【07】襲来
囁く家の門前に音もなくやってきたプリウスが停まる。
その運転席から倖田亮一が降り立った。
倖田はトランクを開けて、
それは当初、地下室の壁をぶち破る為に車へと積んだ物だった。
「待ってろよ……エリ。パパが助けてやるからな?」
倖田は肩を揺らしてほくそ笑み、上着の内ポケットの中からホープライトと百円ライターを取り出す。
フィルターを口にくわえ火をつける。
そこで、倖田はワイシャツの右手の袖に、十円玉程度の赤い染みがある事に気がついた。
ごしごしと背広の裾で拭うが落ちてくれない。
諦めて煙草の煙を冷えた空気の中に吐き出した。
倖田は
人形が立ちあがる。
そのまま地下室の入り口へ歩いて行こうとする。もちろん、幻である。
しかし、その足取りはおぼつかない。
「成る程。頭が砕けているのが、幻覚に影響しているのね」
「だから、ふらついているんだ」
桜井がスマホで人形の寝ていた場所を撮影する。肉眼では何もないように見えるが、その画像には床に寝かせられたままの人形が写り込んでいた。
「よいしょ」
桜井が画像を参考に見えない人形へと腰をおろす。
すると、入り口へ向かう途中だった人形の幻が消え失せ、本物が姿を現す。
「ああああああ……!!」
人形が叫びながら四肢と頭を激しく振り乱す。もちろん、幻である。
「もう観念しなよ……」
桜井は手探りで本物の人形の額を鷲掴みにして押さえつける。
すると人形の顔が悪魔のような形相に変わり、しゃがれ声でがなり始める。
「Scheisse! Dieses weibliche schwein! spinnst du?」
「ねえ、循」
「何かしら?」
茅野がダクトテープの端をロールからはがして引き伸ばす。
「So ein mist!」
「この人形、さっきから何て言ってるの?」
「Scheisse! Halt die! Scheisse! Halt……」
「ドイツ語ね。……こう言ってるわ。“やあ、可愛らしいお嬢さん、ご機嫌うるわしゅう。僕は縛られるのが大好きなんだ。早く縛って! 早く! 早く!”」
「あははは……へんたいだー!」
桜井が爆笑する。
「Halt die Klappe Lugner!! toeten!! Absolut toeten……」
「今のは“どうも、ありがとう。可愛いお嬢さん”ね」
もちろん、全部嘘である。
「toeteeeeeee……」
茅野は人形の口をダクトテープで塞いだ。すると、途端に静かになる。
「やっと黙ったね」
「それじゃあ、手足を縛りましょう……」
……と、そこで地下室の外――一階から扉を開く音が聞こえてくる。
どうやら、玄関ホールの左奥にあった扉のようだ。
「今のは幻聴じゃないよね?」
「多分ね……」
茅野が地下室の入り口の扉の前で聞き耳を立てる。
「誰かが、こっちにくるわ……」
逃げ出す時間がないと悟った茅野は、地下室の扉のドアノブについていたサムターンを回して鍵をかける。
「私とした事が……人形に気を取られて、外の音に注意を払うのを忘れていたわ」
「誰かな? 肝試しの人?」
桜井のその問いに、茅野は剣呑な表情を浮かべながら答える。
「そうだったらよいんだけど、この家の管理者だったら
「どうする? 循」
「とりあえず、警察沙汰は
「だよね」
「私たちの事よりも、この人形よ。『除霊するからちょっと貸して』なんて言っても聞き入れてもらえないでしょうね。おまけにこれは盗品だわ。六年前の強盗事件に関係のあるものだと知られたら、警察に持っていかれてしまう。そうなったら除霊はできなくなる」
階段を降りる音が近づいてくる。
「どうする?」
「……取り合えず事情をある程度、話して説得するしかない。管理者ならこの人形の怪異について心当たりがあるだろうし」
地下室のドアノブが回され、がちゃがちゃと音を立て始める。
「そりゃ、あんな風に壁の中に閉じ込めていたぐらいだし、何かあったんだろうしね……」
「兎に角、九尾先生の話が本当なら、この人形を野放しにする事はできない」
「それは同感」
と、桜井が言った直後だった。
扉の向こうから男の声が聞こえた。
「誰かいるなっ!」
そして、更に激しくガチャガチャとドアノブが回り始める。
「取り合えず……」
と、茅野がリュックから
「顔は隠しておきましょう。最悪、強行突破で。その時はお願い、梨沙さん」
「了解。上手く手加減するよ」
二人は素早くマスクをつける。
すると、その直後だった……。
一瞬、ドアノブの回転が止まり、静まり返る。
そして、がつん……と、扉の外を打ちつける激しい打撃音が聞こえた。メキメキと板の割れる音がする。扉板から鉈の刃が突き出た。
桜井と茅野は目を丸くして、顔を見合わせた――
倖田亮一は、囁く家の玄関を潜るとエントランスホールを大股で横切り、左奥の扉を開けた。
短い廊下の中央右にある扉を開けて階段を降りる。地下室の前へと辿り着いた。
ドアノブを乱暴につかんで
微かに話し声が聞こえた。女の声だった。
彼のよく知るエリではない。
「誰かいるなっ!」
倖田は鉈の
右手を大きく振りあげて、その重々しい刃を扉板に叩きつけた。
すると、地下室の中から女の声が聞こえる。
「ちょっと、落ち着いて。話を聞いて」
「ああ……?」
倖田はもう一度、扉板に鉈を叩きつけた。ペンキの欠片と木屑が舞う。
「お前らも、エリが目当てか? エリを
少し間を置いて、扉の向こうから別な女の声がした。
「エリって、この人形の事?」
その答えを聞いて、倖田の表情が怒りに歪み、これまで以上に
「お前らも、エリを人形呼ばわりするというのか!?」
……こいつらも万里江と同じくエリの敵だ。
警察沙汰は不味い。なぜなら元々エリを
ならば、
一人殺すのも二人殺すのも、
「ここを開けろっ! このアバズレどもがあっ!!」
倖田は更に激しく、鉈を扉板に叩きつけ始めた。
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