【File12】ギロチン踏切

【00】目撃談


 それは、二〇一八年の三月二十九日だった。

 その日は朝から雨だった。

 OLの魚住春菜うおずみはるなは仕事を終えて、県庁所在地の駅前にあるオフィスより、自宅アパートへの帰路についていた。

 しかし、車のハンドルを握ってしばらくすると、長い渋滞に遭遇そうぐうする。どうやら普段使っている道が工事中らしい。仕方がないのでいつもより遠回りする事にした。

 ついていない、と心の中でぼやきながら脇道から抜け出て住宅街の路地を走る。

 そうして前方に踏切が見えてきた時、運悪く警報器がけたたましい音を立てて明滅し始めた。

 減速しながら踏切に近づく途中で、ふらふらと沿道を歩く少女とすれ違う。

 停車したところで違和感に気がつき、バックミラーに目線を走らせると、ついさっきすれ違った少女の背中が見えた。

 その少女は緑のダッフルコートを身にまとい、肩から上が平らだった。

 まるで首がないようだ……魚住はそう思った。

 しかしすぐに、多分、項垂れていてそう見えるだけなのだろうと思い直した。

 ダッフルコートという格好も、冬の長いこの土地では少し季節外れの感はあるが、そこまでおかしくはない。

 そのまま、その少女の事など忘れて家に帰った。

 彼女は後日、あの少女とすれ違った踏切が“ギロチン踏切”と呼ばれる有名な心霊スポットである事を知ったのだという。




 二〇一九年の一月三十日だった。

 菅則子すがのりこは、近所のスーパーで買い物を済ませて店を出た。

 軒下でスマホを手に取り、夫にメッセージアプリで、この日の夕食の献立こんだて晩酌ばんしゃくのアテを買った事を連絡する。

 既読はすぐについたが返信は返ってこない。きっとまだ仕事中なのだろう。スマホをコートのポケットにしまい、徒歩で帰路に着く。

 雨が降っていたのでかさを差した。

 そして駐車場を出て、大通りに沿った歩道を歩いていると、前方からふらふらと歩いてくる少女の足元が傘の裾と地面の間に見えた。

 何か様子がおかしい。

 そう感じた菅は立ち止まり、傘の裾をあげた。

 すると、その少女の首から上が見当たらない。

 緑のダッフルコートを着ており、両肩の間からべちゃべちゃと血を吹きこぼしている。

 菅は絶叫し気絶した。

 そのあとすぐに悲鳴を聞きつけてやってきた人物に発見され、彼女は病院に搬送はんそうされた。




 二〇一九年の十一月六日だった。

 森島颯もりしまはやて富岡美優とみおかみゆうは、県庁所在地の進学校に通う高校一年生だ。

 まだつき合って一週間の恋人同士でもある。

 因みに二人とも初カレと初カノという初々しさで、距離感も微妙である。

 下校途中で住宅街の路地を並んで歩いてはいるが、両者の口を吐く話題は非常に当たり障りのないものばかりだった。

 車道側を歩く森島の右手と富岡の左手の距離も、チワワが一匹すり抜けられそうなぐらい離れている。

 両者の顔もどこか緊張ぎみであった。

 ……と、不意に話題が途切れ、気まずい沈黙が舞い降りた。

 もじもじと頬を赤らめ、そのまま二人はしばらく歩いていると、前方に大きな交差点が見えてきた。

 その左手前の角にあるコンビニを見て、森島が声をあげる。

「ね、ねえ、富岡さん、時間あるならコンビニ寄って行こうよ……その、ちょっとお腹すいちゃって……」

「あ……あ、うん。いいよ! 森島くんの時間があるなら私は全然平気だからっ」

 などとぎこちない会話をしながら二人はコンビニへ。

 森島が肉まんを買い、富岡はあんまんを買った。

 頭の禿げあがった痩せぎすのいかにもモテなそうな店員が、やたらと富岡の顔をじろじろ見てきたので、森島は内心で『どうだ俺のカノジョ、超イカしてるだろ』とほこらしい気分になった。

 しかし、色々と気もそぞろだったので、支払いの時に財布の中身をぶちまけてしまう。

 結果、富岡に迷惑をかけてしまったと、しょんぼりする森島だった。

 しかし、富岡は富岡で、いつもしっかりしているように見える森島のあわてふためく姿が何だか可愛くて、内心ではご満悦まんえつだった。

 そんな、さして珍しくもないラブコメを繰り広げながら、二人はコンビニの軒下のベンチに並んで腰かける。

 因みに、この時の両者の左右の肩の距離はフレンチブルドッグが一匹通り抜けられそうなぐらい開いていた。

 その距離を縮めぬまま、森島と富岡はそれぞれ、肉まんと餡まんを食べ始める。

 時刻は十六時頃。

 曇り空のせいか辺りは薄暗く、交差点を行き交う車も既にヘッドライトを灯していた。

 駐車場には数台の車が停まっていたが、周囲に人の気配はない。

「さ、寒いね……」

「そうね……もう冬だよね」

 などと、再び当たり障りのない会話が始まろうとしたその時だった。

 駐車場の向こうに横たわる歩道をふらふらと歩く人影が姿を現す。

 その緑のダッフルコートを着た女子の違和感に気がついた富岡は、餡まんにかじりついたまま、両目の瞳を大きく見開いた。

 さっきから横目で富岡の表情ばかりをチラ見していた森島は、彼女の様子の変化にいち早く気がつく。

「富岡さん……どうしたの?」

 そう問いながら、彼女の視線の先を追う。

 そこで森島も気がついた。緑のダッフルコートを着てふらふらと歩く首なしの存在に……。

「ひっ……何だあれ」

「ねえ。やっぱり、あれ、首がないよね!?」

 二人の間にあったフレンチブルドッグ程度の距離は一気に縮まる。森島の二の腕に富岡の胸部が当たったが、その事実を認識し堪能する余裕を、彼は既に失っていた。

 駐車場の前を横切ろうとしていた首なしがぴたりと足を停め、森島たちの方へ身体を向けた。

 そのまま、映画の中のゾンビのように両腕を伸ばし、二人の方へ向かってきたではないか。

「きゃあああああああああっ!!」

 富岡が悲鳴をあげた。

 首なしの上半身が前後左右にふらふらと揺れる度に、まるで船上のさかずきからこぼれ落ちる赤ワインのように、びちゃっ……びちゃっ……と、首の切断面から大量の血液がき散らされた。

 それに構う事なく首なしは駐車場を横切り、森島と富岡へと迫る。

「くそっ!」 

 森島はすがりつく富岡を振りほどき、ベンチから腰を浮かせた。

美優・・には手を出すなっ!」

 両手を広げて、富岡の前に立ちはだかる。

 それでも首なしの動きは止まらない。

颯くん・・・!」

 もう少しで伸ばされた血塗れの右手が森島に触れるかどうかという、その時だった。

「うおおおおおおおっ!!」 

 森島は雄叫びをあげて、咄嗟に右手の肉まんを投げつけた。

 すると、首なしの姿がふと消え失せる。

 こぼれた血の痕も消えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る