【02】二人組


 ようやく気候も秋らしさが深まり、広大な田園風景のいたるところでは、稲の刈り入れが始まっていた。

 この時期を過ぎると、稲穂が揺らめく黄金の海原はすべて消え失せる。

 既にいくつかの田園は刈り入れが終わっており、泥田がむき出しになっていた。

 そんな中を桜井と茅野の二人は自転車を駆り、一路いちろ黒谷方面を目指していた。

「あんがい、近くにあったんだね。そのトンネル」

「それが、そうでもないのよ」

 猿川ダムは五十嵐脳病院や弁天沼のある黒谷の北西の山中にあった。そのダム湖の裏手に旧猿川村トンネルがある。

「トンネルに行くにはダム湖の裏手にある森林公園の山道を登らなければならないんだけど、ダム湖を迂回うかいしなければならないから、けっこうな距離があるわ。更にそこまでは公共の交通機関が使えないから私たち高校生にとっては、なかなか大変な労力を使う事になる。下手に隣の県に足を運ぶより時間が掛かるわ」

 日帰りも辛い距離なのだという。

 ……なので、二人はくだんの森林公園にあるキャンプ場で一泊するつもりであった。

 ゆえにリュックはいつもより大きく、ファッションもハイカー風だった。

「……どっかで足になってくれそうな男子、逆ナンしようか」

「嫌よ、面倒臭い」

「まあ、冗談だけどさ」

「……でも、男の方から『乗ってください』って、土下座してきたら考えてやってもよいのだけれど」

「循の彼氏になったら、面倒臭そうだねー」

「ふふん。そうね」

 なぜかどや顔で鼻を鳴らす茅野だった。

 そこで桜井が、車道をすれ違う車を目線で追いながら、何かを思い出した様子で「あっ」と声をあげた。

「何かしら、梨沙さん」

「そういえば、親に免許取れって言われているんだ……。来年の春になったら教習所に通うよ」

 こういった地方では、まず免許がないと話にならない。単純な日常の移動手段としてもそうだし、就職にも支障をきたす。

 すべての移動を電車やバスでまかなえる都会とは、その辺りの事情が大きく違う。

 ゆえに自らの懐から金を出してでも、我が子に免許を取らせようとする親は多い。

「自分が早生まれであった事を、ここまで後悔した事はないわ……原付の免許だけでも取ろうかしら」

 茅野が悔しそうに言う。

 因みに彼女の誕生日は一月六日で、桜井梨沙は六月十三日生まれであった。

 つまり、桜井は来年の四月十三日から教習所に通える。

「もっと色々な心霊スポットに行けるようになるね」

「一応、目下のところ私たちは受験勉強とは無縁だけど、三年生を間近に控えた高校生の言う言葉じゃないわね」

「まあまあ。それはひとまず忘れて、循は助手席でお姫様してればいいよ」

「それじゃ、お言葉に甘えようかしら」

「車は親かお姉ちゃん……が駄目でも、義兄さんに頼めば貸してもらえると思う」

「健三さん、貴女に何だかんだで甘いわよね……」

「義兄さんは、ああ見えてジェントルメンだからね」

 ……などと、かしましく会話を交わしながら、二人はペダルを漕ぎ続ける。

 そして峠の道沿いにあるラーメン屋でいったん休憩する事となった。




 不必要に大きな看板には『辛味噌じゅうべえ』とあった。

 昼前という事もあり駐車場の車は少なかった。空の駐車場に自転車を停めて暖簾のれんを潜り抜ける。

 自動ドアが空いた瞬間、来客を告げるインターフォンが鳴る。直後「いらっしゃい」のかけ声が響いた。

 店内は清潔であったが、年季が入っていてかなり古めかしい。

 しばらく食券の券売機の前で悩む二人。 

 間もなく、それぞれ食券を購入し、カウンターに出す。セルフサービスのお冷やとおしぼりを持ち、窓際の座敷席に腰をおろした。

 因みに桜井はネギチャーシューと餃子。茅野は胡麻タレつけ麺である。

「朝から凄い食欲ね。貴女ほど燃費の悪い人を私は寡聞かぶんにして知らないわ」

「それは、どうも……でも、循」

 と桜井が得意気な顔で反論する。

「パフォーマンスがよければ、燃費が悪くてもよかろうなのだ!」

「まあ、その小さな身体で、たくさんの燃料を消費できるという事が既に凄いと思うわ」

 ……などと話していると、餃子が早々に運ばれてくる。

「そう言えばさ、循」

 桜井は餃子のタレを作りながら問う。

「何かしら?」

「トンネルの心霊スポットってけっこう多いよね?」

「まあ、そうね。千駄ヶ谷、旧犬鳴……有名なところは多いわね」

「何でなの? それは事故とかもあるだろうけど、トンネルって一本道だし、あんまり人が死ぬ場所っていうイメージないんだけれど」

「ひとつは日本人の生死観と重なっている場所だからでしょうね」

「日本人の……生死観?」

「そうよ。あの世とこの世を繋ぐ道……薄暗い洞窟トンネルは神話の時代から死者の国への入り口だった。イザナミとイザナギの伝説に代表されるようにね」

「イザナギとイザナミ……なんか死んだ奥さんが忘れられなくて、異世界まで追っかけてったら、その奥さんがえらいブスに転生しててビビって逃げた旦那の話だっけ?」

「だいたい、それであってるわ」

 そこでネギチャーシューと胡麻だれつけ麺が運ばれてきた。

 しばらく、麺をすする。

「……んで、もうひとつの理由は?」

 桜井が話を再開させた。

 茅野はお冷やを口にしてから語り始めた。

「もうひとつの理由……梨沙さんは、あまり人が死ぬイメージはないと言ったけど、実はトンネルでは多くの人が亡くなっている場合があるの」

「ふうん。何で?」

「死者が出るのはトンネルが出来た後じゃなくて、トンネルを作る時よ」

「あー。トンネル作るのって大変なんだ」

「そうね。シールド工法という現在の掘削方法が開発される以前は、落盤事故が多く、トンネル工事は死と隣り合わせだった。そして現存する多くのトンネルが、そのシールド工法登場以前に掘られた物ばかりなの」

「シールド工法って?」

「簡単にいうと、シールドとよばれる筒で壁面と天井が崩れないようにガードしながら掘り進めるやり方ね」

「ふうん……」

 と、いつも通りの気のない返事。

 そして茅野はいつも通りに話を続ける。

「……それから、労働者を長期間拘束して、劣悪な環境で文字通り死ぬまで働かせる“タコ部屋労働”の問題もあるわ。これは、北海道の常紋じょうもんトンネルが有名よ。こうしたタコ部屋労働で命を落とした人の死体は、トンネルの壁に埋め込まれたらしいわ」

「たこ焼き……」

「餃子を食べながらタコ焼きの事を考えないで頂戴」

 茅野が苦笑する。

「兎も角、トンネルというのは、日本人にとって死のイメージが色濃い場所なの」

 と、そこで茅野は何か背筋に薄ら寒い気配を感じた。お冷やのグラスをさりげなく掲げる。

 するとグラスの表面に、後方が映り込む。そこには、壁際にあるお座敷席に座る二人の男の姿があった。

 茅野たちの方に不躾ぶしつけな視線を向けている。

 どちらも若く自分たちと同い年くらいの年齢であるように、茅野には思えた。

 一人は長身で体格が良く、もうひとりは小柄で猫に似ていた。

 どちらも整った顔立ちをしており、ジーンズにTシャツとジャンパーというライダーらしい格好をしていた。

 茅野は、そのままお冷やに口をつけると、

「梨沙さん」

「何?」

「私の後ろに二人連れの男がいるでしょ?」

 桜井が茅野の肩越しに彼女の後方を見た。

「ああ。うん。この店に入った時からいたね。……あ、こっちくるよ」

 茅野は腰を捻って後方を向く。すると……。

「やあ。こんにちわ。君たち、ひま?」

 そう言って、猫に似た方が人懐っこい笑顔を浮かべながら軽く右手をあげた。

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