【01】コールドケース
すべての発端となった日は、二〇一八年二月十四日だった。
ひらひらと舞い散る
その凍てつく純白は、世界を塗り替えようと天空から次々と押し寄せ、地表を
時刻は二十時になったばかりであったが、往来にはまったく人の気配はない。
路上の中央から吹き出る消雪パイプの水の音。
遠くから聞こえる除雪車のエンジン音。
その二つだけが冷たい空気を震わせている。
まるで人類が死に絶えてしまったかのようだ。
天気予報によれば、発達した寒気が県全域をすっぽりと覆い、数日はこんな状態が続くのだという。
そんな暗闇と
黒と黄色の遮断棒が重々しい動作で下がった。
電車のヘッドライトが遠くの闇からやってくる。
乳白色の光の中に、たくさんの牡丹雪が浮かびあがっていた。
そして、おもむろに遮断機を、一人の少女が潜り抜ける。
緑色のダッフルコートを身にまとっており、その視線は遠く遥か彼方を見据えているかのようだった。
甲高い警笛が鳴る。けたたましいブレーキ音。しかし、もう遅い。視界が悪く、車掌は少女の存在に気がつくのにずいぶんと遅れてしまったようだ。
少女はレールを枕に寝そべり、天を見あげた。
闇色の向こうから牡丹雪が次々と降ってくる。
少女の視界では、それはまるで深海から立ちのぼる水泡のようにも見えた。
まるで自らが大海を
少女は安らぎに満ちた微笑みを浮かべる。
「綺麗……でも」
その言葉は……。
「世界は残酷だね……」
電車の走行音にかき消された。少女の視界がヘッドライトの光に包まれる。
それは、暖かで……神々しく……。
しかし、飛び散る血潮と肉片は禍々しく……。
電車が踏切を通過する。少女の頭部がはね飛ばされ、黒髪を振り乱し夜闇を舞う。
点々と線路脇のフェンス際まで続く血の跡……。
牡丹雪が流れ出た少女の血を脱脂綿のように吸い、赤く染まって溶けて消えた。
「普通の踏切ね」
「だね」
「緑のダッフルコートを着た首なしの少女の幽霊が出るという噂だけれども……」
「いないねえ……」
「やっぱり、夜じゃないと駄目なのかしら?」
それは二〇一九年の五月末の放課後であった。
あの五十嵐脳病院での探索を終えたばかりの桜井梨沙と茅野循は、県庁所在地にある有名な心霊スポット“ギロチン踏切”を訪れていた。
そこは閑静な住宅街の只中にある、一見すると何の変哲もない踏切であった。
「この踏切で、自殺した女の子の首がまだ見つかっていないんだっけ?」
警報器を見あげながら、桜井が問うた。そのすぐ脇の車道で、一時停止をした車が再び走りだし、踏切を渡って行く。
「ええ。昨年の二月十四日ね。自殺した女の子の名前は、
デジタル一眼カメラを構えて茅野は語る。レンズの先は警報器のたもとに向けられていた。
そこには、菊の花束とチョコやクッキーといった箱入りのお菓子とペットボトルが供えてある。
すると、桜井は再び首を傾げた。
「その聖さんが自殺した動機は? 死んだのがバレンタインデーだから、やっぱり恋愛絡み?」
「さあ」と肩をすくめる茅野。
「友人関係に悩んでいたという報道もあったけど、遺書が遺されていて、そこには『汚いオトナになる前に十四歳のイマを切り取る』とかなんとか……そんな文言が書かれていたらしいわ」
それを聞いた桜井が「ああ」と得心した様子で頷き、ずばり指摘する。
「病気だったんだね。彼女」
「そうね。中学生がよく
茅野は鼻を鳴らして口角を釣りあげる。
そこで踏切がけたたましい音を立て始め、遮断機が降りた。
車が次々と停車して、踏切を挟んだ二本の遮断機の前で長い列を作る。
やがて電車がやってきて、二人のスカートの裾をふわりと揺らした。
電車が遠ざかり、遮断機があがる。
列をなしていた車が一斉に走り出す。
「……で、首はどこへいったんだろうね」
「そこが、この踏切の一番の謎ね」
「電車で跳ねられた時に吹っ飛んで、踏切待ちをしていたトラックの荷台に……そのままドナドナ、とか」
その桜井の推理に、茅野は首を横に振った。
「それならば、トラックの運転手が後で気がつくはずよ」
「そっか……。じゃあ一応、周りを探してみる?」
桜井が踏切の周囲を見渡す。
線路と住宅街を隔てるフェンスに沿って、
「いいえ。もう二年近くも経っているのよ。この踏切の周辺にあるとは思えないわ」
茅野は首を振った。
「それなら、循はどう思うの?」
「そうね。大型犬に類する動物がどこかに持って行ったとか……でも、こんな住宅街に野生の大型犬がいるっていうのも変ね。これは、もしかしたら心霊ではなくUMA案件なのかしら……?」
その茅野の冗談とも本気ともつかない言葉に桜井は「ふうん」と、気のない返事を返した。
「取り合えず、首探しには
「そだね。ところで……」
「何かしら? 梨沙さん」
「こうやってると、あたしたち、まるで鉄道オタクみたいに思われるかもね」
「オカルトマニアよりも、鉄道オタクの方が世間体はいいんじゃないかしら?」
「そかなー?」
このあと二人はしばらく踏切の周りを撮影して帰路に着いた。
結局、発見されていない梶原聖の首のありかに関する手がかりは見つからなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます