【03】怪しい少女


 娘が窓から飛び降りた日の翌日だった。

 田村は芸能関係につてを持つ知人を頼り、有名な霊能者を紹介してもらう事にした。

 その霊能者の名前は塚本神山つかもとしんざんという。

 彼は心霊系のテレビ番組やドキュメンタリーDVDに出演経験があり、オカルト雑誌や実話系情報誌に連載を持っているため、それなりに知名度のある霊能者であった。

 正直なところ、田村は心霊だとか、そういった類のものをまったく信じてはいなかった。しかし、昨日の病院で目の当たりにした常識では考えられない現象……。

 もしも、娘の不可解な行動の原因が、そうした超常的な存在の仕業であったとしたらしっくりときた。

 更に思い出すのは三年前。

 あの熊のぬいぐるみを購入してしばらく経ったあと、娘の口から吐き出された耳馴染みのない言葉。

 佳音は何かに取り憑かれているのではないか。

 考えれば考えるほど、その疑念が色濃くなっていった。

 ともあれ、田村は病院に娘を迎えに行き、退院の手続きを済ませると、自宅へと戻った。

 そして、娘を寝かせると、内山が来るのを待って家をあとにした。

 因みに、例のぬいぐるみは、昨日の段階でビニール袋に入れて、鍵付きの旅行鞄の中に無理やり押し込めていた。

 処分しようかとも考えたのだが、それはそれで祟られそうな気がしたので、悩んだ末に霊能者の元へと持ってゆく事にしたのだ。

 佳音は自室に、熊のぬいぐるみがない事を気にしていたが「汚れていたので、クリーニングに出した」と言うと、一応は納得した様子だった。

 そんな訳で、ぬいぐるみの入った旅行鞄を持って、自宅から車に乗って塚本の元へと向かう。

 彼の事務所兼自宅は、都内湾岸エリアにそびえる高層マンションの一室にあった。

 田村が通されたリビングに並ぶ調度類は、神秘的な意匠で統一されており、ただならぬ雰囲気が漂っていた。

 その中央にある天体図が描かれた座卓を挟んで、塚本神山と向き合う。

 彼は黒いスーツに身を包み、田村より少しだけ歳上に見えた。

 髪をオールバックにしており、その双眸そうぼうは理知的な輝きを放っていた。

 田村は塚本と形式的な挨拶を済ませ、さっそく本題を切り出す。

 三年前にフリーマーケットで熊のぬいぐるみを買った事や、それからしばらく経ったある日、娘がそのぬいぐるみに向かっておかしな言葉を話していた事、更に娘の転落事故や病院での一件を、順序立てて語る。

 その話が進むうちに、塚本の表情が次第に険しいものになってゆく。

 そして、すべて語り終えると田村はおずおずと切り出した。

「……それで、その……先生は、こうした・・・・現象にお詳しい本物の霊能者だと知人から聞きまして……その」

 と、そこで、塚本は田村に向かって右掌をかざして、言葉を制した。

「皆まで言わずとも結構。それで、そのぬいぐるみを見せてください」

「はい」

 田村は足元に置いてあった旅行鞄を座卓の上に乗せた。

 ロックを解いて蓋を開ける。しかし……。

「え、何で!?」

 田村は大きく目を見開いた。

 なぜなら旅行鞄の中には、何も入っていなかったからだ。

 確かに、あのぬいぐるみは、この鞄に入れたはずだった。

 思い起こしてみても、その記憶に間違いはなかった。

 瞬きを繰り返しながら、鞄の底を見つめる田村。

 次の瞬間だった。

 茶箪笥ちゃだんすの上にあった花瓶が、真っ二つに割れた。

 活けてあった紫丁香ライラックの花が、ばさりと倒れて、たばだばと滴る水が床を濡らす。

「これは、面白い……」

 塚本は唇の端を吊りあげて不敵に微笑んだ。




 ちょうど同じ頃だった。

 家政婦の内山明子は、佳音が眠りについたのを機に洗濯物を干す事にした。

 脱衣場にある洗濯機から洗濯物を出して籠に入れると、それを抱えて玄関から外に出た。

 一応、乾燥機もあるにはあったが、できるだけ洗濯物は太陽光に曝して乾かして欲しいというのが、雇用主である田村の要望であった。

 この日もよく晴れていたので、玄関を出て右手の庭先の物干し竿に洗濯物を丁寧にかけてゆく。

 その際、つい昨日、佳音が転落した辺りの地面を見つめて、内山は何となく顔をしかめた。

 彼女には佳音がなぜそんな危険な行動をするに至ったのか、具体的な理由はよく解らなかった。

 ただ、ふと視線をあげて、二階にある佳音・・・・・・・の部屋の窓硝子越し・・・・・・・・・に見える熊・・・・・のぬいぐるみ・・・・・・を目にした瞬間、言い知れぬ不安が胸のうちを過る。

 なぜなら、内山は佳音が、あの熊のぬいぐるみに向かって話しかけているところを何度か目撃していたからだ。


 ……あの熊のぬいぐるみは、何かおかしい気がする。


 単なる人形遊びならば、ここまで不安に思う事はなかったであろう。

 しかし、佳音の口から発せられていた言語は、内山にはまったく耳馴染みのないものだった。

 それは、まるで、どこか異界の言葉のような……。

 単なる子供の遊びだと、彼女は、そう思い込んで、この佳音の奇行に対して見てみぬ振りを貫いてきた。

 内山は、ぞっとして窓際の熊のぬいぐるみから目を逸らす。そのまま、脇目も振らずに手を動かして洗濯物をすべて干し終わった。

 そうして、内山が地面に置いた空の洗濯籠を持ちあげて、視線をあげたときだった。

 それは、前方の躑躅つつじの生け垣の向こう側。 

 いつの間にか、地味な格好の少女がそこにいた。

 ダークブロンドの髪と異国の血を感じさせる目鼻立ちをしていたが、華やかさはまったくない。惚けた表情で立ち尽くし、田村邸をじっと眺めていた。

 内山は、その少女の視線の先を辿る。すると、二階の佳音の部屋の窓へと行き着いた。

 はっとして、もう一度、彼女の方を見る内山。

 すると、少女も内山の視線に気がついたらしく、気まずそうな半笑いを浮かべ、視線を惑わせる。その場から早足で立ち去っていった。

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