【02】岡田姉妹


 遠くから救急車のサイレンの音が微かに聞こえた。

 少し草臥くたびれた一軒家のダイニングで、テーブルに肘を突きながら少女は溜め息を吐いた。

 手に持っていた買ったばかりのスマホで、友人に遊びの誘いを断るメールを打って送信する。

 その異国の血を感じさせる整った顔立ちと、ダークブロンドの髪は岡田世花とよく似ていたが、彼女とは違い華があった。

 しかし、陰鬱な色を帯びた表情をしており、少女の気分が決して良好とは言えない事を物語っていた。

 彼女は九尾天全。本名を岡田恵麻という。岡田世花とは一卵性双生児の姉妹関係にある。

 彼女はつい先日、父であり先代であった春麻はるまより“九尾天全”の名前を継いだばかりであった。

「……何で、あんなに自信ないんだろ」

 薄暗い天井を見あげながら、血を分けた姉妹である世花の事を考える。

 それはつい数十分前の事。

 昼食を終えたあと、九尾は、生前の父と同じく 祓魔ふつまの仕事をやらないかと、世花に誘いをかけた。

 なるべく何気ない調子で気軽に話を切り出したのだが、結果は惨憺さんたんたるものであった。

 世花の言葉は『考えておく』の一言であったが、その表情を見れば本心は一目瞭然いちもくりょうぜんであった。

 そのまま、誤魔化すように引きった笑みを浮かべながら『散歩に行ってくる』などと言って、家を後にした。

「いつもは部屋でゴロゴロしている癖に……」

 九尾は普段のだらしない世花の姿を思い起こして頬をふくらませる。

 因みに世花は、世話好きな九尾が一緒に父の跡を継ごうと誘ってくれた動機について大きな勘違いしていた。

 実は九尾の方も自分一人でやっていける自信がなかったのだ。

 彼女には世花とは違い、すべての物事を器用にこなす才能があった。もちろん、少しだけ思い込みが激しく、抜けているところはあるにはあったのだが。

 その事を差し引いても、周囲から称賛されて注目を集めるのは九尾天全こと岡田恵麻の方ばかりで、世花は常に日陰の中にいた。

 口さがない者たちが、世花の事を“恵麻の劣化コピー”などと言って嘲笑ちょうしょうする事もあった。

 実際、学業や運動、社会性など、あらゆる事柄において世花よりも彼女の方が勝っていた。

 しかし、それでも九尾は信じていた。世花は単に自己評価が低いだけで、自分などよりもずっと才能に溢れているのだと。

「……世花さえいれば、上手くいくのに」

 そう独り言ちたあとだった。

 玄関の引き戸が慌ただしく開く音が聞こえた。

 どたどた……と、非常に慌てた足音がして、ダイニングの開かれた戸口に血相を変えた世花が姿を現す。

「恵麻……恵麻……ヤバい! ヤバい……」

 何やら語彙が吹き飛んでおり、完全に冷静さを失った様子で詰めよってくる世花。

 そんな彼女に気圧されながらも、九尾はどうにか事情を聞き出そうと試みる。

「ねえ。ちょっと、落ち着いてよ。世花。いったい何があったのよ?」

 彼女の両肩に手を置いて、瞳をのぞき込む。

「落ち着いて、ゆっくり最初から話してみて」

 しかし、そこで世花は、たっぷりと口ごもったあとで、気まずそうに視線を惑わせて半笑いになる。

「ごめん。何でもない……」

 と、言って、その場から立ち去り、自分の部屋へと引きこもってしまった。




 看護士はベッドの上で静かに目をつむる佳音を見おろしながら言った。

「……軽い脳震盪のうしんとうですね。検査の結果を見ても異常はなかったようです」

「そうですか……」

 と、安堵あんどの溜め息を吐くのは、田村有加子であった。

「……取り敢えず経過を見て、明日の朝、何事もなければ退院という事で。申込書や同意書などは、こちらの封筒の中に入れてあるので、あとで必要事項を記入しておいてください」

 と言って、看護士はA4サイズの封筒を田村に手渡した。

 そして、挨拶を残したあと、病床を取り囲む間仕切りのカーテンを押し退けて病室から立ち去っていった。

 田村は看護士を見送ったあと、娘が眠るベッド脇のパイプ椅子に腰をおろして肩の力を抜いた。

 本来ならすぐにでも仕事に戻らなければならなかったが、流石にそんな気分にはなれなかった。

「どうして、あんな事を……」

 あのとき、田村の目には娘が自分から窓の外へと飛び降りたように見えた。

 何かの悪戯のつもりだったのだろうか。

 どうにかして母親を驚かせようとして、誤って窓から転落してしまったのではないか。

 しかし、田村が知る娘の佳音は物静かで、そうした悪戯を仕掛けるような子供ではなかった。

 では、いったい、なぜ娘は唐突に二階の窓から飛び降りてしまったのだろうか。

 幸いにもかすり傷一つ負わなかったからよかったものの娘の突然の奇行は、田村を大きく困惑させた。

「どうして……佳音……」

 中腰になり、安らかに眠り続ける娘の頭をそっと撫でた。

 ……その直後だった。

 田村のうなじがざわりと総毛立そうけだった。思わず背筋を震わせ、身体を強張こわばらせる。


 ……後ろに誰かいる。


 田村は中腰の姿勢からゆっくりと背筋を伸ばし、背後を振り向いた。

 すると、間仕切りのカーテンに人影が浮かびあがっていた。

 癖のある長髪の女の子。

 丸く膨らんだパフスリープの肩のラインと腰から膝下までのスカート。

 カーテンと床の隙間に目線を下げると、そこには古めかしいおでこ靴の爪先が二つ並んでいた。

 誰かがカーテンの向こうにいる。恐らく佳音とさして変わらない年齢の女の子が……。

 田村は怪訝けげんに思いながらも、特に躊躇ちゅうちょする事なくカーテンを開いた。

 しかし、そこには誰もいない。

 そこで、田村がふと目線をさげると、あの熊のぬいぐるみが床に腰をおろして、彼女の事を見あげていた。

 

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