【02】囁き声


 次の日曜日の朝、さっそく二人は電車を乗り継いで、ささやく家が所在する赤牟市あかむしへ向かった。

 駅からバスに乗り継ぎ、あの囁く家のある二社地区ふたやしろちくへと向かう。

 そのバスの車中の後部座席でだった。

「囁く家は『The Haunted Seeker』で紹介された事もあって、中々有名な心霊スポットなの」

「ふうん。どんな場所なの? そもそも」

「そこの地下室で、少女らしき声や、ガリガリと壁を引っ掻くような音がするそうよ」

「中々、オーソドックスでおもむきのあるスポットみたいだね」

「そうなのよ。梨沙さんも、心霊スポットの味わいの違いが解ってきたみたいね」

「それは、これだけ心霊スポットに凸しまくれば、舌も肥えるよ」

 と、肩をすくめる桜井であった。

 なお、朝の下りの便の為か、車中には彼女たち以外の客はおらず、このイカれた会話を聞くものは誰もいなかった。

「確かに梨沙さんの言う通り、王道心霊スポットではあるのだけれど、今までイマイチ食指が伸びなかったのよね……」

「その心は?」

 桜井の問いに茅野は苦笑しながら答える。

「それは、あの『The Haunted Seeker』で紹介されているからよ」

 桜井が「ああ」と得心した様子で頷く。

「確かに、あのスウェーデンさんの紹介というと、何かインチキ臭いしね」

 しかし、茅野は右手の人差し指を横に振って、得意気にほくそ笑む。

「違うわ。単に人が紹介した有名な場所に行きたくなかっただけよ……」

「循って、そういうとこ、こじらせてるよね……」

 すると、そこで停留所に停車したバスの横をパトカーが通りすぎる。

「今日は多いね。何かの事件でもあったのかな?」

 桜井の問いに、茅野が「さあ?」と言って肩をすくめる。

「それはそうと、山本さんがその少女を目撃した五年前だけれど、二社近辺で何かの事件があったという記事はみられなかったわ」

「うーん……その少女は実在したのか……」

「もしくは、その存在ごと隠蔽いんぺいされたのか……ね」

 そうこうするうちに、バスは二社地区に到着する。




 画面には、スウェーデン堀の後ろ姿が映っている。

 白く湿った壁に挟まれて地の底の闇へと続くのは、木製の階段だった。

 堀とカメラが、その階段を一段降りる度に、きしんだ足音が鳴り響く。まるで老婆の悲鳴のようだ。

 やがて、スウェーデン堀は階段を降りきり、地下室の扉の前に辿り着く。

 カメラの方を振り向き『ここが問題の地下室です』と言って、再び扉へと向き直る。

 がちゃり……と、ドアノブを捻った音がして扉がゆっくりと開く。

 地下室は入り口のすぐ左手の壁一面が棚になっていた。

 工具や掃除用具、段ボール箱などが詰められている。

 スウェーデン堀はカメラを引き連れて、その壁沿いにゆっくりと前進する。

 照明の光の中、右側の天井からぶらさがる裸電球が一瞬だけ煌めいた。

 そしてスウェーデン堀が突き当たりに到着した瞬間だった。


 『おい。今、何か聞こえなかったか?』


 スウェーデン堀がきょろきょろと辺りを見渡す。


 がり……がり……。


 というこもった雑音。そして、


 『出し……て……。ここから出して……』


 少女の囁く声。

 スウェーデン堀が大袈裟な調子で騒ぎ始める。

 そして、リプレイが始まる――




 壁の中のエリは、まだ生きている。

 倖田亮一こうだりょういちが、あの動画を観て真っ先に思った事はそれだった。

 その瞬間、彼の脳裏にエリと暮らした日々の思い出が鮮やかに甦る。

 気がつくと彼は涙を流していた。

 あの動画を彼が見つけたのは、ほんの偶然だったのか……それとも目には見えないえにしによって導かれたのかは判然としない。

 兎にも角にも、倖田は動画を見た直後に、あの忌まわしき出来事のあった家へと向かう事を決めた。

 その動画とは、もちろん『The Haunted Seeker vol,11 囁く家』である。

 そして、件の囁く家と呼ばれる心霊スポットは、かつては彼が暮らしていた家だった。

 妻だった万里江、そして、あの金髪で青い瞳をしたエリと共に……。

 山沿いの田園地帯の縁をなぞるように蛇行する道を走りながら、倖田は思い出す。

「くそっ。万里江のやつ……」

 倖田はすぐにメールで万里江に動画の事を教えたのだが、返事は返ってこなかった。


 ……無責任だ。


 倖田は元妻の態度に憤慨ふんがいした。

「お前が殺したんだぞ? エリを……」

 あの夏の日、万里江がエリに酷い仕打ちをし、倖田は変わり果てたエリを地下室の壁の向こうに埋めた。

 地下室の入り口から正面奥に、配管などの関係で幅と奥行きが共に一メートル二十センチくらいのデッドスペースがあった。

 そこにエリを寝かせ、入り口に板を張り、モルタルを塗り固めて覆い隠した。

 倖田としては、万里江がエリに行った仕打ちは許しがたいものがあったのだが、それでも妻を突き放して、見捨てる気にはなれなかった。

 なぜなら妻を狂気におとしいれたのが、他ならぬ自分自身である事をよく理解していたからだった。


 ……自分がエリを家に連れてこなければ、こんな事には……。


 その罪悪感があったからこそ、あの夏に起こった忌まわしき出来事をいっさいなかった事にして、すべてを忘れようと思ったのだ。

 それが倖田の、万里江に対する贖罪しょくざいであった。

 しかし、万里江には己の罪を省みようという態度はいっさい見られなかった。少なくとも倖田には、そう思えた。

 事件の後の『私はいっさい悪くない』といったような万里江の態度。

 そして、せっかく壁の中からエリを救い出し、やり直すチャンスだというのに、過去は忘れたとでも言わんばかりに無反応な事――。

「お前は、人を殺したんだぞ?」 

 仕方がないので、万里江の家に直接向かい協力を要請したが、けんもほろろであった。

 恫喝どうかつしてでも元妻を連れ出して、エリに謝罪させるつもりだったのだが、彼女の態度はかたくなであった。

 結局、倖田は万里江の説得を諦める。

 大喧嘩の末に赤牟市中央町にある元妻の住居を後にして、そのまま囁く家へと独りで向かう事にした。 

「……もう、あんな薄情な女の事など、どうでもいい」

 今はエリだ。愛娘を数年ぶりにこの手で抱き締めるのだ。

 彼がハンドルを握るプリウスは、もうすぐ二社地区に到着する。

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