【File10】呪いの井戸

【00】藤花祭


 二〇〇三年の文化の日だった。

 湿った冷たい空気の中、溝鼠どぶねずみの死骸のような黒雲が今にも空から垂れ落ちてきそうだった。

 それは、冬に近づくにつれ頻繁に顔を見せるようになる、この地方特有の気候……。

 日照時間が目減りしてゆき、その事が長く厳しい冬の訪れを感じさせ、人々を鬱々とした気分に追い込むのだ。

 だがしかし、この日の藤見女子高校の敷地内には、華やいだ笑い声が溢れていた。


 藤見女子高校文化祭『藤花祭とうかさい


 校門にはペーパーフラワーで飾られたアーチ状のゲートが掲げられ、校舎の壁面には各クラスの出し物の宣伝用垂れ幕が並んでいた。

 体育館からは流行りのポップスをコピーしたギターの音色が鳴り響き、校舎内の至るところから粉物を焼く匂いが漂ってくる。

 生徒やその親族たち、他校の生徒の姿も見られた。

 皆、一様いちように笑顔で浮かれており、冬へと向かう鬱々うつうつとした気分を忘れて楽しんでいるようだった。

 そんな中、三年ニ組の教室でそれは起こった。

 かの部屋の窓はすべて暗幕で覆われており薄暗い。黒板の前には天井からスクリーンが垂れ下がっている。

 そこへ教室中央の学習机の上に置かれたプロジェクターから投影された映像が、映し出されていた。

 その学習机を取り囲むように整然と椅子が並べられており、そこに座る人々の視線がスクリーンへとそそがれている。

 映し出されているのは、少女の後ろ姿だ。黒く長い髪を腰まで垂らし、藤女子の制服を着ていた。画面の奥へと歩みを進めている。

 その彼女の後ろをカメラは追っている。

 アングルは低く画面のすみが丸く切り取られたように黒い。どうやら鞄か何かの中に仕込んだ隠しカメラで撮影された映像のようだ。

 天候は曇りで太陽は見えない。そのため薄暗い。ゆえにはっきりとは解らないが、そこはどこかの庭先のようだった。

 大きな庭石や石灯篭いしどうろう

 右手に濁った池が見えた。少女とカメラは慎重な足取りで、その脇を通り過ぎる。

 すると少女の前方に土蔵が見えてくる。

 少女は一瞬だけ後ろを振り向き、撮影者に向かって何事かの言葉をかける。

 その顔はピントが合っておらず、よく解らない。少女は撮影者といくつか言葉をかわし、観音開きの扉を押し開いた。中へと足を踏み入れる。

 土蔵の床は地肌がむき出しになっていた。

 画面の右手に二階への階段があり、正面奥に見える壁は棚になっていた。その棚には畑で使うと思われる肥料の袋やほこりをかぶった一斗缶いっとかん、農機具などが納められている。

 そして、その空間の中央に鎮座するのは古びた井戸だ。

 観客は固唾かたづを飲んで見守る。

 少女が井戸に近寄ろうとする。

 その瞬間だった。

 スクリーンを見つめていたすべての人々の表情が一斉に同じタイミングで歪んだ。

 絹を裂くような悲鳴があがる。それは瞬く間に伝播でんぱして教室内に広がった。

 ある者は椅子から転げ落ち、ある者は悲鳴をあげて戸口へと駆けた。

 ある者は呆然と立ち尽くし、上半身を揺らめかせながら白眼で天井を見つめている。

 床にのたうち、泡を吹く者もいた。それにつまずいて、絶叫する者も……。

 壁に手を突き、または、四つん這いになり嘔吐おうとする者もいた。

 教室内は阿鼻叫喚の地獄絵図と化す……。

 しかし、そんな事には構わず、映画は終了し、エンドロールへと突入する。

 そこでようやく、騒ぎを聞きつけた数名の教師がやってきた――




 それは二〇一九年。

 台風十九号の猛威冷めやらぬ、十月第三週の水曜日の放課後だった。

光過敏性ひかりかびんせい発作ほっさかしら……」

 いつものオカ研部室で湯気の立った珈琲カップを片手に、そう言ったのは茅野循である。

「ひかり……かびんせい……ほっさ?」

 その彼女の言葉に首を傾げたのは桜井梨沙である。

「視覚に飛び込んだ光刺激に対する異常発作の事よ。一九九七年の“ポケモンショック事件”で有名になった症例ね」

「ああ。そういえば、その事件から、テレビアニメとかで『画面から離れて視聴する事』と『暗い部屋での視聴を避ける事』のテロップがつくようになったんだっけ?」

 西木千里がそう言って、珈琲カップに手を伸ばした。

「そうよ。西木さんの話を聞く限りでは、それが一番、現実的な解釈という事になるけれど……」

 この日、ふらりとオカ研部室に顔を出した西木が、再び桜井と茅野の興味を引きそうな話を持ってきた。

 それが、藤見女子高校に伝わるという“呪いの映画”の伝説だ。

 十六年前、三年ニ組が藤花祭で自主製作映画を上映した際、大勢の観客が癲癇てんかんに似た発作を起こすという事件が起こった。

 そのとき上映されていた映画は“呪われた映画”として、今も語りつがれているのだという。

 因みに西木は、この話を同じ部の先輩から聞いたらしい。

「その映画はどういうストーリーだったの?」

 桜井が尋ねると西木は首を傾げる。

「さあ、そこまでは知らないけど……」

「それなら解る人に聞けばよいわ」

 と、言ったのは茅野である。

「解る人? 誰か知り合いにいるの?」

 桜井が首を傾げると、茅野は不敵な笑みを浮かべながら右手の人差し指を横に振る。

「梨沙さん。西木さん。貴女たちもよく知っている人よ」

 桜井と西木は顔を見合わせる。

「誰なの?」

 茅野が、その桜井の問いに答える。

「相田先生」

「ああ。相田先生……」

 西木が苦笑する。相田愛依あいだめいはバスケ部の顧問で体育教師であった。

「以前聞いた話によると彼女は新任の時、この学校で教鞭きょうべんをとっていたらしいわ」

 それから他県の高校に転勤となり、再びこの学校へと戻ってきたらしい。

「……それが十四年前の事ね。その事件の事をリアルタイムで知っている教師や生徒から話を聞いた事があるかもしれない」

「でも、相田先生だよ? 教えてくれるかなぁ?」

 相田愛依は大変に厳しく“鋼鉄の処女アイアンメイデン”と渾名あだなされ、生徒から恐れられている。もちろん、渾名の由来は有名な拷問器具からである。

 しかし、桜井と茅野には、まったく臆した様子は見られない。

「まあ、循に任せておけば大丈夫だよ。口八丁のでまかせはそこら辺の詐欺師より上手いからね」

「ふふっ。そんなに誉めないで頂戴ちょうだい。梨沙さん」

「いや、それ、誉めてるの?」

 なぜか嬉しそうな顔をする茅野に呆れる西木だった。

 しかし、この二人のクソ度胸……というか殺人犯すら恐れぬ、頭のぶっ飛び具合を彼女はよく知っていた。

「まあ、桜井ちゃんと茅野っちなら、“鋼鉄の処女アイアンメイデン”も恐れるに足らずといったところか」

 などと言うと、桜井はぶんぶんとポニーテールを振り乱して首を振る。

「いや、とんでもない。相田センセは超怖いよ」

「そうね。少なくとも、悪霊や殺人犯より恐怖度は上ね」

 と、茅野。

「ねえ……あんたたちの恐怖の基準って、どうなってんの?」

 西木は困惑ぎみの表情で首を傾げるのだった。

「それは兎も角、今回もまた面白そうな話をありがとう。中々興味深いわ」

 茅野がペロリと舌舐めずりをした。

「いえいえ。どういたしまして。私の方でも呪いの映画について、色々と調べてみるね」

 西木は気安い調子で、そう言って微笑んだ。

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