【15】如月涼


 切ない純愛。

 誰もが憧れる真実の恋。

 流麗りゅうれいかつ瑞々しい筆致ひっちで描かれる情景。

 深い共感を呼び読者を作品世界に引き込んで放さない心理描写。

 如月涼の小説は多くの人々から評価され、たくさんの感動を与えていた。

 作品が発表されるにつれ、その評価は天井知らずの勢いで高まりを見せる。

 そうするうちに読者たちは、作品のみならず、作者である如月涼という人物に対しての興味を抱くようになっていった。

 彼は自身の小説の主人公たちのように一途で心優しい王子様なのではないか……または、某有名作家の別名義なのではないか……。

 人々は決してメディアに顔を見せようとしない彼に対して様々な憶測おくそくを巡らせる。

 しかし、そのどれもが真実とは大きくかけ離れていた。

 実は本物の如月涼こと宇佐美孝司の外見は王子様などとは決して呼べないものだった。

 いつも背を丸めて、伏し目がちでボソボソと喋る陰気な小男。それが如月涼こと宇佐美孝司である。

 しかも学生時代の渾名はカマドウマ。

 これは中学校の時にいじめっ子にクラスメイトの前で無理やりカマドウマを食べさせられた事に由来する。

 誰も彼の味方になる者はおらず馬鹿にされ、汚物のように嫌悪された。

 恋人はおろか友だちもおらず、常に嘲笑ちょうしょうされ軽んじられる存在。

 身体も弱く、どうにか在宅の仕事で収入を得てはいたが、早くに片親だった母を亡くしており、彼の人生は孤独で寂しいものだった。

 そんな彼にとって、恋愛小説の執筆は暗澹あんたんたる現実のはけ口であった。

 こんな素敵な恋がしてみたい。

 その思いと日々の妄想を形にした物語が彼の小説であった。

 最初は趣味で誰に見せるでもなく書いていた彼であったが、あるときふと思い立って“ローズティアー恋愛小説大賞”へと自らの作品を応募した。

 賞を貰うつもりなどなかった。ただ単に自分の書いているものが、どの程度のレベルか知りたかっただけだった。記念応募というやつである。

 きっとよくて一次選考を突破できるかどうかだろう……そう当たりをつけていた。

 しかし、結果は大賞受賞。まったく予想外の結果だった。

 しかし宇佐美には手放しでこれを喜ぶ事ができなかった。

 なぜ・・僕が・・……徹頭徹尾、彼の脳裏にあったのは、その疑問だった。




 彼の作品への評価……それと比例する形で宇佐美の中の違和感は、大きくなっていった。

 綿密でリアルだと絶賛される心理描写は、恋愛どころかろくに人付き合いをした事がない宇佐美の妄想だった。

 彼の小説に悲恋が多いのは、自分如きが誰かと結ばれて幸せになれる訳がないというコンプレックスの裏返しであった。

 彼は恋愛において幸せな未来を思い描く事ができないだけなのだ。

 しかし、誰もがそんな彼の事情など知るよしもない。

 宇佐美孝司はその現状に違和感を覚えつつ、如月涼として数年に渡り何作もの小説を執筆し続ける。

 そうした日々の中で彼は時おり、こんな事を考えるようになった。

 もしも宇佐美孝司が如月涼であると世間の人々が知ったらどう思うだろうか、と……。

 答えはいつも決まって『誰も信じる訳がない』だった。

 そして、その妄想を元に執筆された作品……人気覆面作家の醜い男と盲目の美少女との甘く切ない恋を描いた『暗闇に射す光はいつも亜麻色あまいろ』は、芥川賞候補にノミネートされた。

 しかし、それが彼の遺作となった。

 宇佐美孝司こと如月涼は、二〇一二年の七月二十九日の午前十一時十四分……自宅玄関で心臓発作を起こし、この世を去った。




 二〇一九年の六月頃。

 水城真澄が友人たちに「ヤバイ女につきまとわれていてさぁ……」と漏らしたのは、東京渋谷の裏路地にある雑居ビル地下のバーだった。

 そこはデートに誘った女性を連れ込めるような洒落た場所ではない。

 男同士が顔をつき合わせさかずきみ交わし、密やかに下卑げびた話をするような……そんな場所だった。

 友人たちは面白半分に話を聞いてゲラゲラと笑っていたが、水城はかなり参っていた。

 女につきまとわれた事など、これまでにも何回もあった。

 しかし『女は一回ヤるか、頬を引っぱたけば何でも言うことをきく生物である』などと本気で思っている水城にとって、その手の輩をあしらう事など造作もなかった。

 だが、今回のヤツは、どうも勝手が違った。完全にイカれており、話が通じる気配がまったくない。

 何より、未だに一度も水城の前に姿を見せていないのが不気味だった。

 その姿の見えない女からの様々な贈り物の数々……。

 大量の髪の毛。

 腐った蛙や虫で満たされた瓶詰め。

 下着にくるまれた仔猫の首に『私たちの赤ちゃん』と書かれた手紙が添えられていた時は、流石に警察を呼ぼうか迷った。

 しかし、犯人がもしも自分が過去に食い物にして壊した女だったとしたら面倒な事になるかもしれない……そう考えた水城は自宅のアパートを引き払い逃げ出す事にした。

 元々東京では悪名が知られ過ぎて“狩り”がしづらくなっていたからだ。

 そうして水城はソレイユ黒狛の四〇四号室にやってきた。

 しかし、四〇四号室にやってきてからもおかしな事が続いた。

 部屋の中にいると、常に誰かが自分の事を見ているような気がした。

 視界の端に映る人影や不意に聞こえる不自然な物音。

 夜、気がつくとベッドの中にいたはずなのにリビングで佇んでいた事もあった。

 超常的なものをいっさい信じていない水城は、きっとおかしな女につきまとわれた事によるストレスが原因だろうと決めつけて深く考えなかった。


 ……そうして月日は流れ、十月頭のある夜の事だった。

 この頃の水城は、そろそろ懐具合が寂しくなってきたので、新しい獲物を探そうと考えていた。そして、例の婚活パーティの募集告知を見つける。

 ……そこで水城の意識は、十一月上旬の終わりまで一気に飛んでしまう。

 次に気がついた時には、あのヤバイ女によって手足を拘束されて、四〇四号室の押入れの中に監禁されていた。

 なぜ、こんな事になってしまったのか……水城には、まったく理解不能だった。

 それも当然で、彼は知らなかったのだ。

 自分と、この部屋に残留し続ける宇佐美孝司との霊的な“相性”が、偶然にもぴったり同じであった事を。

 そして宇佐美孝司に憑依された彼が、相田とのデートの帰りに人気ひとけのないソレイユ黒狛の地下駐車場で頭を殴られて昏倒こんとうさせられた事を……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る