【11】自己犠牲
板の下には遺体の他に、丸まったロープとペンライト、肩掛け鞄、
鞄の中にはミネラルウォーターの空ペットボトルとカッターナイフが入っている。
「……結局さあ、どういう事なの?」
井戸からあがってきた桜井が端的に茅野へと尋ねた。
「白川さんは、我が身を犠牲にしてこの井戸に呪いをかけたの。『井戸が呪われている』という自らの言葉を真実にする為に」
「えっ、じゃあ……自殺?」
西木は再び井戸の底を見おろす。
人生で二度目の死体発見は、以前より恐怖を感じないが、やはり不気味だった。
茅野が西木の疑問に答える。
「そうよ。これは自殺。橋村、久我山、遠野の三人に騙されて“自らが霊能者である”という幻想を打ち砕かれた彼女は、その幻想を本物にする為に、
「そんな……たった、それだけの為に?」
西木は驚きをあらわにする。
「他人にとっては単なる中二妄想だったんだろうけど、彼女にとっては、きっと何よりも大切な事だったんだろうね」
桜井は井戸の底に横たわったままの白川を見おろしながら言う。
「でも、それなら彼女は、いつからこの井戸に?」
茅野が遠くを見る眼差しで、白川の亡骸を見おろしながら西木の問いに答える。
「彼女がこの井戸に入ったのは二〇〇三年の藤花祭の直前なんじゃないかしら」
「そんなに前から? じゃあ、あの十六年前の藤花祭の騒ぎは……」
「あれも彼女の仕業でしょうね。きっと」
「あたしたちが観ても、特に何ともなかったけど、やっぱりオリジナル版には、コピーにはない力があったって事?」
「コピーとオリジナルで何らかの差異があった可能性もあるけれど、観た限りでは映像自体に何かがある訳ではなかった。……だから、きっと呪いの引き金は映像を観る事ではなく、あの映像が藤花祭で公開された事。自分の
「……でも、ちょっと待ってよ、茅野っち……。彼女があの当時、すでにこの状態だったのなら、もっと騒ぎになっているはずでしょ」
「確かに。白川さんがいなくなっている事に彼女の両親は気がつくはずだし、そもそも、ここに住んでいた橋村さんが彼女の死体に気がつかない訳がないよ」
西木と桜井は各々の意見を述べる。
すると茅野は右手の人差し指を立てて横に振った。
「梨沙さん、西木さん、思い出してみて。古木さんの話を。白川さんの両親は共にほとんど家に寄りつかなかったと。だから、白川さんがいない事に気がつかなかった。いいえ……もしかしたら、自分の娘が失踪した事に気がついていたけれど、あえて気がつかない振りをしていた可能性もあるわね」
「そんな。酷い……」
西木が絶句し、桜井は眉を釣りあげる。
「だいぶ、クソだね。白川さんの両親」
「更に、季節は十一月から気温の下がる冬へと向かうところ。
「だから、誰にも気がつかれる事はなかったんだね」
と、桜井。
「何気なく覗いたぐらいじゃ、あの板のお陰で、死体があるだなんて気がつかないって事か」
その西木の言葉に頷くと、茅野は「当日の白川さんの行動は、恐らくこうよ」と前置きをして説明を開始する。
「まずは、ロープを柱にかけて両端を結び合わせ、大きな輪にする。それから、あの板を先に、井戸の中へと落としておく……」
茅野は一息に、そこまで言ってから、目を瞑り頭の中で白川の動きをトレースする。
そして、再び色素の薄い瞳を見開き語り始めた。
「……井戸の蓋は漬け物石を乗せたまま身体がギリギリ通るぐらいの隙間を作り、輪にしたロープに足をかけて井戸に入り、中から蓋を閉める」
「ふうん……なるほど」
いつものように桜井が、話を聞いているのかいないのか判然としない調子の相づちを打った。
更に茅野の話は続く。
「それから、カッターナイフで切断して輪を一本のロープに戻す。ロープを握ったまま底に落ちて、板の下に潜り込む」
「それで、睡眠薬か何かを飲んだんだね?」
桜井の言葉に茅野は頷く。
「白川さんは、単に井戸の中で自殺する事をよしとしなかった。橋村たちに、自分が言った通り、最初から井戸が呪われていたのだと解らせたかった。
「でも、そんな事……そんな理由で死を選ぶ事ができるとしたら、自分が本物の怨霊になれると確信していなければ不可能よ」
西木は井戸の底の死体よりも、目に見えない霊的なモノよりも、その白川貴理絵の狂気の方がよほど怖いと思った。
「それについては、単なる信仰や妄想だったのか……彼女にはそういったものを信じるに足りる何かの根拠を持ち得ていたのか……今となっては知りようがないわ」
「真実は闇から闇へだね……」
桜井が鹿爪らしい顔で、何か解ったような事を言った。
そこで西木が新たな疑問を口にする。
「じゃあ、土蔵の鍵は? どうやって突破したのかな。白川さんは」
「それについては、完全に想像になってしまうけれど……」
「いいよ。言って?」
桜井に促され、茅野は語り始める。
「ファニーゲームの映像では土蔵の扉に鍵は掛かっていなかったわ。もちろん撮影の為に鍵を開けていたという可能性はあるけれど、普段から鍵は掛けていなかったんじゃないかしら?」
「なるほど。あの板を作る為に、井戸の大きさを測ったり……下見は絶対にしただろうし。普段から、この土蔵へは簡単に出入りが可能だったと考える方が自然か」
西木が得心した様子で首を縦に揺らす。
「多分、あの南京錠と鎖が扉に掛けられたのは、二〇〇四年の十月二十三日以降」
「それって、何の日付だっけ?」
桜井の問いに茅野は答える。
「中越震災よ」
桜井が、ぽんと両手を叩き合わせる。
「ああ……そっか」
「その時、母屋が倒壊して橋村一家は他所の土地に住居を移した。その時、土蔵に鍵が掛けられたんじゃないかしら?」
「あたしたちのような廃墟探索の不法侵入者に立ち入られないようにだね」
「不法侵入者っていう自覚はあるんだね……まあ、私もだけど」
西木が呆れ顔で笑った。
「さあ、そろそろ警察に通報しましょ。もちろん匿名でね」
茅野が土蔵の入り口へと向かう。
桜井と西木も後に続いた。
再び土蔵の扉が閉ざされた。
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