいわ。そこに行ってみましょう。お供え物ができるそうよ」

「面白そうだね」

 こうして二人は昼食が終わると、くだんの離れへと向かった。

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