【02】チョウピラコ


 車窓の向こうを過ぎ去る山間の田園風景は、くすんだ茶色に染まっていた。遠くの山々を覆う木々も、すっかりと冬支度を調え終えている。

 二〇一九年十二月二十七日の朝、茅野と桜井は、いつものように藤見市から電車を乗り継いで、山形との県境にある月夜見市を目指した。

 その車中での事だった。

「そういえばさあ……」

 四人がけの席に向かい合って座る二人。

 ふと話題が途切れたのをきっかけに、桜井が切り出す。

「昨日、おかしな夢を見ちゃって」

 そう言って、あわわ……と、欠伸をする。

「それで、中途半端な時間に起きちゃって、それから眠れなかったんだよね……」

「あらあら。それなら少し寝てなさい。まだ月夜見に着くまで時間があるわ」

「うん。そうしようかな……申し訳ないけれど。何だか急に眠たくなってきたよ」

 桜井は、むにゃむにゃと目尻をこすった。茅野が鞄の中から暇潰し用に持ってきた小栗虫太郎の黒死館殺人事件を取り出す。

「……それで寝る前に、どんな夢だったのか参考までに教えて欲しいのだけれども」

 茅野の問いに桜井は腕を組み、頭上の網棚をぼんやりと見あげてから答える。

「全然、覚えてないんだけど……」

「けど……?」

 

チョウピラコ・・・・・・


 その桜井の言葉を聞いた瞬間、茅野は大きく目を見開いた。

「梨沙さん……その言葉をどこで?」

「えっ、だから夢で。どういうシチュかは覚えていないんだけど、誰かがそんな事を言っててさあ……意味は解らないんだけど、その言葉だけ妙に印象に残っていて」

「じゃあ、その夢以外では聞いた事がないのね?」

「うん、まあ……覚えはないかな」

 鹿爪らしい顔の親友に、ただならぬ雰囲気を感じ取った桜井は、きょろきょろと車中を見渡す。

 ……乗客はまばらで、閑散としていた。

 声をひそめて問い返す。

「もしかして、何か人前で口にしちゃいけない、えっちなやつだった?」

「違うわよ。何でチョウピラコが卑猥ひわいなのよ」

「じゃあ、何なのさ?」

 どうやら、すっかり目が覚めた様子の桜井であった。

 そんな彼女の問いに、茅野は黒死館殺人事件の文庫本をパタリと閉じながら答えた。

「チョウピラコっていうのは、座敷わらしの事よ」

「……何か、可愛いやつだっけ?」

 桜井のざっくりとした認識に首肯しつつ、茅野は解説を始める。

「座敷わらしとは、座敷、または、蔵に住む子供の姿をした妖怪と言われるわ。姿を見た者や、その住み着いた家に幸運をもたらす事で有名ね。また、ときおり家人に他愛もない悪戯を仕掛けたりもするの」

「ふうん」

「……で、その座敷わらしにも、種類とか位がいくつかあるんだけど、中でも、もっとも位の高い座敷わらしが“チョウピラコ”と呼ばれているわ」

「ふえー、全然知らなかった」

 自分が口にした言葉の意味を知り、目をぱちくりさせる桜井。

「どこかで耳にした事があったのかな? チョウピラコって言葉」

「確かに、夢は、そういった潜在意識の底に沈んでいたような記憶が反映される事もあるわ。でもね……私が驚いたのは、そこじゃないのよ」

「ん? どゆこと?」

 桜井が首を傾げる。

「実はね。これから私たちが泊まる旅館というのが座敷わらしの出る宿として有名な場所なのよ」

 この茅野の言葉に桜井も驚く。

「ええっ。それは偶然……なのかな?」

 茅野は首を横に振る。

「まだ何とも言えない……流石に偶然にしてはできすぎているとは思うけど」

「むむむ……これは、座敷わらしに歓迎をされていると見て、間違いないのかなあ?」

「だったら、幸先がよいのだけれど……」

 意味ありげに苦笑する茅野。その様子を怪訝けげんに思い、桜井は首を傾げた。

「どうしたの?」

「本当に私たちが歓迎されているのなら、それでいいけれど、座敷わらしの中には祟るモノもいるから……」

「え、そうなんだ」

「民俗学者の佐々木喜善先生の著書によると、座敷わらしは元々、幼くして何らかの理由で亡くなった子供の霊だとされているの。……昔、こうした子供たちは、人間であると見なされず、お勝手の土間や庭先に埋葬されていた」

「昔の人ってクソだね」

 桜井がばっさりと切り捨て、茅野の話は更に続く。

「こうした嬰児えいじの霊が祟る事を、座敷わらしの本場である岩手や青森では“たたりもっけ”と呼んでいたの。逆にこれを、手厚く奉り、神としたものが座敷わらしだといわれているわ」

「ふうん……」

 と、いつもの気の抜けた相づちを打つ桜井。

 すると茅野は肩をすくめて、

「まあ、これは数ある解釈の一つでしかないわ。座敷わらしの正体は家を火災から守る火の神であるという説もあるし、大工の呪い説なんていうのもあったりする」

「だいくの……のろい……?」

「高橋貞子の著書だと、昔、大工は気持ちよく仕事ができなかったり、仕事先の家の人が無礼を働いたりすると、その家に呪いをかけた人形ひとがたの木片を仕込んだらしいの。それが座敷わらしとなって夜な夜な不気味な音を立てたり、勝手に物を動かしたりと悪さをするのだとか」

「まあ、それくらいなら可愛いものだけど……」

 桜井の感想に、茅野はクスリと笑う。

「そうね。でも座敷わらしが去った家には不幸が訪れる……なんていう伝承も有名だわ。ここまでくると疫病神よ。もう」

「それはもう、なんか逆に座敷わらしなんかに居着いて欲しくないよね。どうせ、出ていくならさあ」

 と、渋い顔をする桜井。茅野がすかさずフォローする。

「……でも、そういった『座敷わらしが出てゆくと不幸になる』といった伝承は、“六部殺ろくぶごろし”と一緒に語られたのではないかと柳田國男先生の著書にあったわね」

「ろくぶ……ごろし……?」

「六部殺しというのは、宿を貸して欲しいとやってきた旅の巡礼僧を殺して、その財を奪い取った旧家の一族が後に祟りに合うという伝承ね」

「ふうん」

「そのオチについては色々なパターンがあるんだけれど、この中で『六部殺しを行った旧家が没落する』というものがあるわ。座敷わらしが出ていったあとの家のように」

「じゃあ、座敷わらしは、その六部殺しの風評被害を受けてるんだね。可哀想」

 桜井は本気で少し憤慨ふんがいした様子だった。

「まあ、『そもそも、座敷わらしが居心地悪くて出ていく家なんか、遅かれ早かれ何らかの不幸が訪れたのではないか』という、もっともな意見もあるわ」

「座敷わらしが出ていった事が原因じゃなくて、一つの結果だったって事だね?」

「そうね」と茅野は首肯する。

 すると電車が次の駅に停車する為に減速を始めた。車内アナウンスが鳴り響き、何人かの客が荷物を持って立ちあがる。

 そこで、桜井が車窓に映る山間の村落そんらくを眺めながら、おもむろに問うた。

「そういえばさあ、そういう座敷わらしの出る宿って凄い人気なんでしょ? よく部屋が取れたよね」

「ええ。私も駄目元で電話をかけたのだけれど、ちょうどキャンセルが出たところだったらしいわ」

 桜井は何とも言えない表情で、

「やっぱり、招かれているねえ。これは……」

 と、言った。

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