【01】温泉旅行


 藤見市の繁華街から少し外れた位置にある『洋食、喫茶うさぎの家』

 桜井梨沙の姉夫婦が営むレトロでメルヘンな雰囲気をコンセプトにした洋食屋である。

 それはクリスマスも慌ただしく過ぎ去った十二月二十六日。

 十八時を過ぎた頃には、席は全て埋まり、一気に店内の活気が増す。

 そんな中、カウンター内では桜井梨沙と、そう歳の変わらないように見える小柄な女性が、プリンアラモードと苺パフェとチョコバナナパフェを同時進行で手際よく作っていた。

 桜井の実姉の武井智子である。

 ふりふりのメイド衣装姿は年齢に不相応な愛らしさがあったが、トッピングを盛りつける目付きは職人のそれである。

 そして、その背後の厨房と繋がった小窓から、ぬっ、と顔を見せたのは、彼女の夫である武井建三だった。

 建三は明太子パスタとミートドリアを小窓の外の台に置く。

 それを丸盆に乗せて、代わりにオーダーの伝票を置いたのは――。

「オーダー入ります。ナポリタン一つ、オムハヤシ一つ、チキンライスのディナーセット……」

 ふりふりのメイド服を身にまとった茅野循である。

 そして、その働きぶりをカウンター席の隅でニマニマとしながら見つめる桜井梨沙の姿があった。




 来客の嵐は過ぎ去り、閉店となった。

「いやあ、素晴らしい働き振りだったよ。循」

 などと、偉そうにパラパラと拍手をするのは、桜井梨沙である。

 本来なら彼女が十二月二十四日から二十六日まで、このうさぎの家でアルバイトをするはずだった。

 しかし、先の県外遠征の際に膝の古傷を悪化させてしまう。

 本人は平気だと言い張ったが、武井夫妻にバイトを休むように強く言われ止められてしまう。

 そこで桜井の代打を買って出たのが、茅野循であった。

 茅野の変人振りを知る者からすれば忘れがちであるが、基本的に彼女は“いいところのお嬢様”である。もちろんバイトなど生まれて始めての経験だった。

「中々大変だったけど、面白かったわ」

 桜井の隣に座った彼女がそう感想を漏らすと、レジ締め作業をしながら智子が言った。

「本当に助かったわ……循ちゃんのお陰で。本当にごめんね? いつもなら、そねちゃんに出てもらうんだけど」

 この店にはもう一人、曽根崎好美そねざきよしみという大学生のアルバイトがいる。

 しかし彼女は現在、海外旅行に出かけて不在である。そろそろ帰国している頃だが、曽根崎のシフトは明日からとなっている。

「本当にウチのバカ妹のせいで……。せっかくのクリスマスにまで」

「いえいえ。私が連れ回して梨沙さんに怪我をさせたのが悪いのだから当然の事です」

 茅野はそう言って、天使のように微笑む。

 因みに茅野循の、桜井家での評価はすこぶるよい。

 多少・・変わった・・・・ところはある・・・・・・ものの・・・、こんな品行方正なお嬢様がなぜ梨沙などの友だちに……と、家族全員が不思議がっていた。

「どうせ、ウチの妹が無茶やらかしたんでしょ?」

「お姉ちゃんは循の本性を知らないから……けっこうあたしより無茶苦茶やらかすし。てか、あたしより無茶苦茶だし……」

 桜井が唇を尖らせてそう言うと、なぜか茅野は嬉しそうな顔で「お誉めに預かり光栄です。お嬢様」と慇懃いんぎんな礼を述べた。

 すると、厨房の方から建三が、ぬっと顔を出す。

「……これ。茅野さんと梨沙ちゃんに。食べていいよ」

 そう言って、二つの皿を出した。

 どちらもハヤシライスの上にメンチカツが乗っている。

「うわーい!」と、桜井が諸手もろてをあげてよろこび、茅野は丁寧に「ありがたく、いただきます」と頭をさげた。

 二人は早速、食べ始める。

「いやあ……労働の後のご飯はおいしーね」

 などと、言ってのける桜井に姉の智子は当然の如く突っ込む。

「あんたは何もやってないでしょ」

 そうして、四人分の珈琲を入れ始めた。




 まかないのメンチハヤシライスを食べ終わり、暖かい珈琲で一服した後に、二人は帰路に着く。

「それにしても、ずいぶんな盛況振りだったわね」

「まあ、お姉ちゃんたちにとっては嬉しい悲鳴だろうけどね。……でも、やっぱり、ちょっと複雑そうだったよ」

「……でしょうね」

 今年のお盆休み開けに、智子のメイド服姿がSNS上にあげられ、ちょっとした反響を呼ぶという出来事があった。

 それ以来、客足がにわかに増え始めたのだという。

「……ウチのお姉ちゃんは、マニア受けしそうだからねえ」

「智子さんも、貴女には言われたくないと思うわ」

 ……などと会話を交わしながら、薄暗い細い路地を歩く。

「そう言えば梨沙さん。いきなりなんだけど……」

「なーに?」

「もしもよかったら、明日から湯治にでも行かないかしら?」

「本当にいきなりだね」

 と、呆れつつ満更でもない様子の桜井であった。

「……場所は?」

「月夜見温泉よ」

「ああ……ちょっと前にどこかで聞いた事がある」

 月夜見温泉はさほど有名ではないが、山形との県境の山間に所在する、歴史ある温泉郷である。

「膝に効けば嬉しいけど……」

「関節や傷によく効くらしいわ」

 茅野はあの蒐集家の館で、すぐコルクの場所に気がつく事ができず、桜井を危ない目に合わせてしまった事を気にしていた。それで、この温泉旅行を計画したのだ。

「いいねえ。新年からまたバイトだから、それまでに膝の調子を整えたいところだけど……」

「ふふっ。……ならば決定ね。宿は実はもう取ってあるわ。梨沙さんが駄目なら薫を連れて行こうと思っていたけれど」

「それは、何だかもうし訳ないね……」

「いいのよ。それからヌルめのスポット・・・・・・・・探索を予定しているわ」

 その言葉を聞いた瞬間に桜井の瞳が綺羅星きらぼしの如く輝く。

「ますます、いいねえ!」

 先日、奥多摩の心霊スポットで死ぬような目にあったにも関わらず、やはり懲りていなかった。

 丁度そこで、二人は桜井家の前に到着する。

「取り合えず、心霊スポットについては、現地に着いてから説明するわ。ヌルめといっても、今までとは違った趣向できっと楽しめると思うの」

「うーん……焦らすね。気になる」

「まあまあ。今日は早めに寝なさい。明日の九時頃に駅で。ああ……二十七から二泊三日で構わないわよね?」

「うん! いいよ」

 桜井は茅野の問いに勢いよく頷いた。

「寝坊しちゃ駄目よ? お休みなさい」

「循もね。おやすみ」

 こうして、二人はその日別れた。




 このあと、入浴を済ませ、大人しく就寝した桜井はおかしな夢を見た――。

 しかし起きた瞬間に、その記憶は綺麗さっぱり失われてしまった。

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