【04】呪物の正体


 廊下を挟んでコレクションルームの反対側に並ぶ二枚の扉……そのうち向かって右の扉は寝室に通じていた。

 調度類は落ち着いた色合いのアンティーク家具。そのどれもが破損したり汚れたりしている。

 木製フレームのベッドには、まだ寝具が残されていたがほこりにまみれていた。

 四脚の棚やサイドボードが、砂まみれの絨毯じゅうたんの上に転がっている。

 その他には、だらしなく引出しが開いたままの洋箪笥、扉の外れたクローゼット、動かない柱時計など……。

 入り口の正面には襤褸布ぼろきれのカーテンが掛かっており、その隙間から硝子張りの壁が見えた。やはり外から木板が打たれている。左側にはベランダへと通じる扉があった。

「これ全部、桃花心木マホガニー製ね。勿体ない……」

 室内を見渡しながら茅野が嘆息した。

「お高いのかしら?」と、桜井が気取った調子で聞くと、茅野が同じく気取った調子で「ええ、とっても……」と言葉を返す。

 それから数分間、室内を探索するも古びた衣類や小物以外、特に変わった物はない。

 そろそろ切りあげようか……と、茅野が言おうとしたところ、部屋の隅で桜井が声をあげた。

「循」

「何か見つかったのかしら、梨沙さん」

 茅野は桜井に近づいた。

「お酒の瓶だよ……」

 桜井が空の瓶を茅野に手渡した。

 四合の大きさで、ラベルにはアルファベットではない文字が並んでいる。

「それ、何語だろう」

「現代ヘブライ語ね。イスラエルの公用語よ」

「何て書いてあるの?」

「ガリヤラ・ カベルネソーヴィニヨン……イスラエル産の赤ワインの瓶みたいね」

 再び茅野が桜井に瓶を手渡す。

 桜井は興味なさそうに瓶を床にそっと放った。

 絨毯の上に落下した瓶は、ごとり……と、音を立てて転がる。

「ここは、もういいわね。隣の部屋に行きましょう」

「うん」

 二人は隣の部屋に向かった。




 寝室の隣は書斎だった。

 中はやはり荒らされており、両脇の壁にある書架はほとんど空っぽで、床には沢山の本が散らばっていた。

 どれもオカルト関連の胡散臭い書籍ばかりで、小見山自身の著作もいくつかある。他には英語、ラテン語、ヘブライ語などの洋書が何冊か見受けられた。

 入り口から反対側の壁は寝室と同じで硝子張りになっており、外から板を打たれていた。やはり左側にはバルコニーへの扉がある。

 その硝子張りの壁の前には大きな書斎机が鎮座している。

 天井には少し大袈裟なシャンデリアが蜘蛛の巣にまみれていた。

「これは……」

 茅野は扉口の床に落ちていたメダルを拾う。真っ黒に腐蝕しており、表面の図案はよく解らない。

「外国のお金?」

 桜井が茅野の手元を覗き込みながら問うた。

「解らないわ」と茅野は首を振り、部屋を見渡す。

「同じ物が部屋中にいくつか落ちているけれど……酸化した銀貨かしら?」

「ねえ、循……」

 おもむろに桜井が入り口の方を振り向いて声をあげる。

 茅野も振り返る。

かびかな……?」

 桜井が入り口の周辺の壁を指差す。

 緑の地に白い百合……アールヌーボー調の壁紙。

 そこには、蚯蚓腫みみずばれのような赤黒い染みがいくつも浮いている。

 茅野は腕を組み合わせ壁を見つめる。

「寝室の壁は特に何もなっていなかったわ」

「そだね。この部屋だけ陽当たりが悪かった……って事はなさそうだけど」

 茅野はしばらく思案すると、

「……取り合えず、書斎机をあさってみましょう」

「らじゃー」

 その書斎机の上には、古い型のデスクトップパソコンが乗せられていたが、ディスプレイは割られ、キーボードも多くのキーが抜け落ちていた。

 取り合えず二人は引出しをあさり始める。

 万年筆や鉛筆、消ゴムといった文具に手書きのメモや手紙、ノート……そして、いくつかのUSBメモリーやCDロムなどなど……。

 その中で茅野が着目したのは、

「これは……」

 一番上の引出しに入っていた処方箋しょほうせんの袋だった。

「SU薬、ビグナイド薬……」

「何それ? 何の薬?」

 と、桜井が首を傾げる。すると茅野は大きく目を見開き、さっきの赤黒い染みの浮き出た壁に目線をやる。

「梨沙さん。多分、本物の呪いの品が何なのか解ったわ」

「え……本当に?」

「ええ。呪われた品は、あの寝室に転がっていたワインの瓶よ」

「……あれが?」

 桜井はいぶかしげな表情をする。

「循の事は信じているけど、呪われた空瓶って……」

「まあ信じられないのは解るわ」

 茅野は苦笑する。

「どう見ても単なるゴミだもの。……でも、多分、間違いない。そもそも、あのワインの瓶がこの館にある事がおかしいのよ」

「なるほど……いや、嘘。どゆこと?」

 桜井に問われ、茅野は処方箋の袋をつまみあげる。

「理由はこれよ」

「そのお薬が……?」

 茅野は頷いて再び袋を引出しの中に戻した。

「SU薬、ビグナイド薬……どちらも糖尿病の経口治療薬よ。まだ患者の膵臓すいぞうがインスリンを作る力を完全に失っていない場合に処方される薬ね」

「ふうん……。あっ、だから寝室にワインの空瓶が転がってるのは、おかしいって事か!」

 桜井がぽんと右手を打ち合わせる。

「その通りよ。梨沙さん。大正解」

「わーい」

 茅野の言葉に諸手もろてをあげて喜ぶ桜井。

「糖尿病の人がお酒なんか飲む訳がないわ。そして小見山氏は晩年、人との交流を絶っていた。あれが客に向けて出された物だとも考えにくい。ましてやイスラエル産のワインなんて物を、この館へと肝試しに訪れた輩が持ち込んだとも思えない。そして、何より……」

 そこで言葉を切って、目線をさっきの蚯蚓腫れのような染みがいくつも浮き出た壁を見る。

「あの壁の染み……さっき気がついたのだけれど、あれ全部、ヘブライ語よ」

「ヘブライ語ってワインのラベルの文字だよね?」

 桜井の問いかけに茅野は頷く。

「そうね。……あそこに全部、書いてあったわ」

 そう言って、入り口の周囲の赤い染みが浮かぶ壁を指差した。

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