【18】後日譚


 三連休の二日目だった。

 藤見市の『焼肉はやみ』にて。

「さあ、じゃんじゃん食べて! 今日はもう気前よくおごっちゃうから。おいくら万円でも食べちゃって!」

「あら。そんな事を言うと本当に梨沙さんの歯止めが効かなくなるわよ?」

「コンテストの賞金まだあるし!」

 得意気な顔で西木千里が両手を広げる。

 すると、桜井梨沙が瞳を輝かせ、

「X! X!」

「はい。トウキョウXを、とりあえず二皿くらい? 循先輩は?」

 と、座敷の縁に腰をおろしてオーダーをメモするのは、この店の看板娘の速水立夏である。

「私は焼けただれた臓物をむさぼり喰らいたい気分よ」

「先輩、言い方……」

「あら、失礼」

「内臓系なら、今日はアカセンマイとコブクロありますけれど?」

「じゃあ、まずは心臓と子宮をお願いしたいわ」

「ハツとコブクロですね? 了解っす。あとドクペ?」

 これは牛肉の部位ではなくドクターペッパーの事だった。

「ええ、お願い」

 そして西木が控え目に「カルビを取り合えず……あと烏龍茶」というと、桜井が勢いよく手をあげる。

「私はオレンジジュース!」

「はいはい。それからライス三つとコールスローサラダですね? おっと、梨沙先輩はライス大盛りっと。以上で?」

 これには三人の声が「はーい」と揃う。

「……それでは、しばらくお待ちくださいっす」

 速水立夏が立ち去り、西木は改めて二人に礼を述べた。

「本当に二人共ありがとうね。これで、やっと師匠も浮かばれるよ」

 その言葉に茅野と桜井は顔を見合わせる。

「まあ、こっちも楽しませてもらったわ。今回はかなりスリリングだったわね」

「うん。悪人だったから、あたしも躊躇ちゅうちょなく技を振るえたよ」

 などと、屈託くったくなく笑う桜井。

 そこで茅野は溜め息をひとつ吐いて、

「もっとも、祭りの後片付けは少々億劫おっくうだったけれど」

「本当だよねー。何で警察ってあんなに何回も同じ事を訊きたがるのかな?」

 と、桜井が同意した。

「あれは、証言者の言っている事に一貫性があるかどうかの確認をしているだけらしいわ」

「なんだー。メモ取り忘れたのかと思ったよ」

「流石にそれはないから安心なさい」

 などと、話していると速水がやってきて、次々と皿やグラスをテーブルに並べて去ってゆく。

 そして、三人はそれぞれの飲み物を手にグラスを合わせる。直後に桜井梨沙が肉を凄まじい勢いで焼き始めた。

「ところで、茅野っち……」

「何かしら?」

「もしも、あのテディベアの中のカメラに、何も証拠となる映像が映っていなかったら、どうするつもりだったの?」

 その可能性も充分にあり得たらはずだ。

 西木の問いに、茅野は大ジョッキにつがれたドクターペッパーを一口飲んでから答える。

「……そのときは、挑発したり、カマをかけたりして、犯人しか知り得ないような情報を彼の口から引き出すつもりだったわ。あの人、思っていたよりは冷静だったけれど、初めからそっちの方が簡単に終わったかもしれないわね」

 そう言って、肩を揺らしながら邪な笑みを浮かべる。

 それを見ながら西木は思った。

 多分この茅野循と桜井梨沙は、基本的に正義ではないのだろう。

 今回の件も彼女たちにとっては、単なる遊興ゆうきょうでしかなかったのだ。

 面白いかどうか……そして、己の流儀に沿うか否か……それがすべて。

 しかし、それでも、これほど心強い味方は他にはいなかった。

「本当にありがとうね……」

 しみじみと、何度目になるか解らない礼の言葉を口にする。

 すると、茅野循は何時ものように悪魔の笑みを浮かべ、

「どういたしまして……」

 そう言って、心臓の欠片を口の中に入れて噛み締めた。

 



 このあと、桜井の家でお泊まり会となった。

 西木は二人がこれまでに遭遇した不思議な事件のあらましを聞いたり、茅野が持ってきたドイツ製の怪しいカードゲームをプレイしたり、今回の一件を振り返ったりした。スナップ写真もいっぱい撮った。

 そして一晩明けると、桜井が腕を振るった朝食をごちそうになる。

 メニューはご飯に味噌汁、銀だらの西京漬け、だし巻き卵にひじきと空豆の煮付けと、きゅうりとめかぶの酢の物……ここに海苔と納豆がついた。

 まるで、どこぞの旅館の朝食だと西木は驚く。

 そうして桜井の家を後にすると駅まで茅野と共に歩き、カメラ談義に花を咲かせる。

 彼女と別れた後、バスに乗って蛇沼への帰路に着いたのだった。



  

 その翌日の昼頃だった。

 西木千里は自宅からカメラを持って田んぼの方へと向かった。

 この日は過ぎ去った台風の名残か、空には重々しい灰色の雲に覆われていた。

 西木はかつて吉島がそうしていたように道の端っこに佇み、田んぼへとレンズを向けてファインダーを覗き込む。

 金色の稲穂の波間をゆっくりと見渡していると、その中に佇む人影をカメラのレンズがとらえる。

 もっさりとしたシルエット。

 肩からかけた愛用のライカ。

 優しげな、人のよさそうな顔立ち……幻などではない。

 吉島拓海だった。

 西木はカメラから目を離して、田んぼで佇む吉島を見た。

 彼は安らかな表情で、ゆっくりと西木に向かって右手を振っている。

「師匠……」

 西木千里は十一歳で母に連れられ、この蛇沼という見知らぬ異邦へとやってきた。

 その不安しかなかった時期に心の支えとなってくれた人……。

 カメラという生き甲斐と目標を与えてくれた人……。

 彼は確かに最愛の人を救う事はできなかったのかもしれない。

 魔王に敗北した勇者。

 哀れな犠牲者。

 端から見ればそうなのかもしれない。

 でも……と、西木は思う。

 少なくとも吉島拓海という男は六年前のあのとき、孤独だったひとりの少女の人生に大きな影響を与えた。

 そして、それは今も彼女の魂に確かに残り続けている。

 西木は目を細めて静かに微笑み、もう一度ファインダーを覗く。

「おにーさんの、ばーか!」

 あの頃のように彼を呼んで、シャッターを切った。

 その刹那、吉島の姿は、もうどこにも見あたらなかった。

 西木はカメラをおろして、少しだけ残念そうにそっと呟く。

「愛弓さんと天国で幸せに。……ばいばい」

 その別れの言葉は秋風に吹かれて舞いあがり、空へと溶けて消えた。

 すると、曇天どんてんに晴れ間が覗き、広大な金色の海原へと天国への階段のような光が射したのだった。





(了)

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