【06】ヨハン・ザゼツキ


 都内某所の占いショップ『Hexenladenヘクセンラーデン


 この日も客はあまりおらず、店主の九尾天全はひまをもてあましていた。

 それでも気分は上向きで、鼻唄混じりに店の棚の掃除をしていると、エプロンのポケットでスマホが電子音を立てた。

 画面を見ると発信者は“茅野循”

「……循ちゃんか」

 第六感か、単なる経験則か……何となく猛烈に嫌な予感がして顔をしかめる九尾であった。

 とりあえず、電話ボタンをタップしてスマホを耳に当てる。

「はい……」

『ああ。今、閑ね?』

「閑だけど、何? まさかまた心霊スポット探索?」

『まさに今、その心霊スポットの真っ直中にいるわ』

「ああ……そうなんだ……」

 何かもう色々と諦め気味な九尾であった。

『それで、ちょっと聞きたい事があるのだけれど……』

「なあに。もう……」

 溜め息混じりに、スマホを持っていない左手を腰にやる。

『実はある廃屋の壁の中から人形を見つけたのだけれど……』

「人形?」

 九尾が怪訝けげんそうに、眉間にしわを寄せた。

 茅野は人形の特徴を列挙しだす。

『……身長は百四十程度。素材は桐で関節部分は球体。頭の左半分が破損しており、左眼がない。金髪碧眼で、歯や歯茎はぐき、舌などの口内の造型まで丁寧に……』

 と、そこで九尾の顔色が見る見る変わる。

「ねえ、それ……臀部でんぶの右側に逆五芒星の印が彫られてない?」

『ちょっと、待って……梨沙さん、人形のお尻を見て頂戴ちょうだい

『お尻?』

 桜井の声が聞こえた。

『そこに逆の星形があるかどうか見て』

『了解』

 がちゃり、と何かを持ちあげて、再び床に置く音。

 すると、少し経って受話口から桜井の『あるよー』という、呑気な声が聞こえた。

「やっぱり……」と大きく目を見開く九尾。

『何なのかしら? この人形は』

「それよりも、あなたたち大丈夫?」

『大丈夫か、ですって? 特に今のところ、何の問題・・・・もないけれど・・・・・・

「人形の声を聞いたり……人形が動き出す幻を見たりしていない?」

『ああ……』と茅野は、大した事ない風に言う。

『何か人形が急に喋りだしたけれど……』

「何の問題もないって、人形が喋ってる時点で問題大アリじゃないの!」

『……でも、一昔前のハリウッド映画のCGみたいでリアリティがなかったから、梨沙さんと私は信じなかったわ』

「信じなかったて……」

 本当にこの二人は何なんだ……と嘆息する九尾であった。

「……で、今は大丈夫なのね? 変な事は起こってないわよね?」

『ええ。この幻は映像や写真には記録されない。だからおかしな事が起こったら、その都度つど、カメラで確認すればいい。今は、人形をカメラで監視しているわ』

「そう……」

 怪異に恐怖する事なく、あっさりとその対処法を自分たちで発見し、実行している……九尾は改めて、二人の対怪異能力の高さと、頭のイカれっぷりに舌を巻く。

 いや、イカれているのではない。逆に正気過ぎる・・・・・のだ……九尾は苦笑するしかなかった。

『……で、貴女は、この人形を知っているのね?』

「ええ。知ってるも何も、私は六年前・・・にその人形に出会っている」

『出会っているですって……?』

「そう。その人形は“ヨハン・ザゼツキの少女人形” この世で最も忌まわしき呪いの人形よ」




 九尾は六年前に請け負った依頼の事を語り始めた。

『……知己の骨董屋がうちに相談にきたの。あるドイツ人から購入した人形が夜ごと喋り出すと……』

「それが、この人形な訳ね?」

 茅野はスピーカーフォンにして掌にに乗せたスマホに向かって語りかける。

『そうよ。そして、その人形は、私にいったん除霊された振りをして、依頼者の骨董屋を殺し逃亡した』

 もちろん“殺し”という単語が登場しても二人におくする様子は見られない。

「やっぱり、あじな真似をする人形だねえ」 

 桜井が「こいつめー」と人形の頬を人差し指で突っついた。

『人形自体が動ける訳ではないけど、その人形は、貴女たちも知っての通り幻を作り出す。その幻と人の心を魅了する妖しい造形で人間を思うままに操って破滅に導くの』

 九尾によれば、この人形が、いつ誰に作られた物なのかは解らないのだという。

『……この人形が歴史に初めて登場したのは一九三四年よ。今のチェコの首都プラハの近郊で、ヨハン・ザゼツキという男が、八歳から十三歳の数十人の少年少女を殺害した』

連続殺人鬼シリアルキラーという訳ね。でも、ヨハン・ザゼツキなんていう名前に心当たりはないけれど」

「今の循、むっとした顔をしているよ?」

 桜井が、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 ヨハン・ザゼツキの名前を知らなかった事が、猟奇趣味者として悔しかったのだろう。

『……第二次世界大戦中のナチスドイツ占領下でヨハン・ザゼツキに関する公式な記録は失われたから知らないのは無理もないわ』

「……成る程。で、そのヨハン・ザゼツキは、いったいなぜ、少女たちを殺したのかしら。お決まりのパターンだと小児性愛者ペドフリィア加虐嗜好者サディストだったのだろうけれど」

『本当の動機はよく解っていないわ。けど、ヨハン・ザゼツキは逮捕後に、こう供述していたらしいの。“人形に命令された”と……』

「その人形が、これね?」

 茅野は床に横たわる人形に目線を向けながら問うた。

『その通りよ。人形はザゼツキの自宅地下室より押収されたあと行方不明に。噂ではナチスドイツが地元警察の倉庫に保管されていた物を本国に持ち帰ったとされているけど、定かではないわ。第二次世界大戦後は、ドイツやポーランド、オーストリア辺りで、ときおり所在は確認されてはいたのだけど……』

 と、九尾が答えた直後に、人形の首が、かたりと動き、茅野と視線を合わせた。

 その口元が動く。

「その女の言っている事は全部、出鱈目でたらめよ……助けて。私を助けて」

 茅野はその言葉を無視して、九尾にたずねる。

「……で、この人形は、どうすれば良い? 流石にこのままにはしておけないわよね?」

『ちょっと、待って……そうね……』

 すると、そこで再び人形が声をあげた。

「助けて……お願い。何でもする……何でもしてあげるから……」

「もう飽きたよ。もっと凄いことできないの? 君。例えば、人間サイズのかまきりを出すとか……」

 桜井が、また頬を突っつく。楽しそうだった。

 茅野は苦笑して肩をすくめる。

「大きな蟷螂かまきりなんて、どうするのよ? ダリオ・アルジェントの『吸血鬼ドラキュラ』じゃないんだから」

「もちろん、戦うんだよ! トリケラトプスかゴキブリでもよいよ」

 ……と、桜井が力強く答えたところで、九尾が突っ込む。

『その人形の幻は、人形が喋る、動く……といった人形本体に関する物に限定されるわ』

「なんだー。案外しょぼいね。君」

『いやいや。人形が喋って、心乱されないのは、あなたたちぐらいだから……。とりあえず、幻を封じて欲しいの』

「どうやって?」

『その人形は、口を塞げば喋る幻を作り出せなくなるし、手足を縛れば動く幻を作り出せなくなる。人間と同じで身体の器官を封じれば、その器官の幻を使えなくなるって訳。だから口をテープか何かで塞いで、手足を拘束して』

「解ったわ。それで?」

『今からメッセージで送る住所に送って欲しいの。後はこっちで対処するわ』 

「了解よ。……でも、ちょっと思ったのだけれど」

『なあに?』

「こっちで人形は破棄はきできないのかしら? 器官を奪えばいいなら手足を切断しても、動く幻を作れなくなる訳でしょ?」

『まあ、そうね……ていうか、循ちゃん、その人形をバラバラにしてみたいの?』

「そ、そんな事は、別にないけれど……」

 と、すっとぼける茅野だった。

 九尾は溜め息を吐き、

『確かにそうなんだけど、人形本体の破損が大きくなると、今度はその人形の中に宿っているモノが、外へ逃げ出してしまうわ』

「ああ。成る程。やっぱり、この人形にも何かが憑いているのね?」

『そうよ。かなりたちの悪い強力な悪霊がね。むしろ人形の中にいてくれた方がマシなの。だから人形は壊しちゃ駄目よ』

「了解。じゃあ、さっそく取りかかるわ」

『お願い』

 と、そこで通話を終えた。

「梨沙さん。じゃあ人形をしっかり抑えていて」

「りょうかーい」

 茅野はリュックの中からダクトテープのロールを取り出した。

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