【08】病の名前


 晩御飯のあと、世花から熊のぬいぐるみについての話を聞かされた九尾は身支度を整え、家をあとにした。

 闇に沈んだ住宅街の路地を歩き、田村邸を目指す。世花も慌てて彼女のあとを追う。

「……ちょっと、恵麻! 恵麻ってば!」

「何よ?」

 重苦しい夜陰に包まれた住宅街の路地で、少し先をゆく九尾が振り返る。

「本当に行くの? 今から……」 

「そうよ」

 さも当然とばかりに答える彼女を、世花は呆れた様子で引き止めようとする。

「でも、今から行かなくても……」

「善は急げよ」

 などと言って、九尾は聞く耳を持とうとしない。とうぜん、世花は食いさがる。

「でも、これは、わたしたちが・・・・・・どうこうできる・・・・・・・問題じゃないよ・・・・・・・

「それでも」

 九尾はそこで言葉を区切り、真剣な眼差しで世花を見つめる。

「……たぶん、その子と同じだったから。わたしも」

「恵麻……」

「だから、助けてあげたいの」

 その決意に満ちた言葉にほだされた世花は、諦めた様子で息を吐き出す。

「わかったけど……でも」

「でも……?」

「どうするの? 『お宅の娘さんについて話があります』なんて言っても……」

 聞いてくれる訳がない。下手をすれば、警察に通報されかねない。

 その世花の杞憂を吹き飛ばすかのように、霊能者九尾天全は満面の笑みを浮かべて言った。

「大丈夫よ。わたしに考えがあるわ」

「それなら、任せるけど……」

 と、世花は一応は納得した。しかし、内心は不安だったので、

「一応、その考えというのを事前に聞いておきたいんだけど」

「きっと、誠心誠意、嘘偽りなく話せば解ってくれるわ」

 そう言って、九尾は再び田村邸へと向けて歩き出す。

「いやいや、だから、わたしの話、聞いてた?」

 世花は慌てて彼女のあとを追った。




 田村邸のリビングらしき場所の掃き出し窓からは、明かりが漏れており、人気ひとけがあった。しかし、物音はまったく聞こえず、静かなものだった。

「聞こえてないのかな……」

 九尾はそう言って、インターフォンに右手の指先を伸ばそうとした。

 すると、ドアノブが勝手に回転して、扉が数センチだけ開く。顔を見合わせる岡田姉妹。

「恵麻。これは……」

 不安そうに眉をひそめる世花に向かって、九尾は鹿爪らしい顔で頷く。

「招かれているみたいね。わたしたち」

 そして、おもむろにドアノブを手前に引いた。そのまま「すいませーん」とか言いながら、扉口を跨ぐ。

 世花は彼女の大胆不敵な行動に慌てふためいた。

「ちょっと、恵麻!」

「何よ?」

「不法侵入……」

「え? 何て?」

「だ、か、ら、フホウ、シンニュウ!」

 三和土たたきに半歩踏み入って、すっとぼける九尾に詰めよる世花。

 次の瞬間だった。

 唐突に足元がぐらつき始める。

「何? 地震!?」

 その場で壁などに掴まり、転ばないようにバランスを取る九尾。世花はふらついて玄関前で尻餅を突いた。

 すると、揺れが収まる。

「大丈夫? 立てる?」

 九尾が世花に右手を差し出した。すると、玄関の奥から男の絶叫が聞こえた。




「……間一髪といったところかしら?」

 と、田村邸のリビングの入り口に立った九尾天全は不敵な笑みを浮かべた。そんな彼女の背後で、世花が半笑いを浮かべながら視線をキョロキョロと惑わせる。

 その胡乱うろんな様子を目にした家政婦の内山は声をあげる。

「あなた、お昼の……」

 どうやら、世花が佳音の部屋をのぞき込んでいた不審者である事に気がついたようだ。

 世花は誤魔化すように「ははっ」と笑って、内山から視線を逸らした。

 そこで、塚本が立ちあがり、九尾に向かって問うた。

「……何なんだ。お前は」

 そこで九尾は、相手が多数のメディアに出演している霊能者、塚本神山である事に気がついた。

「……これはこれは。有名人のあなたとこんなところで顔を合わせる事ができるなんて。なるほど……」

 その言い方はずいぶんと皮肉に満ちたものであった。

 九尾は未だに唖然とした様子の田村に向かって質問を発した。

「あなたは、娘が、この世のものではない何かに取り憑かれていると思って、その対処を、そこにいる塚本神山に依頼した。そうですよね?」

「は、はあ……」

 と、間の抜けた返事をする田村。どうも事態の急展開に思考がついていっていないらしい。

 それに構わず九尾は話を続ける。

「どうせ“その熊のぬいぐるみに悪霊か何かが取り憑いている”とか言われたんでしょうけど、それは、嘘よ」

 田村は戸惑いを隠せない様子の塚本の顔を見てから言った。

「でも、現に、あの熊のぬいぐるみは……」

「ええ。あのぬいぐるみに霊が宿っているのは、本当。でも、あれは、悪い霊なんかじゃない」

 そこで声を張りあげたのは、塚本だった。

「……でっ、でたらめを言うな! 現に今、その熊のぬいぐるみが、恐ろしい現象を起こして私に危害を加えようとしてきたんだぞ!?」

 その言葉を九尾はぴしゃりとさえぎる。

それは・・・あなた・・・問題があったから・・・・・・・・塚本さん・・・・

「それって、どういう……」

 田村が再び塚本の方を見た。すると、彼は気まずそうな表情で顔を背ける。

 その仕草を目にした九尾は、くすりと笑った。

「……もう、取り繕う余裕もなくなっているみたいね」

 そう言ってから、田村へと言い放つ。

熊のぬいぐるみ・・・・・・・の霊が・・・この男に危害・・・・・・を加えようとした・・・・・・・・理由・・……それは・・・彼がインチキの・・・・・・・詐欺師で・・・・あなたを騙そう・・・・・・・としていたからです・・・・・・・・・

「えっ……」

 大きく目を見開き、田村は再び塚本の方を見た。

「違……違うっ! 何を……何を言ってるんだ!」 

 必死に声を張りあげて否定する塚本。九尾は構わず続ける。

「あの熊のぬいぐるみの霊は、そこの詐欺師をあなたに近づけまいとして、様々な霊障を引き起こしていたに過ぎません。あなたを守っていたのです」

「違う!」

 塚本は強い口調で否定する。

「そもそも、お前らは何なんだ! 急に現れて、好き放題言いやがって!」

 事実、彼は心霊の存在など一切信じていない詐欺師であった。

 塚本の事務所兼自宅で田村と面会した際に、花瓶が割れたのは単なる偶然で、元々花瓶にはひびが入っており、たまたまあのタイミングで割れただけだと、彼は解釈していた。

 更に田村の旅行鞄の中から熊のぬいぐるみが消えた件は、単に彼女が勘違いしているだけなのだろうと、高を括っていた。

 心霊現象などあり得ない。また、馬鹿なカモがやって来たと……。

 だからこそ、本物の心霊現象に対して霊能者らしからぬ脅えを見せ、九尾の指摘に対しても明らかに動揺をしてしまっていた。

 しかし、その様子を目の当たりにしても、まだ田村は塚本の言い分を信じる気持ちの方が強かった。

「……じゃあ、あの熊のぬいぐるみは、どうして娘を窓から突き落としたの!? 悪い霊じゃないなら、何でそんな事を……なぜ、娘に危害を加えようと……」

 その問いに答えたのは、これまで九尾の後ろで事態を静観していた世花であった。

「違います。娘さんは、熊のぬいぐるみに突き落とされたんじゃない。熊のぬいぐるみは・・・・・・・・娘さんを守った・・・・・・んです・・・・

「守った……?」

 首を傾げる田村。世花は更に説明を続ける。

だって・・・娘さん・・・二階から落ちた・・・・・・・のに・・怪我一つして・・・・・・なかったじゃ・・・・・・ないですか・・・・・

 そこで、田村は気がつく。

 娘の佳音は、あのとき頭から小石の転がる地面に落下した。

 にも関わらず、軽い脳震盪のうしんとうだけで済んだのは、あまりにも奇跡的であるという事に……。

 そして、ついさっき、部屋中が揺れ動いたときの事。

 飛び交った物が向かった先は、塚本の元だけだった。自分と内山は何の被害も受けていない。

 そして、あの銀のネックレスが錆びついたのも、もしかしたら“こんなものは無意味だ”という警告だったのではないか……。

 ようやく、田村の中で様々な物事が繋がってゆく。しかし、謎も残った。

「じゃあ、何で娘は、二階から……」

 飛び降りたのだろうか。

 その疑問に九尾が答える。

娘さんは・・・・自分の意思で・・・・・・飛び降りたのです・・・・・・・・

「……なぜ、そんな事を」

「それは、本人に直接聞かなければ解りませんが……」

 と、九尾は慎重に言葉を選び、己の見解を述べた。


娘さんが二階から・・・・・・・・飛び降りたのは・・・・・・・恐らく・・・ある病気のせい・・・・・・・でしょう・・・・

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