【03】穴持たず


 茅野がカメラに取りつけたLEDライトを点灯する。桜井もペンライトをつけた。

 二人は館内を照らす。

 すると玄関ホールから両翼に廊下が延びていた。

 両翼の廊下は館の左右から回り込むように裏手へと続いている。

 玄関ホールの奥にも扉口があったが、扉板は床に倒れていた。

 その向こうには廊下が真っ直ぐ延びており、左右にそれぞれ二つずつの扉があった。左手の奥には階段が見える。

 階段の回りにはスペースがあり、突き当たりには簡素な扉が見えた。

 二人は玄関扉の向こうから聞こえるくしゃみと咳を背に正面の廊下を進む。

 天井に並ぶ照明には蜘蛛の巣がかかっており、床に積もった埃には侵入者たちの足跡がいくつか浮いていた。

 しかし、破損したり持ち込まれたゴミが散乱していたりといった事はなく、この手の廃屋にしては綺麗と言えた。

 その理由が、山奥の僻地へきちという立地によるものなのか、例の雀蜂による被害が人を遠ざけたのか、もしくはその両方によるものなのかは解らない。

 桜井はネックストラップに吊るしたスマホの画面をのぞき込みながら、眉をハの字にする。

「携帯の電波は届いていないね……」

「まあ、そうでしょうね」

 さして驚く風でもなく茅野は言った。

 因みに時刻は十二時になったばかりである。

「これから、どうする……?」

 桜井の問いに茅野はあごに指を当てて思案顔をする。

「……そうね。まずは二階へいってみましょうか……打ちつけられた板の隙間かどこかから表の様子が窺えればいいんだけど。安全な逃走経路を確認しましょう」

「りょうかーい」

 階段の正面にはトイレの扉、洗面所と浴室への入り口が並んでいた。

 奥の突き当たりの扉の向こうはどうやら厨房らしい。

「熊さん……帰ってくれればいいねえ」

「熊は基本的に臆病な動物だから、あれで退いてくれるとは思うけれど……それは、まともな熊である場合よ」

「あの熊さんはまともじゃないの?」

 二人は階段を登る。

「マタギには、こんな言葉があるらしいわ。『穴持たずには手を出すな』」

「あな……もたず?」

「穴持たずというのは、何らかの理由で冬眠に失敗した熊の事よ。空腹だと、とんでもなく狂暴性が増すというわ。日本最大の獣害事件として有名な 三毛別羆事件さんけべつひぐまじけんも 、冬眠に失敗した穴持たずのひぐまが起こしたとされているの」

「お腹が減ると、イライラするもんねえ……」

 桜井は渋い表情で自らの腹部をさすった。

「冬眠失敗の原因で一番に考えられるのは気候変動の影響だけど……」

「最近は今の時期でも暖かいしね」

「あの熊は立ちあがれば、私と同じくらいか、それ以上の高さがありそうだった。これは月輪熊にしてはかなり大型よ。この辺りにあの熊の身体が収まるような穴がなかったのかもしれない」

「なるほど。やっぱり大きければいいってもんじゃない訳か……」と、なぜか嬉しそうな桜井。

 そんな会話をしながら、二人は二階に辿り着く。

 階段から右側、つまり館の正面方向に延びた廊下には、一階と同じように左右二つずつの扉があった。

 反対の左側はすぐに突き当たりとなっており、板の打ちつけられた窓があった。

 その窓に向かって左側には洗面所とトイレへと続く入り口が開いている。入り口前の天井からは、屋根裏へと続く梯子はしごがぶらさがっていた。

「屋根裏は気になるけれど、今はそれどころじゃないわね……」

「うん。とりあえず玄関にいた熊さんがどうなったのか見たいね」

 玄関方向へ延びた廊下の突き当たりにも窓があった。二人はその窓際へと向かう。

 そして、板の隙間から玄関前を覗くと……。

「いるよ……」

「いるわね……」

 黒い巨体が……のそ……のそ……と、玄関前をうろついている。さしもの二人もこれには落胆せざるを得なかった。

 しかし……。

「……まあ、それならそれで仕方がないわね」

「だね」

 気持ちの切り換えも素早かった。

「取り合えず、探索をして時間を潰しましょう。それでもあの熊がまだいるようなら、そのときはそのときでまた考えましょう」

 茅野が諦めた様子で笑った。

「焦っても仕方ないしね。まったりいこう」

 桜井はいつものように呑気な調子で言った。

 それは、とても死地にいるとは思えない余裕に満ちた表情だった。

 二人は、二階の部屋から探索を始める事にした。




 館の正面に面した窓に背を向けて、廊下の右側にある扉は二枚とも、くだんのコレクションルームに通じていた。

 室内はかなり荒らされている。

 並べられたショーケースは全て割られていた。床には硝子片が散らばっている。

 ショーケースは中身が空の物もあれば、まだ品物が残っている物もあった。

「……ソチミルコの人形島の人形……どう見ても普通のキューピー人形だけれど」

「こっちにも人形があるよ。えーっと……アナベル人形の妹、イザベラだって。……誰だよ」

 桜井の突っ込みに茅野は「アナベル人形は有名だけれど妹がいるだなんて初耳だわ」と肩をすくめる。

 そして……。

「信長の使っていた髑髏どくろの杯……もう何でもありね」

「エリア51の砂……いや、砂じゃん」

「オレゴンボルテックスの木の枝……普通の捩れた枯れ枝だけど」

「こっちは呪われた缶詰だって……ぱんぱんに膨らんでて爆発しそうだよ。ラベルがはがれてる。シュールストレンミング?」

 ……などと、二人はショーケースに残された説明書きに目を通してゆく。

 そして、一通り見終わると、呆れた様子で肩をすくめ顔を見合わせる。

「どれが本物かよく解らないねえ」

「……ていうか、全部、嘘臭いわね」

 茅野は腰に手を当てて溜め息を吐くと、部屋の入り口へと向かう。

「取り合えず、他の部屋を見てみましょう。書斎か何か……どこかに小宮山氏の記録が残されているかも」

「そだね。何かヒントがあるかも」

 二人はコレクションルームを後にした。

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