【07】除霊失敗


 塚本神山の運転する黒のSUVが田村有加子宅の門前に到着したのは、二十時きっかりであった。

 そのまま塚本は、躑躅つつじの生け垣沿いに車を停めて玄関を目指した。

 その途中で夜闇に溶け込んだ田村邸を見あげ、ほくそ笑んでからひさしの軒先を潜り、玄関扉の前に立つ。

 塚本は襟元を正して深呼吸をするとインターフォンを押した。

 するとスピーカーから田村のものではない女性の声が聞こえてきたので、名前を名乗ると、数秒後に家政婦らしき女性が塚本を出迎えてくれた。

 そのまま、一階にあるリビングに通される。田村はすでに応接のソファーに腰をおろしていた。

 塚本が挨拶をしたあと、彼女の向かいに座ると、家政婦の女性は、お茶を入れるために奥のダイニングキッチンへと姿を消す。

 そこで、田村が、さっそく本題を切り出してきた。

「……それで、先生、娘は助かるのでしょうか?」

 塚本は神妙な表情で、しばらく目を閉じたあと、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「大変に危険ですね」

「危険……」

 田村がはっとして表情を強張らせる。さらに彼女の恐怖心を煽るかのように、塚本は話を続けた。

「……この家の前に到着していたときからひしひしと感じています。この異様な気の流れ……邪悪なオーラが家全体を包み込んでいます」

「そんな……」

 田村は大きく目を見開いたまま、両手で口元を覆った。

 そのホラー映画のヒロインのような仕草を見て、塚本は口元に笑みを浮かべる。

「……それで、くだんの熊のぬいぐるみはどこに?」

 その質問と同時に家政婦が丸盆を持ってやってくる。同時に田村が質問に答え始める。

「それが、先生に言われた通り、処分しようとしたら、娘に奪われて……」

「では、その娘さんは?」

「ぬいぐるみと一緒に自分の部屋に閉じ籠ってしまって……」

 そこで、湯気の立つティーカップを応接卓に置いた家政婦が、田村に話かける。

「奥様。キッチンの方におりますので、何か御用があれば、お言いつけください」

「解ったわ」と、田村が答える。家政婦が立ち去ってゆく。

 そこでふと塚本の視界に、それが映り込む。

 家政婦の身体にさえぎられて見えなかった部屋の隅にある飾り棚の上。

 そこに熊のぬいぐるみが置いてある。 

 古びた茶色い毛並みで、左耳に黄色いタグが止めてあった。

 田村の話にあったものと符合する。

 塚本はぬいぐるみを凝視したまま、つい数分前から記憶を辿る。

 しかし、このリビングに通されたとき、あのぬいぐるみが棚の上に元々置いてあったという記憶がどうにも定かではなかった。

「……先生、どうされたんですか?」

 塚本の様子に気がついた田村が、恐る恐る彼の視線の先を辿る。

 彼女もいつの間にか、そこにあった熊のぬいぐるみの存在に気がつき、短い悲鳴をあげた。

「もしかして、あのぬいぐるみでしょうか?」 

 塚本の質問に、田村は唇を震わせながら頷く。

「いつの間に、あんなところに……」

 田村の顔からみるみる血の気が引いてゆく。すがるような眼差しを塚本へと向けた。

 そして、キッチンへの入り口には表情を曇らせた家政婦の姿があった。田村の悲鳴を聞きつけて、やってきたようだ。

 時が凍りつくかのような、寒々とした空気が満ちてゆく。

 塚本の右のこめかみに湧き出た冷や汗が、顔の輪郭に沿って滴る。

 何か、言わなくては……。

 そうしなければ、場の雰囲気に押し潰されてしまいそうだった。

 塚本は頭に浮かんだ適当な言葉をどうにか紡いだ。

「……あの熊のぬいぐるみのタグ……ドイツのシュタイン社製のようですね。確か、あの呪われた人形として有名な“ロバート人形”もシュタイン製でしたね」

 取ってつけたような、オカルトのトリビアであった。

 とうぜんながら田村と家政婦のリアクションはまったくない。

 ちっ、ちっ、ちっ……と、壁掛け時計の音だけが、静寂を切り刻む。

 その沈黙を経て、秒針が何周かしたあとだった。

 塚本は気詰まりな空気に負けて、ついに腰を浮かせた。棚の上のぬいぐるみに恐る恐る近づく。ぬいぐるみへと右手を伸ばした。

 すると、次の瞬間であった。

 突然、リビングの家具が……壁に掛かっていた額縁が……掃き出し窓のカーテンが……激しく揺れ始めた。

 田村が腰を浮かせて視線を惑わせる。家政婦が悲鳴をあげながら、その場にしゃがみ込む。そして、塚本が揺れ動く天井の照明を見あげて叫んだ。

「地震か!? 地震だろ!?」

 その、まるで自分に言い聞かせるかのような言葉のあとだった。

 揺れがぴたりと止んだ。

「……な、何なんだよ」

 ふう、と息を吐き出して肩を落とす塚本。

 その左袖を誰かが不意に下方へと引っ張る。

 彼は恐る恐る左腕へと視線を落とした。

 すると、そこには青ざめた顔の少女がいた。

 金髪の長髪。

 そして、薄水色で古めかしいパフスリープのワンピースを着ていた。

 歳の頃はまだ十歳になったかどうかというところであろう。

 冴え冴えとした碧眼で、じっと塚本の事を見あげている。

「あ……」

 塚本は瞬時に直感する。

 この少女はこの世のモノではない。自分などには手に負えない本物・・であると……。

 そう認識した直後、塚本は盛大に絶叫して左腕を振り払った。

 一目散にリビングの入り口へと向かおうとした。すると、同時に部屋全体が再び揺れる。

 あまりの激しい振動に、塚本はつんのめってよろける。

 次の瞬間だった。

 カップやソーサーが……壁の額縁が……電化製品のリモコンが……花瓶が……その他、あらゆる小物が塚本へと吸い寄せられるように飛んでゆく。

 田村の絶叫が轟き、塚本が頭を抱えてしゃがんだ。そのまま、背中を丸める。

 次の瞬間、けたたましい音が鳴り響いた。

 静寂。

 塚本へと向かって飛んだ物は、すべて彼に命中する前に周囲の床へと落下していた。

「間一髪って、ところかしら?」

 リビングの入り口で誰かが言った。

 その場にいた全員が、その声の主の方へと視線を向けた。

 そこには、顔のよく似た二人の少女の姿があった。

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