【05】不審者姉妹


 田村有加子は、内山にいっさいの事情を明かした。

 そこで佳音が以前より頻繁ひんぱんに意味の解らない言語で、熊のぬいぐるみに語り掛けていた事を聞かされる。

「……てっきり、子供の遊びだと……それで、私……」

 と、驚いた様子の内山。報告しなかった事を悔いているようだ。

 田村は冷静に彼女の言葉を右手で制する。

「いいわ。仕方がないもの。それより、他に何か変わった事はなかったかしら?」

 その質問に、内山は少しの間、思案顔を浮かべてから口を開く。

「……そういえば、今日なんですけど、洗濯物を干していたら、表の通りから変な人が家をのぞき込んでいて……」

「変な人……?」

 田村は眉をひそめた。すると内山は、視線を上に向けながら記憶を反芻はんすうする。

「……二十歳はたちか、それより少し若いくらいの女で……佳音ちゃんの部屋の窓をじっと見つめていて、私がその女の方を見たら、気まずそうに視線を逸らして、逃げていきましたけど」

「何なのかしら……?」

 田村は眉間にしわを寄せた。

 春先になると、おかしな輩が湧く。その類の変質者だろうか。

 いっけんすると、例のぬいぐるみとは無関係に思えた。

 しかし、娘の部屋の窓をじっと眺めていたというのが、どうにも気になった。

 ……けっきょく、考えてもらちが明かなかったので、塚本に連絡を取る事にした。

 スマホを取り出して電話を掛ける。すぐに通話は繋がった。

『……はい。どうか、されましたか? 田村さん』

 その言葉を塚本が言い終わると同時に、田村は関を切ったように言葉を吐き出す。

 娘が例のぬいぐるみを持って、自室に閉じ籠ってしまった事。そして、家政婦の内山が不審者を目撃した事などを語った。

 すると、数秒の沈黙のあと、塚本の神妙な声が田村の耳に届く。

『断定はできませんが、その娘さんの部屋を覗いていたという不審者は、悪魔の使い魔かもしれませんね』

「使い魔……」

 予想の遥か斜め上をゆく言葉に、田村の表情が凍りつく。

『ええ。悪魔は心の弱さにつけ込んで、容易に人を操ります。そうした者たちを手足のように使い、現世に悪い影響をもたらす……奴らの常套手段じょうとうしゅだんですよ』

「そんな……」

「兎も角、一刻の猶予もありません。すぐにご自宅に向かいたいところですが……生憎、スケジュールが詰まっておりまして」

「な、何とか、なりませんか……?」

『申し訳ありません。二十時頃には何とか……それが、どんなに急いでも精一杯ですね。それぐらいなら、あの聖なる十字架アンクの力で、どうにか耐えられるはずです』

「わ、解りました……」

 はなはだ不安であったが、了承する以外になかった。

 そのあと、塚本との通話を終えて、どうにか聖なる十字架のペンダントだけでも、娘に渡そうと田村は考える。鞄の中に入れてあった木箱を取り出した。

 そして、蓋を開けた瞬間、田村は大きく目を見開く。

 なぜなら、箱の中のペンダントが真っ黒に錆びついていたからだ。

 本当にこのペンダントで娘に振り掛かる厄災を退ける事ができるのだろうか……。

 田村の胸中に暗雲が立ち込める。




 その少し前だった。

 朝食を済ませたあと、岡田世花は「散歩に行ってくる」と言って、そそくさと家をあとにした。

 どうにも、昨日から様子がおかしい。

 気になった九尾は、世花の跡をつける事にした。電信柱やブロック塀の曲がり角に身を隠しながら、一定の距離を保ちつつ尾行する九尾。

 世花はまったく気がついていない。ゾンビのような、ぼんやりとした足取りで住宅街の路地を進む。

 そうして、しばらくすると、世花はある一軒家の前で立ち止まった。

 それは躑躅つつじの生け垣に囲まれた立派な邸宅であった。

 以前、九尾が近所の顔見知りの主婦に聞いた話では、女性実業家とその娘が暮らしているのだという。

 しかし、その実業家は、かなりの多忙らしく、いつも家にいるのは幼い娘と家政婦の二人だけらしい。

 世花はその躑躅の生け垣越しに、じっと家の方を眺めている。どうやら、彼女の視線は二階の窓際に向けられているようだった。

「……何やっているのよ」

 九尾は小声で独り言ちる。

 今の世花は、まさに不審者であった。警察に通報されたならば、どんな理由があったとしても言い逃れる事はできないだろう。

 そんな血を分けた片割れの立ち姿を電信柱の影から見守る霊能者九尾天全もまた、端から見れば単なる不審者である事に本人はまったく気がついていなかった。

 彼女の脇を軽自動車が通り過ぎてゆく。そのハンドルを握った男が、物陰に潜む九尾の存在に気がつき、ぎょっ、とした表情をした。

 ともあれ、しばらくすると、世花が気まずそうに目を逸らして、半笑いのまま立ち去ってゆく。どうやら、庭で洗濯物を干していた家政婦に見つかったらしい。

 九尾はしばらく電信柱に身を隠して、洗濯物を干し終わった家政婦が、家の中へ姿を消したのと同時に動き出す。

 世花が立っていた場所から、彼女が視線を向けていたと思われる二階の窓を見た。

 すると、その窓硝子の向こうには古びた熊のぬいぐるみが置いてあった。

 一目見て、この熊のぬいぐるみこそ、世花が気にかけていたものであると悟る。

 なぜなら、九尾の双眸そうぼうには、ぬいぐるみに宿った霊の存在がぼんやりと映し出されていたからだ。

 距離が離れているため、その霊がどういう存在なのかはいまいち解らなかった。

 何かを訴える声が、わずかに聞こえてはいたが、何を言っているのかまでは感じ取れない。

 だが、なんにせよ、けっして強い霊ではない。世花ならば、簡単に祓えるだろう。

 そこで、思い出すのは、昨日の事だ。

 散歩から帰ってきた世花の血相を変えた様子……。

 “ヤバい”と連呼していたが、世花は何を危惧しているのだろうか……九尾が疑問に感じたのはそこだった。

 その家の前を離れて、しばらく思案したのちに九尾は自宅へと戻った。

 そして、あのぬいぐるみの事をタロットカードで占ってみる事にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る