【04】漆禍


 九尾は真鍮の鍵を手に取って見つめる。

「はなれの床の隠し扉……そこに、禍つ箱が隠されているのかしら?」

 独り言ち、首を捻るも鍵の事はよく解らないのでひとまず置いておく。

 代わりに他の情報を整理する事にした。

 まず九尾が気になったのは、丈昭が禍つ箱の中身を聞かされていなかった事だ。

 コトリバコと同じく、禍つ箱は人体の一部を触媒しょくばいとする呪術である。

 コトリバコとは違い、使用される人体には年齢や部位などの決まりはないが、臓器や目玉、脳味噌などが特にいいといわれてる。

 特殊な儀式を終えた後、それらの触媒だけで箱の中を七分目まで満たす。

 最後に蓋を閉めてから儀式を施し、完成となる。

 因みに箱の形は正方形の立方体で、密閉されていればどんな形でもよいらしい。

 組木細工くみきざいくが使われる事が多いのは、誤って簡単に蓋が開いてしまわないようにする為なのだという。

「それにしても……なぜ、丈昭さんは、隠首村に連れてこられたのかしら……?」

 ぱっと思いつくのは、やはり丈昭を材料・・にする為だ。

 しかし、その後の日記の記述を見ても彼は村を散策したり、使用人と将棋を指したりとかなりの自由を許されていたようだった。

 もしも彼が触媒として使われる予定ならば逃げたり騒がれたりしないうちに、とっとと殺してしまうべきだろう。

 それに丈昭は、事実として穏首村より生還している。

 不測の事態により、彼が触媒となる事を免れたという可能性もある。

 だが、幸子の話にあった丈昭の今際の際の言葉――


 ……隠首村に残してきた禍つ箱が気がかりだ。あれを処分してくれ。


 その発言をかんがみると、箱は彼が隠首村に逗留とうりゅうしている間に完成していたという事になる。

「つまり、丈昭さんは触媒として隠首村に連れてこられた訳ではなかったという事なの?」

 ……では、何の為に。

 思考がどうどう巡りをし始める。

 そもそも呪い師が九人というのも多すぎる。

 恐らく作業工程を分担して、一人あたりの呪いの代償を分散させるつもりだったのだろう。そういう方法もある。

 しかし、それでも内容量が七合(1.26リットル)を越える大きさの箱を作る事は事実上不可能なのだという。

 七合以上になると、何をどうしようが制作者は強すぎる呪いに当てられて、箱が完成する前に命を落としてしまう。

 この最大の七合の箱を“漆禍しっか”と呼ぶ。

 しかし、その漆禍でさえ、それなりの力を持った呪い師が四人もいれば事足りるはずだ。

 九尾の見立てでは、それ以上の作業分担は、恐らく意味をなさないだろうと思われた。

「……複数の漆禍を作るつもりだった? 隠首村にある禍つ箱は一つではない?」

 思ったより面倒な事件になりそうだ……九尾は鬱々うつうつとした溜め息を吐く。

 そうしてノートのページをめくり、日付は九月二十六日。

 それは丈昭が隠首村に逗留とうりゅうして一週間後の日記だった。



 九月二十六日(金)


 屋敷に誰もいない。

 数寄屋も、瀬川も、遠藤も、呪い師たちも、使用人も……。

 誰もいなくなった。





 赤絨毯あかじゅうたんの上に瀟洒しょうしゃな調度品の数々が並ぶ。

 百合の花柄をあしらったカーテンの向こうの窓からは、庭先が一望できた。

 松の庭木と紅く咲き乱れる彼岸花。庭池の丸々と肥った錦鯉にしきごいが飛沫をあげて跳ねる。

 藤村は母屋の二階にある豪勢な洋風の客間をあてがわれた。

 そして、彼がこの村にやってきた翌日から、はなれで禍つ箱制作が始まっている。

 数寄屋、遠藤、瀬川、九人の呪い師たちは午前六時頃に朝食を食べると、縁側のすみのから延びた渡り廊下の先にある、はなれへと向かう。

 彼らが母屋へと戻ってくるのはいつも日付が変わった頃で、藤村が寝た後だった。しかし、朝食の方は毎日必ず一緒に大広間で食べるように心がけた。

 その席は相変わらずお通夜の様で気詰まりであった。

 もっと遅くまで寝ていてもよいと数寄屋には言われたが『何もしていない自分がいつまでも寝ている訳にはいかない』と妙な律儀さを発揮して、藤村は毎日早起きをし続けた。

 朝は基本的に弱いので、世話役の使用人に起こしてもらう。

 そうして朝食を食べた後は大抵村を散策した。

 田畑の合間に建ち並ぶ古びた民家と家畜小屋……。

 すれ違う村民は皆、藤村に胡乱げな眼差しを向けてくる。

 挨拶が返ってくる事はなく、藤村は早々にコミュニケーションを諦めた。

 単に余所者が珍しいのか、それとも数寄屋邸の客人である事がそうした村民の態度に影響しているのか……藤村にはよく解らなかった。

 ぶらぶらとした後は将棋を指したり、テレビをぼんやりと観たり、数寄屋邸にあった本を読んだりしながらひまを潰した。

 はなれで具体的に何が行われているのかは、解らない。

 禍つ箱が完成するまで立ち入りを禁止されていたからだ。気にはなったが、藤村は数寄屋の命令に素直に従った。

 一方で禍つ箱製作に従事する十二名は、日に日にやつれていった。

 三日経った頃には、あの数寄屋ですら口数は少なくなり、殆ど喋らなくなった。

 そうこうして一週間が経った……。




 その日、目覚めるとベッドの上で体を起こして、部屋の隅にある大きな柱時計の文字盤に目をやる。

 九時四十五分。

 この隠首村にきてから、もっとも遅い目覚めであった。

 もう数寄屋たちは朝食を済ませて禍つ箱製作に向かったのだろうな……と、ぼんやり考えながら欠伸をする。

 そこで藤村は、はたと気がついた。

 いつもは世話役の使用人が起こしにきてくれるはずであったが、今日はそれがない。

 おかしい……。

 何やらただならぬものを感じ、ベッドから恐る恐る両足を出した。

 スリッパを突っかけて外に出る。

「誰か……誰か!」

 声をあげながら、階段を降りて一階へ。

 台所へと向かうが、誰もいない。

「誰か! 誰か!?」

 部屋という部屋をのぞくが人の姿はない。

 玄関へと向かう。

 大きな下駄箱には沢山の靴があった。正確に覚えている訳ではないが、恐らく全員分ある。

 縁側を渡り大広間へ。

 やはり誰もいない。しかし、座布団とお膳に乗せられた朝食がぽつんと一つ……。

「俺の……分なのか……?」

 藤村は首を傾げる。

 まるで悪い冗談のようだ。

 いつか聞いた事のあるメアリ・セレスト号の怪談を思い出す。

 大洋の真ん中でさ迷う、乗客員のいない船の逸話……。

 その船には、湯気の立った食べかけの朝食が残されていたのだという。

 それは、まるで、つい今しがたまで乗客員が何事もなくそこにいたかのような……。

「数寄屋さんっ! 数寄屋さん……」

 藤村の脳裏に、まるで道化のように笑う彼の顔が思い浮かぶ。

 そして、彼岸花の咲き乱れる庭先を見渡し、その隅にある、はなれが目に映った瞬間だった。

 藤村は数寄屋の言葉を思い出す。


 『何か困った事があったらその隠し扉を開けろ……』


 今がその時ではないのか……。

 藤村は縁側に立って、漆喰壁しっくいかべと瓦屋根のはなれを見つめると、ごくりと唾を飲み込んだ。

 取り合えず、夜まで待って誰も帰ってこなかったら、あの鍵を持ってはなれへと向かう……藤村は今後の行動方針を定めると、すっかり冷たくなったお膳の上の朝食を口にした。

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