【01】鋼鉄の処女
翌日の昼休みだった。
桜井と茅野の二人は手早く昼食を済ませると、体育教官室へ向かった。
体育教師は大抵、この体育教官室か職員室のどちらかにいる。場所は体育館の裏手にある入り口を出てすぐ左手にあった。
体育館からは昼休みの
そんな中、茅野はノックした後に「失礼します」と言いながら戸を開けた。
すると、ちょうど“鋼鉄の処女”こと相田愛依が、自分の机で弁当を食べているところだった。
無造作に髪を後ろで縛っており、野暮ったいジャージ姿だった。常に鋭い眼光で、長身もあいまって迫力が凄い。
「おっ。なんだ……お前らか。どうした?」
はっ、とした様子で、相田は食いかけの弁当箱を閉じ、右手に持っていた箸をその蓋の上に置いた。
「ちょっと、先生にうかがいたい事があってきました。お時間よろしいでしょうか?」
「だから、どうした」
相田はそう言って、なぜか気まずそうに笑い、左手の人差し指の先を掻く。
そして茅野は桜井と共に相田の元へ近づくと、まじまじと彼女の爪先からてっぺんまでを
「先日の三連休は原稿でしたか?」
「ん? 循、原稿って、どういう事?」
桜井の質問には答えずに茅野は続ける。
「県内最大の即売会まで
相田は目を白黒とさせながら茅野に問うた。
「い、いったい、お前は何を言っているんだ?」
「惚けなくてもよいですよ。同人誌ですね? 台風で外に出れなかった先日の連休中はずっと家で原稿を描いていた。違いますか?」
「お……お前、どこまで知っている……?」
「知っていたのではありません。
「観察……だと?」
茅野が右手の人差し指を立てる。
「まず以前より気になっていたのは、そのペンだこです。先生は、一見すると利き腕は右手だから気がつきにくいですが、その左手の人差し指の先にあるのは明らかにペンだこだ。先生、両利きでしょう? 食事やスポーツをする時は右手だけれど、絵や文字を書くときは左手。違いますか?」
「あ……ああ。確かにそうだ」
普段の強面が見る影もないほどに青ざめている。
茅野も桜井も、ここまで動揺した相田を見た事がなかった。
「これは忠告ですが、もしも隠したいならば、その左手の人差し指の先にあるタコを引っ掻く癖はやめたほうがいいと思います。さっきもやってましたよね? 逆に目立ちますよ」
茅野の問いには答えず、相田はギロリと睨み返してきた。
まるでギリシャ神話のメデューサもかくやという眼力である。
あまりの迫力に桜井は、ごくりと唾を飲み込んだ。
茅野も少し怯んだ様子であったが、どうにか話を先に進めた。
「そ……それから、一番の失敗はそのジャージの袖です。トーンの切れはしと削りカスがついています」
その一言で再び形成は逆転する。相田は見るからにあわてふためき、両方の袖口を交互に叩いた。
茅野は更に追い討ちをかけるべく、言葉を紡ぐ。
「恐らくは、台風による連日の悪天候で洗濯物が貯まってしまった。きっと原稿製作に集中し過ぎていたせいもあるのでしょう。着るものがなかった貴女は、仕方なしに原稿製作の時のユニフォームである、そのジャージを学校に着てきてしまった。どうやらそれが仇となってしまったようですね」
ぐぬぬ……と言いたげな顔で、相田は数秒思案した後に言い訳をまくし立てる。
「た、確かに洗濯物が貯まってしまったのは事実だが、このジャージは妹の物だ。妹のジャージを借りてきたのだ! 妹がそういう……漫画とかを描くのを趣味としていて……兎に角、私じゃあない! 私は同人など描いていないッ!」
そこで茅野は、びしっ、と閉ざされたままの弁当箱を指差す。
「では、その弁当箱を開けてみてください。先生が無実だというならば! 早く!」
「循……その弁当箱には、いったい……?」
そこまで黙っていた桜井が問うた。茅野はペルセウスのごとき勇敢な眼差しで弁当箱を見据えたまま答える。
「梨沙さん……私たちが部屋に入ったと同時に、相田先生は慌てて弁当箱の蓋を閉めた」
「うん。確かにそうだったね」
「それと先生が何らかの同人誌を描いているであろう事を加味して考えれば、答えは明白よ」
「そっ、その答えとは……」
桜井が促すと、茅野は言い放つ。
それは蛇女の首を斬り落とす必殺の刃に等しき言葉であった。
「そのお弁当は、先生の推しキャラのキャラ弁なのよ!」
「キャラ……べん……だと……?」
桜井は呆気に取られた表情でのけ反り、たたらを踏んだ。
すると、相田は観念した様子でがくり、とうなだれ、弁当箱の蓋をそっと開いた。
ご飯上には、
その下部にはご丁寧に、海苔で“LOVE”と記されている。
「知ってますよ、先生。これは、ある乙女ゲーの俺様キャラですね? 実は先生、ああいうオラついた男子が好きなんですか?」
「意外とグイグイ迫られたいタイプだったんだね。センセ」
「うっう……」
相田は両手で顔を覆った。泣いているようだ。
一方、桜井はスマホで写真撮影を始めている。
「どうして、キャラ弁なんて学校に持ってきたんですか……」
その茅野の口調は、ドラマの中の人情刑事のような哀愁に満ちていた。
相田は涙を
「うっうう……愛が溢れて、止まらなくて……」
桜井と茅野は何とも言えない表情で顔を見合わせた。
オカ研顧問の戸田といい、この学校の教師は大丈夫なのかと不安になる二人であった。
「先生。この事は誰にも言いません」
「うん。どうせ誰も信じないしさあ」
茅野と桜井は優しく語りかける。
「その代わり、始めに言った通り、先生に訊きたい事があって、私たちはここにきたんです」
「訊きたい……事……?」
目頭をぬぐい、ぐずくずと鼻を鳴らしながら顔をあげる“鋼鉄の処女”相田。
「ええ。それにさえ答えていただければ、この事はすぐにでも忘れます」
「あたしが今、撮った写真も全部消すよ」
相田は思った。
この手口、あまりにも慣れている……と。
しかし、何にせよ、彼女には従う以外の選択肢は残されていなかった。
「……と、いうわけで、私たちはその呪われた映画を是非とも見たいのですが、先生は新任の頃に、その映画に関して、何か聞いた事はありませんか?」
「その映画はどんな映画だったの? センセ」
ようやく落ち着いてきた相田は、桜井と茅野の質問に答える。
「その話は確かに聞いた事があった。映画……というより、ドキュメンタリー? ドッキリ? 撮影した三年二組の生徒が何班かに別れて、他クラスの生徒や先生なんかに悪戯を仕掛ける。それを撮影した物をバラエティ番組風に編集したものらしい」
「そんな企画、よく生徒会や教師が承認してくれましたね」
茅野が呆れ半分で言った。桜井も「うん、うん」と頷く。
「……その辺りの事情までは知らないけどね。昔は今よりおおらかだったのかもしれない。それは兎も角、その作品の名前は“ファニーゲーム”というらしい」
「もらった卵を自分で割って逆ギレしそうなタイトルね」と茅野が顔をしかめる。
そこで相田は数秒間だけ思案してから口を開いた。
「一応、警察の調べでは
「けど?」
桜井が問い返すと、相田は申し訳なさそうに逡巡して、
「後は事情に詳しい人を紹介するから……そろそろ、お弁当を食べさせて」
と、“鋼鉄の処女”には似つかわしくない乙女の顔で言うのだった。
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