【17】後日譚
藤見女子高校の球技大会は休み前に行われるクラス対抗戦である。
種目は毎回変わり、バスケットボール、バレーボール、フットサル、バドミントン、卓球などから複数が選ばれる。
一、二年生はいずれかの競技に必ず出場しなければならないが、受験を控えた三年生は自由参加となっている――
そして、それはバスケットボール決勝だった。
対戦カードは二年一組チームVS二年二組チーム。
二年一組は、バスケットボール部のレギュラーを三人有し、他のメンバーも運動部という勝利をもぎ取りにきているチームである。
対する二年二組は、運動部が一人に帰宅部が二人。そして文化部が二人。
普通ならば二年一組側が有利と見るであろう。
しかし、この“文化部の二人”というのが、桜井梨沙と茅野循である。
試合展開は下馬評を
体育館で運動靴の擦れる音と、ドリブルの音が響き渡っている。
「うりゃー」
と、何か若干気の抜けた声をあげ、ポニーテールをなびかせながら敵陣に切り込むのは桜井梨沙だった。その動きは
「ディフェンス! もうすぐ試合終了よ! 桜井だけは意地でも止めて!」
誰かの鋭い声が飛ぶ。瞬く間に桜井の前に三人の壁が立ちはだかる。
全員が桜井より、ずっと大柄である。中には現役のバスケ部レギュラーもいた。
これは流石に抜くのは無理だと判断したのか、右サイドへと鋭いパスを送る。
すると、サイドライン際を、まるで日本庭園を散策するかのような悠然とした足取りで歩いていた茅野が、そのパスを受け取った。
コートの中にいる全ての人間が彼女の存在を意識していなかった。桜井以外の全員の視線が思わず茅野に集まる。
その一瞬だった。茅野は悪魔のように微笑む。
ノールックで敵陣のあらぬ場所へ山なりに、いかにも適当な感じでボールを放った。
こいつ、ふざけているのか……味方も含めた全員の思考が更に固まる。
しかし、次の瞬間だった。
茅野に視線が集まった一瞬で駆け出していた桜井が、そのパスに追いついていた。
桜井にディフェンスが集中した為に、敵陣には一時的に大きなスペースが空いていたのだ。
もう敵チームの全員が慌て出した時には既に手遅れだった。桜井はゴール前で飛びあがり、シュートモーションに入る。
「これで、逆転!」
「させるかっ!」
相手チームの最後の一人が桜井のシュートを阻止しようとする。彼女はバスケットボール部のレギュラーだった。
因みにポジションはセンターで、名前を
その右手の指先がボールに触れようとした瞬間……。
「なん……だと……?」
義本の右手が虚空を叩く。
“ダブルクラッチ”
ゴール前の対空中に、ボールを持ち替えてディフェンスをかわす高等テクニック……。
義本と桜井が床に着いたのと同時に、ボールはリングを潜り抜けてネットを揺らす。
同時に、試合終了の笛が鳴った。
スコアは一点差で二年二組チームの勝ちだった。
劇的な幕切れに歓声が沸き起こる。
「よいファイトだった!」
義本に右手を差し出す桜井。苦笑しながら「アンタには負けたよ、本当に……」と、その右手を握り返す義本。
そして、観客の声援に右手をあげて答えながら自陣へと
「流石は梨沙さん。さしずめ“リアルキセキの世代”といったところね」
「循もナイスな“
もう本人も忘れている感もあるが、桜井は膝の怪我のせいで、本気で動き切れていない。
まったくもって規格外の化け物である。
しかし、バスケ部顧問であり審判をやっていた相田愛依は、そんな化け物のいるチーム相手に善戦した部員にも容赦はしない。
二年一組チームにいたバスケ部員に向かって激を飛ばす。
「
「そんな……勘弁してくださいよぉ……」
その情けない声に笑い声があがる。
この日も“鋼鉄の処女”相田愛依は、表面上はいつもの鬼教師だった。
それから数日後。
学校は既に冬休みに入ってはいた。
バスケットボールといえば、この時期は大きな大会があるが、さして強くはない藤女子のバスケ部は
更に部員たちの落ち着きのなさで、この日がクリスマスイブである事を嫌が応にも思い出してしまう。
気もそぞろな状態で練習をしても意味はない。
したがって相田は、部活を早々と適当に切りあげ、十六時頃に家へと着いた。
もちろん、相田には誰かと過ごす予定などない。
しかし、この日はだらだらと酒を飲みながら一冊の本を読む事に決めていた。
タイトルは『桜のように散りゆく君へ』
作者は如月涼こと、宇佐美孝司である。
この本を読んでみようと思ったのは、ほんの少しでも彼の事を知りたかったからだ。
宇佐美孝司という人物が、なぜ、自分を選んだのか……その疑問のヒントが得られるような気がしたからだ。
相田は入浴を手早く済ませたあと、スーパーで買ってきた食材を調理して夕食と酒の肴を作る。
料理の腕前はキャラ弁を作れるレベルなのでそれなりに高いが、いつも夕食は面倒になって出来合いの物で済ませてしまっていた。
しかし、休日前やこうした特別な日は別だった。
適当に料理を何品か作り、リビングでグラスについだ赤ワインをちびりちびりと飲みながら、その桜色の文庫本を開く。
そして、相田はすぐに、難病に冒されたヒロインとの出逢いと別れを描いた、その物語に引き込まれていった。
コンプレックスを持ち、ろくに人と関わろうとして来なかった主人公がヒロインと出逢って少しずつ変化する。
対するヒロインもまた人を好きになる事に対して臆病になっていたところ、主人公との出逢いを経て変わってゆく……。
そして主人公が直面する最愛の人との別れ。
底無しの暗闇のような絶望からの再生……。
王道の悲恋劇。
しかし、ありがちな物語……と一言で切って捨てる事のできない何かが、この小説にはあった。
何より、自分とはまったく似ていない――と、少なくとも相田自身は思っている――主人公とヒロインに感情移入して、最後には本気でこの二人を応援していた。
そうして、もう数分で日付が変わるという、その時だった。
相田は
本を閉じた瞬間、相田はなぜか宇佐美孝司という人物に妙な親近感を覚え、改めて彼ともう一度会って話がしたいと強く思い始めていた。
しかし彼と初めて会った夜から、宇佐美孝司からの連絡は一切ない。
ローテーブルの上に置かれた充電中のスマホに何気なく目線を移す。
すると、その瞬間だった。
メールの着信を告げる電子音が鳴り響く。
相田は何気なくスマホを手に取った。
……そのメールを最後まで読み終わった直後、鬼教師の相田愛依は何年か振りに声をあげて泣いた。
それでも、この始まってすらいなかった恋で得られた、彼女の求める疑問の答えは、これまでで一番納得のゆくものであった。
(了)
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