【17】たたり


 小茂田富子の携帯に近所の知人から『あんたの家の前にパトカーが停まっている』と電話があったのは昼過ぎであった。

 もう少しで、愛弓の保険金がおりるというのに……また、源造が何かをやらかしたのかと、うんざりさせられる。

 その金を持たせて、穀潰ごくつぶしの息子をやっと追い出せるというのに……。

 状況を把握しようと、息子のスマホや自宅の固定電話にかけてみたが、何故か通話はいっさい繋がらない。

 そうして富子は来津市内の友人宅から帰路に着いた。バスに乗り蛇沼を目指す。

 やがて蛇沼新田のバス停に到着すると富子はいそいそとバスから降りた。集落の方へと向かう。

 道の両脇では黄金の穂が生温く湿った風に揺られている。頭上では不吉な色合いの黒雲が渦を巻いていた。

 そして去り行くバスが遠ざかり、走行音が聞こえなくなった頃だった。

 不意に耳をついたその声――


「なあ……お願いだよ、助けてよ、母さん……」


 富子は足を止めて反射的にその源造の声が聞こえた方を向いた。直後に彼女は気がつく。

 その方角が北東……つまり楝蛇塚の方だった事を。

 ずっと見ないようにしていた方向へと視線を向けてしまった原因は、彼女の中にわずかに残った息子を思う母の情であったのか……。

 理由は兎も角、小茂田富子は何年か振りに楝蛇塚の方を見てしまった。

 騙された。

 そう思ったときにはもう遅かった。彼女の網膜に、その存在が映り込んでいた。

「お……お前……」

 富子はその老いた顔を目一杯の恐怖に歪ませた。

 あの女だ。

 すぐそばの田んぼの中にあの女が立っていた。

 楝蛇塚に埋めたはずのあの女が……。

 あのときと同じ部屋着をまとい、殴られて腫らした目蓋の奥から富子をめつけていた。

 そして、皿のように合わせた両掌を富子の方へとそっと伸ばす。

 そこには血にまみれた肉塊が蠢いている。

 まるで蝶の蛹のような……生まれたばかりの雛鳥のような……。

 うっすらと白みがかった未成熟な眼球がギョロギョロと動く。そして動物じみた泣き声をあげ始めた。

 それはまるで、鴉のような……春先の猫のような……。

「ああああ……」

 富子は悲鳴をあげる事もままならず、その場に腰を落としてへたりこむ。

 泣き声をあげる肉塊は、愛弓が流産したはずの胎児だった。




 源造の逮捕劇により集落が蜂の巣をつついたような大騒ぎになっている頃だった。 

 そうとは知らない安蘭寺の和尚の清恵は、スクーターに乗って市役所での用事を済ませて集落へと戻るところだった。

 すると、前方に見えるバス停を通り過ぎた辺りの道の端で、誰かが座り込んでいるのが見えた。

 距離が近くなると、その人物が小茂田富子であると気がつく。

 怪我か病気だろうか……そういぶかった清恵は、富子の脇でスクーターを停めると、彼女へと呼びかけた。

「富子さん、どうしたね? どっか悪いんだかね?」

 反応はない。腰を落としたまま田んぼの方をじっと眺めている。

 スクーターから降りて、清恵は彼女の顔を覗き込んだ。

 富子は口を半開きに開けたまま、瞬きを緩慢に繰り返していた。すぐ近くにいる清恵をまったく見ていない。その瞳はラムネ瓶の底に沈んだビー玉のように、生気に欠けていた。

 清恵は富子の肩を揺さぶる。

「おい。富子さん! 富子さん! しっかりしなせ……」

 すると、ようやく目の前の清恵に気がついたかのように富子は、彼へと視線の焦点を合わせた。

「あ……か……」

 震える唇をゆっくりと動かす。

「何だ? どうした、富子さん」

「か……か……しょおぉに……」

「カカショニがどうした?」

 その清恵の問いかけに答えるかのように、

「ああ……ああ……あー! あー! うー!」

 富子は鼻水と涙を垂れ流しながら、悲鳴とも呻き声ともつかない声をあげて、頭部を前後に揺らし始めた。

「おい、しっかりしろ!」

 清恵の呼びかけが、富子の喚き声と共に空しく響き渡る。


 ……後に蛇沼集落の人々は、富子がおかしくなった原因はカカショニの祟りであると、まことしやかに噂しあった。

 こうして伝承の中のカカショニという怪異は、その存在をより強固な物へとしてゆくのだった。




 蛇沼新田の楝蛇塚から白骨遺体が発見されたというニュースは、連日メディアを騒がせていた。

 源造は当初、徹底的に犯行を否認した。

 しかし、例のトレイルカメラに納められていた映像という証拠の前では無駄な抵抗だった。

 なお、この映像は彼が逮捕されたその日、何者かによって動画サイトにアップされた。

 もちろん、茅野循の仕業である。

 そして、母親の富子の方は依然として正気を取り戻していない。

 話しかけても反応を示さず、ぽっかりと空いた穴のように虚ろな双眸そうぼうを、緩慢かんまんに瞬かせるだけだった。

 現在、彼女は来津市の総合病院で治療を受けているが、回復の見通しは立っていない。近々近隣の介護施設へと身柄を移されるのだという。

 そして彼女の妹である富江は、あっさりと甥である源造を見捨てた。

 元々姉に頼まれでもしなければ、源造などどうなってもいいと思っていたし、証拠の映像が広まってしまった以上、既に隠蔽は不可能だと判断したのだ。

 そこで源造が一族とつながりのある者であるという報道の方を握り潰す事にした。

 こうして、散々に悪逆の限りをつくしてきた小茂田源造は、ついに追い詰められた。

 今度こそ公正な裁きが彼にくだるであろう。


 こうした一連の報道のお陰で、西木千里は初めて吉島拓海の想い人であった小茂田愛弓の顔を知る事となった。

 そのニュースで使われた写真を見るに、小茂田愛弓は清楚で大人びていて、今の西木とはまったく似ていなかった。

「なーんだ……元キャバ嬢だって聞いてたから、もっと派手な人だと思ってたけど、全然違うじゃん」

 西木は自宅の居間でテレビを見ながら、そう呟いて気の抜けたようすで微笑んだ。


 こうして、蛇沼新田一帯で起こった悲しい事件は静かに幕をおろした――

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