【08】呪いの井戸


 種明かしの後、白川貴理絵が狂気じみた悲鳴をあげた。

 にやついた笑みを浮かべていた橋村、久我山、遠野の三人の表情がひきつる。

「ちょっと、白川さん、近所迷惑だからやめてよね」

 橋村は慌てて白川をとがめる。

「どど、どうして、こんな事を……」

 白川がよろめきながら立ちあがる。

 久我山が肩をすくめた。

「私たちのクラス、藤花祭の出し物、ドッキリ映像やるの。これ藤花祭で流すから」

 橋村と遠野が爆笑した。

 その嘲笑ちょうしょうを聞きながら白川はうつむきすすり泣く。

 橋村が鋭い声で凄む。

「やめろっていっても無理だからね? そもそも、あんた、私がこの話を持ちかけた時点で『自分には霊能力はありません。だから霊視なんて無理です』って断っていればよかったんだから」

「そう。嘘を吐いていたのはお互い様でしょ? だから被害者ぶるのはやめてね?」

 この遠野の言葉で、再び橋村と久我山は爆笑する。

 すると白川はうつ向いたまま、ぷるぷると首を横に振った。

「違う……そうじゃない」

「そうじゃない? 何が違うのよ」

 橋村の問いに白川は答える。


「その井戸は、本当に呪われている……」


 沈黙。

 そして久我山が吹き出す。

「……ぷっ」

 ワンテンポ遅れて他の二人も腹を抱えて笑い声を立てた。

 橋村がどうにか堪えながら言う。

「馬鹿じゃないの? あの心霊写真も寿子がフォトショップで作った偽物だし……」

 遠野寿子がどや顔で眼鏡のブリッジを押しあげた。

「……この井戸で人が死んだって話も、私が井戸の夢を見たって話も全部、嘘なのよッ! あんたは、頭のイカれた嘘吐きの電波女なのッ!」

 橋村が一気にまくし立てると、白川は激しく長い黒髪を振り乱し叫ぶ。


「違うッ!!」


「何が違うのよ? 本当にあんた、病院へ行ったら?」

 久我山が少し苛立った様子で言った。すると白川は三白眼さんぱくがんで三人を睨みつける。


「……あの井戸の底には、何かよくないモノがいる」






「よくないモノ?」

 桜井が九尾に問い返す。

無闇矢鱈むやみやたらに、人に危害を加えるような悪霊ではないみたいだけれど……近づかない方が無難よ』

 次に茅野が問うた。

「もしかすると、この井戸で過去に誰かが死んでいるとか……そういった事実があったりするのかしら?」

『ええ』

 と、あっさり肯定する九尾。

 そして、更に言葉を続ける。

『まだ……井戸の底にいるわ・・・・・・・・

 ずっと黙って聞いていた西木が息を飲んだ。

 再び茅野が問う。

「その存在について、他に解る事は?」

 少し間を置いて九尾からの返答があった。

『駄目ね。その写真だけじゃ。ちょっと、よく解らないわ……』

 情報が少ないというのもあるが、今の九尾は仕事明けで著しく集中力を欠いていた。

「そう。まあ仕方がないわね」

 茅野が肩をすくめると、必死な九尾の声がスマホから聞こえた。

『と、とりあえず、本当にもうあの井戸に近づいちゃダメよ! 絶対だからね!?』

「わかった、わかった」

 桜井が呑気な調子で言う。

「大丈夫よ。写真も撮ったし、そもそも、もうあの井戸に行く必要がないもの」

『本当にぃ……?』

 疑わしげな九尾の声。

 すると桜井が再びスマホに向かって語りかける。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

『あなたのその“だいじょうぶ”という言葉に説得力と真実味を微塵みじんにも感じないんだけど……』

 すると、そこで茅野がスマホを持ちあげる。

「もう五限目の授業が始まっているから切るわね」

『ちょ……』

 茅野が画面を、とん、とタップして通話を切った。桜井にスマホを返す。

 それを見ながら、ずっと黙っていた西木が半眼の呆れ顔をする。

「何となく、今の人と貴女たちの関係を察したわ……」

 三人は結局そのまま保健室で授業をサボる事にした。




『もう五限目の授業が始まっているから切るわね』

「ちょっ、待って……」

 通話が切られた。

 九尾はスマホを眺めながら「もうっ」と頬をふくらませる。

「絶対にあの二人、忠告聞く気ないよね……」

 井戸の写真を見た時に感じた禍々しい気配……。

 それは恐らく、最初はほんの小さな、か弱いモノであったのだろう。

 それが時間をかけてゆっくりと熟成し、井戸の底に溜まり、溢れだした。

 ああした暗く狭い地の底では、悪いモノが育ち易い。

「やっぱり、わたしも行くべきかしら……」

 そう言って電車時刻をスマホで調べ始める九尾であったが……。

 台風十九号による甚大じんだいな被害で各種鉄道のダイヤはまだ復旧しきっていなかった。

 桜井や茅野の暮らす藤見市へは行けない事もなかったが、通常時よりもずっと時間が掛かる上に乗り換えが色々と面倒臭い。

 九尾は死んだ魚のような目になり、スマホをそっと充電器に繋いだ。


「……まあ、いっか」


 そして、箱根山の一升瓶の蓋を、きゅぽん、と開けると、座卓に置いてあった湯飲みの上で傾けた。

「無闇に人に危害を加えるような悪霊ではないみたいだし……」

 とくとく……という耳障りの良い音を聞きながら独り言ちる。

「あの二人なら、大丈夫だよね?」

 そうして湯飲みを、ぐい、と一気にあおるのだった。

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