【01】白い家の少女


 山本やまもとひよりが、その家について覚えている事は以下の通りだ。

 山肌の斜面に広がる集落の最も高い場所に建っていた。

 周囲の他の住宅とは明らかに違う白い洋風建築であった。

 木板の柵に囲まれた芝生の庭先には、びついたブランコがきしんだ音を立てて揺れていた。

 門から割って延びる石畳の先には両開きの扉があった――


「ほら。あの板チョコみたいな扉です」

 その山本の言葉に、桜井は「ああ!」と手を叩く。茅野は口角を柔らかく釣りあげる。

「元々、板チョコ自体が扉をモチーフにした物だから『板チョコみたいな扉』という表現は正確ではないわね。板チョコが扉みたいなのよ」

 そう言って、珈琲に角砂糖を三つ落とした――


 それは、いつものオカルト研究会の部室だった。

 何事もなく藤花祭が終わったその日の放課後、依頼人がやってきた。

 それが一年生の山本ひよりだった。

 小柄で小動物じみた外見の女子だった。速見立夏のクラスメイトで彼女に連れてこられたのだ。

 速見はというと『家の手伝いがあるから』と山本を置き去りにして早々に帰っていった。

 そのときの山本は、まるで肉屋の荷馬車に揺られる仔羊のような顔をしていたが、次第に落ち着き、依頼内容をぽつぽつと語り始めた。

「……で。その白い家がどうしたのかしら?」

 茅野が促すと、山本は「あ……はい」と小声で呟き、しばし思案して言葉を選んだのちに口を開いた。

「その家は私のお婆ちゃんの実家の近くにあって……」

 彼女は小学五年生の時に祖母の家に預けられていた事があった。

「お父さんとお母さんが離婚する事になって、その関係で半年間」

 実家より学校までの距離が遠くなったので、その期間は祖母の車で送迎してもらっていたのだという。片道で一時間もかかったらしい。

「それは大変だったんだねえ……」

 と、桜井が極めて呑気な調子で言った。すると山本は、ふるふると濡れた仔犬のように首を振る。

「悲しかったけど、当時はずっと二人が顔を合わせれば怒鳴り声をあげて、喧嘩ばかりしていて……だから、お婆ちゃんの家で暮らすようになってからは、何かほっとしたっていうか……友だちとあんまり遊べなくなったのは寂しかったけど」

「ふうん」

 桜井は、ぼんやりと相づちを打った。

 なお現在、山本は父親に引き取られ、この藤見市で暮らすようになったのだという。

「それで先週、お婆ちゃんが死んで……お葬式の時に、久し振りにお婆ちゃんの家にお父さんと行ったんだけど、その時に色々と当時の事を思い出して」

 山本の記憶では、くだんの白い館には、若い夫婦と小さな女の子が住んでいたのだという。

「女の子と初めて会ったのは、お婆ちゃんの家にきてすぐの頃なんです。近所を散策していたら、その家の広い庭先のブランコに、ひとりで座っていて。私の方からは背中しか見えなかったんだけど凄く綺麗な金髪だなって」

「じゃあ、白い館に住んでいたのは外人さん?」

 この桜井の質問に山本は首を振る。

「違います。白い館に住んでいた若い夫婦は、どう見ても日本人でした。女の子とは親子……だったのかもしれないけど、血は繋がっていなかったと思います」

「なるほど。続けて?」

 茅野が促す。

「……それで、木板の柵の隙間から、女の子の事をじっと見ていると……」

 その少女が顔をこちらに向けたのだという。

「その時、何か凄い違和感がして……」

「リンダ・ブレアのごとく、首が百八十度、回転したのかしら?」

「リンダ……誰です?」

「いいえ。単なる冗談だから話を続けて?」

「はい」

 と、素直に頷く山本だった。そして話を再開する。

「……何て言うか……本当に、ただ漠然とした印象なんですけど。綺麗な顔だったけど、凄い不気味っていうか……」

 山本の記憶では、硝子玉のような青い瞳の整った顔立ちの少女だったのだという。

 そして、しばらくじっと見つめていると……。

「その家に住んでいた奥さんの方がやってきて……」

 突然、少女の髪の毛をつかんで、ブランコから乱暴に引きずりおろしたのだという。

「そのまま、少女の事を引きずって、家の方へ。ばたん、ていう玄関を閉める音が聞こえて、それっきり……私には気がついていなかったみたいで」

 桜井と茅野は視線を合わせる。

「虐待かしら」

「だいぶクソだね」

「それで、怖くなって……お婆ちゃんにその事を話したんです。そうしたら『あの家に外国人の女の子なんかいない』って」

 茅野は怪訝な表情で、再び桜井と視線を合わせる。

「どういう事なのかしら……?」

「お婆ちゃんの話では、その家には、二人の若い日本人の夫婦しか住んでいないって……」

「貴女の祖母が嘘を吐いていた可能性は?」

 茅野の問いに山本は首を横に振った。

「お婆ちゃんは、そういう冗談を言う人ではありませんでした。そもそも、そんな嘘を吐く理由が思い当たりません」

「まあ、それもそうだね」

 と、桜井。

「……それで、気になって、お婆ちゃんの家での暮らしも慣れてきた頃……あれは確か夏休みに入ってひまになって……」

 彼女は、その白い家の庭先に忍び込んだのだという。

「貴女も大人しそうな顔でやるわね。それで?」

 茅野がなぜか嬉しそうに言う。山本は反応に困った様子で苦笑し、話を続けた。

「窓にかかったカーテンの隙間から家の中を覗いたら、例の奥さんが、床に寝転んだ金髪の女の子に木の椅子を何度も、何度も、振りおろしていて……」

 桜井と茅野は大きく息を呑んだ。

「それで、その少女はどうなったのかしら……?」

 茅野の問いに山本は少しの間、考え込んでから慎重に答える。

「それが、覚えていなくって……でも、多分、その女の子、死んでたと思います。全然、動いていなかったから……」

「それから、貴女はどうしたのかしら?」

「奥さんに気がつかれて、慌てて逃げて……それからの記憶が曖昧あいまいで……」

「きっと、ショックで記憶喪失になったんじゃないかな」

 その桜井の言葉に山本は「多分、そうです」と頷く。

 そこで茅野が問うた。

「それで、私たちは具体的に何をすればいいのかしら?」

「お願いです。私があのとき見た物が何なのか知りたいのです。本当に、あの女の子は存在したのか……あの家で殺人事件があったのか……」

「中々エキサイティングな感じだね。で、その家はどこにあるの?」

 まるで、お薦めのラーメン屋でも尋ねるかのような調子の桜井。

 山本はスマホを取り出すと画面をなぞる。

「実は……その家っていうのが、これなんですけど」

 画面の中では、波打った長髪の丸眼鏡の男が山間の集落の坂道を歩きながら、身振り手振りを交えて喋り続けている。

 その顔を見て桜井が声をあげる。

「あっ。スウェーデンさんだ」

「懐かしいわね。ほんの数ヵ月前の事だけれど……」

 画面の男はあの『The Haunted Seeker』のレポーターのスウェーデン堀であった。

 スウェーデンがその坂道を登りきると、木板の柵に囲まれた白い家が見えてきた。

 門前からうかがえる庭先は荒れ果てており、窓はすべて板が打ちつけられている。

 スウェーデン堀が足を止め、家を背中にカメラ目線で言う。


『えー、着きました。ここが今回の舞台“ささやく家”です』


「囁く家……」

 桜井が呟く。

 山本が動画の再生を止める。

「色々、思い出してから、あの家について調べてたら……もう誰も住んでいないらしくて、今は心霊スポットになっているらしいです」

「中々、面白そうね……」

 そう言って、茅野は飢えた獅子のように舌舐めずりをした。

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