【16】後始末


 流石に今回は目撃者が三人もいるので匿名で済ます事もできず、桜井と茅野は警察の事情聴取を受けるはめとなった。


 『学校の先生の知人が行方不明になり、興味本意で住居を訪ねた。すると、悲鳴が聞こえたので四〇四号室に侵入を果たしたところ、倒れた江島と血塗れの水城、ゴルフグラブを持った女と遭遇した。部屋の鍵は開いていた』


 ……これが警察に対しておこなった、二人の供述であった。

 因みに江島には相田宅の不法侵入の件を黙っているかわりに口裏を合わせてもらった。

 相田には『次の日曜日に先生のお宅で、補助錠の取りつけと盗聴器の除去をするついでに、すべてを話します』とメッセージを送った。


 ……そして、次の日曜日になった。



 家中のコンセントカバーを順番に外し、手際良く江島の仕掛けた盗聴器を除去してゆく茅野。

 その背中に相田は疑問の声を投げかける。

「おい、茅野」

「何でしょう?」

 茅野は作業をする手を止めぬまま返事をする。

「確か……私の記憶が正しいなら、コンセントカバーの中をいじるのには何かの資格が必要なんじゃなかったか?」

「ああ……電気工事士二種なら小学校四年の夏休みに取りましたよ」

「小学校四年て……」

 相田は瞳を瞬かせて驚く。

「あれ、思ったより楽に取れますよ?」

「いやでも、小四て……」

「もっと早く取った人もいるらしいです」

 茅野は事もなげに言う。

 その頃、桜井はリビングの応接で、持参した手作りクッキーをかじりつつ、相田の入れてくれた珈琲を飲みながら、アニメのブルーレイを観賞していた。

 アニメのタイトルはもちろん、今回の一件で重要な鍵となった『Legendayレジェンダリー Swordianソーディアン』である。

 そうして除去作業と補助錠の取りつけが一通り終わると、相田と茅野が桜井のいるリビングへとやってきた。

「おつかれー」

 と、桜井が声をあげる。

 茅野は桜井とハイタッチを交わし、彼女の隣へ腰かける。

 相田は、自分と茅野の分のお茶を入れて二人の向かいへと腰をおろした。

「じゃあ、話を聞こうか。結局、今回の一件は何だったんだ? 宇佐美孝司とは何者だったのだ?」

 そう言って、大きめのタッパーにぎっしりと詰まった桜井手作りのクッキーをかじる。

 相田は「美味い」の一言と共に目を見開く。

 すると桜井は嬉しそうに「でしょー?」と言って笑う。

 茅野もクッキーを食べて、珈琲を飲んでから今回の一件のあらましを語り出す。

 盗聴器を仕掛けたのが同じアパートに越してきたばかりの江島真也であった事……。

 宇佐美孝司の名を名乗った男が水城真澄というろくでなしであった事……。

 その水城があの婚活パーティのすぐ後に、頭のおかしい女に監禁されていた事……。

 水城が相田の事はおろか、婚活パーティに出席した事すら覚えていなかった事……。

 事前にメッセージで大雑把な経緯は知らされていたが、改めて聞くとあまりの非日常感に、軽い眩暈めまいがした。

「……因みに、あのシボレーコルベットはレンタカーだったようです。明細書がレターラックの中に放り込んでありました」

 そして、茅野は語り終えると、優雅な所作で珈琲カップを口元に運んだ。

「では結局、その女に監禁されていたから、宇佐美さん……いや、水城は私と連絡が取れなくなっただけなんだな? 私は奴に騙される寸前であったと」

 この問いに、茅野は首を横に振る。

「私は違うと思います。もし先生が言った通りならば、彼が検索すれば一発でバレる有名な故人の名前を語ったり、婚活パーティに出た記憶がない事の説明がつきません」

「では、何だと言うのだ……?」

「これは、私の想像に過ぎないのですが……」

 茅野はそう前置きをして、自らの至った結論を述べる。

「先生が出逢った宇佐美孝司を名乗る水城真澄は、本物の宇佐美孝司だったのではないかと……」

「はあ!?」

 怪訝けげんそうに眉をひそめる相田。

水城真澄は・・・・・宇佐美孝司の・・・・・・霊に憑依されていた・・・・・・・・・水城の肉体を・・・・・・介して先生・・・・・・と話していたのは・・・・・・・・死んだ宇佐美孝司・・・・・・・・の霊だったんですよ・・・・・・・・・

「そんな馬鹿な……」

 相田は唖然として唇を戦慄かせる。

 やはり、霊などと言われてもすぐには信じられない。しかし相田には、そう解釈する事が一番自然な気もした。

 それは直感的なものなのか、一連の出来事を通じて常識的な感覚が麻痺しているからなのかは、自分でもよく解らなかった。

 茅野は悠然と微笑みながらカップを口元に運ぶ。

「恐らく水城は、この県を拠点にしようと目論み、あのソレイユ黒狛の四〇四号室に目をつけた。築年数は古いものの、見映えのするタワー型のマンションで尚且なおかつ、分譲賃貸だから簡単に引き払える。水城のような後ろめたい事を企む輩には、おあつらえ向きだったのでしょう。……しかし、その四〇四号室には、宇佐美さんの霊がいた」

「きっと、水城と宇佐美さんは“相性・・”がよかったんだろうね。たまたま」

 アニメを見て話を聞いていない風だった桜井が、唐突に声をあげた。

 因みにLSのアニメはちょうど、倚天と青紅のメイン回に差しかかっていた。

「相性がよかったとはどういう事だ?」

「これは私たちの知り合いの霊能者から聞いたのですが……」

「いや、霊能者に知り合いがいるのか、お前ら?」

 相田は苦笑しながら茅野と桜井の顔を見渡す。

 すると桜井がテレビ画面から目を離して、

「うん。ちょっとポンコツだけど、腕は信用していいよ」

 また、すぐにテレビ画面に視線を戻した。ずいぶんとLSが気に入ったようである。

「そうか……まあ、お前らにならそういう知り合いがいてもおかしくはないな……」

 普通なら『霊能者の知り合いがいる』などと言われても胡散臭うさんくさいとしか思わないだろう。

 しかし相田は、この二人がただならぬ者である事は身を持って知っていたので、割りとすんなりと納得できた。

「それで、その相性とは何なんだ?」

 話を元に戻すと、茅野は九尾から聞いた話をかいつまんで相田に聞かせた――


「……成る程。じゃあ、もう一度、水城を介して宇佐美さんと話をする事は……」

 と、言いかけると、茅野は残念そうに首を横に振る。

「解りません……」

「なぜだ? お前の話した理屈だとできるのではないのか?」

「彼に呼びかけてみたのですが、反応はありませんでした。原因は知りませんが。……いずれにせよ、こちらから彼にコンタクトを取る有効な方法はありません。向こうからの接触を待つしかありませんね」

「死者と簡単に話ができたら、警察も名探偵も廃業だからね」

 桜井が画面に目線を向けたまま言った。

 相田は肩を落として「そうか……」と呟いた。


 ……なぜ、私が。


 結局、彼女の求めた答えは、見つからないままだった。




 時は流れ、二〇一九年十二月のある夜。

 ソレイユ黒狛四〇四号室だった。

 部屋の住人である水城真澄は入院が長引いており、誰の姿もない。

 その寝室にあるベッドの下。

 積もった埃と、あの女によって画面を叩き割られ、放り投げられた水城のスマホがひっそりと転がっていた。

 耳の痛くなるような静寂に包まれた暗闇の中で、突如としてひび割れたスマホの画面がぼんやりとした青白い光を放ち始めた。

 勝手にメーラーが立ちあがり、文字が打ち込まれ始める。

 その速度は遅く、身体の不自由な人がようやく一文字ずつ入力しているような……そんな塩梅あんばいだった。

 その文面は宇佐美孝司の独白と謝罪の言葉であった。

 まず自らが七年前に死んだ人間である事。婚活パーティに現れたのは本当の宇佐美孝司ではない事。

 本当の宇佐美孝司は醜い男である事。

 四〇四号室の住人に取り憑いて保険証を偽造し、パーティに出席した事。

 そして、相田に対して身の上を偽っていた事に関する謝罪。

 あの婚活パーティの日の終わりにソレイユ黒狛の地下駐車場で後頭部を殴られて以来、なぜか四〇四号室の住人に取り憑けなくなった事。

 その為に連絡が取れなかった事への謝罪。

 とつとつとつづられる、その文章の終わりはこう結ばれていた。


 ……本当にすいませんでした。

 でも、これだけは信じてください。 

 僕は貴女の事が好きでした。

 まるで、ありきたりの恋愛小説みたいな嘘のように感じるかもしれませんが、一目惚れでした。

 貴女をあの会場で見た時、なぜか親近感のような物を覚えて安堵あんどしたのを覚えています。

 おかしいですね。貴女は背が高くて、凛としていて、とても綺麗で……生きていた頃の本物の僕とは正反対なのに。

 気を悪くしたらごめんなさい。

 貴女のような人に逢いたくて、貴女のような人と素敵な恋愛がしてみたくて、それだけが心残りで、もしかしたら運命の相手と出逢えるかもしれない……そんな理由で、あのパーティに参加しました。

 でも、もう充分です。金輪際、ご迷惑はおかけしません。

 僕はもう、本来向かうべきところに向かう事にしました。

 本当にありがとうございました。

 僕の分まで幸せになってください。


 ゆっくりとたどたどしく最後の言葉が打ち込まれると、そのメールは相田愛依のアドレスへと送信された。

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