【16】鬼退治
八月の中頃になり盆がくる。
その日、小茂田富子は親族の集まりに源造の方は朝からパチンコに出かけていた。
大きめのリュックを背負った吉島拓海は素知らぬ顔で小茂田家の裏手に回り、堀門の前に立つ。
スマホでメッセージを送信すると、目の前の門扉が開き、中から愛弓が顔を出す。
彼女は右手にピンク色のテディベアをぶらさげていた。
吉島は愛弓と目を合わせて無言で頷き合い、リュックからまったく同じピンク色のテディベアを取り出す。
両者はお互いの持っていたぬいぐるみを交換した――
「すり替えたのは、吉島さんじゃないわ。……愛弓さんよ」
茅野循の言葉に小茂田は大きく目を見開く。
「愛弓が……?」
まるで彼女が自分を裏切る可能性を考えていなかったような表情だった。
「きっと提案したのは、吉島さんでしょうね。カメラ入りのテディベアを用意したのも吉島さん。それで、貴方が暴力を振るう決定的な瞬間を撮影しようとした」
「あの……クソオタクが愛弓を……そそのかしたのか……」
小茂田の顔が怒りに歪む。
そこで彼はあの日、愛弓が居間へと逃げ込もうとしていたのを思い出す。
「もっとも誤算だったのは、愛弓さんが失踪した二〇一二年くらいだと、スマホなどで遠隔操作が可能なカメラで、手頃な値段と、それなりの性能を兼ね備えた物が少なかった事ね」
茅野の話を耳にしながら、どうにか冷静に思考をめぐらせようとする小茂田。
愛弓を殺したのは廊下だし、吉島に襲いかかったのも玄関だ。この居間ではやましい事は何もしていない。
……しかし、本当にそうなのか。
小茂田は必死に己の記憶を検索する。
その間も茅野は淡々と語り続ける。
「……だから、吉島さんは、家の外からでは録画した映像を確認する事ができなかった」
既に小茂田の耳には、茅野の言葉は届いていなかった。
「これで、吉島さんが危険を犯してまで、この家にわざわざやってきた理由が解ったでしょう。別に愛弓さんの事を問い質すだけならば、
そこで小茂田はようやく思い出す。
それは、愛弓を殺した直後、この部屋での母親とのやり取り――
『暗くなったら、キッチンに転がってる、あの女を埋めに行くよ』
『ちょっ……何で、そんな事を……叔父さんに頼んでなかった事にしてもらってくれよ……』
『……無理に決まっているだろう。あんた人を殺したんだよ?』
『……あれは、愛弓が勝手に死んだだけだ。俺は悪くねぇよ』
『そんなくだらない屁理屈、誰が信じるものかい。世の中、甘くみるんじゃあないよ!』
『うっう……俺は愛弓をぶん殴っただけだ。愛弓が勝手に死んだだけだ……俺は殺していない』
『……いいかい? 七年我慢すれば失踪宣告がおりる。そうすれば、あの女の保険金が入ってくる。かなりのまとまった金になるよ。受け取るのはあんたさ』
『保険金……愛弓の……』
『それまでは、家に置いてやるから、大人しくしてるんだよ?』
「あ……あ……」
小茂田の顔色が一瞬にして青ざめる。
茅野は口角を釣りあげて言い放った。
「だから……もしも、貴方が無実であるというのなら、テディベアの中にあるカメラの映像を確認させて欲しいのだけれど」
その瞬間だった。
小茂田が勢い良く立ちあがる。
「梨沙さんっ!」
その鋭い声と同時に茅野は灰皿を掴み、小茂田の顔面に灰をぶちまけた。
それより早く桜井は、窓際の飾り棚に向かって駆けていた。
「……くっそ……ごほっ」
咳き込み、手で顔を拭い、少し遅れて桜井の背中を追う小茂田。
そして桜井が飾り棚に手を伸ばした瞬間だった。
小茂田が桜井の後頭部に右拳を振りおろした。
しかし、桜井は振り向きもせず、その一撃をかわす。
「なっ……」
実は小茂田の姿が窓硝子に映っており、それを見ながらかわしただけである。しかし、まるで後ろに目でもついているかのような動きに小茂田は面食らった。
そのわずかな隙に、桜井は振り向き様に小茂田の右腕を取り、
右腕は桜井の股と両手により完全にロックされていた。このまま、完全に技が決まると思いきや……。
「テメエ……舐めてるんじゃあ……ねえよ……」
小茂田は桜井を右腕にぶらさげたまま立ちあがった。
しかし、桜井も平然とした顔で技をかけ続ける。
そして、小茂田の右肘が逝くのと、ほぼ同時だった。
「うおりゃああああ!!」
小茂田は、腕にしがみついていた桜井の背中を、近くにあった箪笥に向かって叩きつけた。
鈍い打撃音と共に顔をしかめる桜井。
小茂田の腕を放してしまい、床に落下する。
「死ね!! クソガキがッ!!」
床に転がった桜井の顔面に目がけて右足を振りあげる。
……と、そのときだった。
小茂田の背中に重たい何かがぶつかる。
それは茅野が投げ放った大理石の灰皿だった。
「貴様……」
鬼の形相で茅野の方へ振り返る小茂田。その肘は不自然に伸びきり、明らかに壊れていた。
「あら。その腕、痛そうね。大丈夫かしら?」
茅野が肩をすくめて余裕の笑みを見せる。
すると小茂田が低く圧し殺した声を発した。
「気に食わねえ……その態度」
大声で怒鳴りつければ誰もが言うことを聞いた。思い通りになった。
しかし、この少女たちは自分をまったく恐れていない。
それが小茂田は気にくわなかった。
これまで人を恐怖で動かしてきた男にとって、それは痛烈な自己の否定であった。
「何で、テメエ、怖がらねえんだよ……頭、イカれてんのか? 俺は人殺しなんだぞ?」
茅野がその問いに鼻を鳴らして答える。
「今の貴方、凄く
「クソがッ!! ぶっ殺してやるッ!!」
「貴方みたいな道化より、呪いの方がよほど怖い」
「何を訳の解らねー事を! お前ら、ぶっ殺してしまえば、証拠があろうが関係ねーッ!!」
その直後だった。
小茂田は背中に重みを感じて、前方につんのめる。
「ふーっ、ふーっ……」という、息遣いがすぐ耳元で聞こえた。それは、まるで鼠をくわえた猫の唸り声のようだった。
桜井梨沙である。
小茂田の背中に飛びついた彼女の腕が、しっかりとその首筋に食い込んでいる。
スリーパーホールド……いわゆる、裸絞めであった。
小茂田は必死に左腕を背中に回そうとするが……。
「お、え……テメ……エ……」
完璧に入ったスリーパーホールドは頸動脈の血流を阻害し、脳に低酸素状態をもたらす。結果、この技をかけられた者は、ほんの数秒で気絶してしまう。
小茂田は膝をつき、目を閉じて前のめりに倒れ込んだ。
桜井が倒れた小茂田の背中から転がるように退いた。近くの床に座ったまま茅野に向かって右腕を大きく振りあげる。
「梨沙さん、大丈夫? どこか怪我は……」
茅野が心配そうに駆け寄る。
すると桜井は勝利の微笑みを浮かべて言う。
「凄く痛かったけど……」
「けど?」
「次女だから我慢できた。長女だったら死んでいた」
「冗談を言えるようなら大丈夫そうね」
茅野は、ほっと胸を撫でおろす。そして持参したビニールロープで、後ろ手にした小茂田の両手を縛りあげた。
「さてと。取り合えず、トレイルカメラのデータをコピーしてから警察を呼びましょう」
「うん」
と、返事をして桜井は「よっこいしょ」と言って立ちあがると窓際に立ち、吉島の部屋からカメラ越しに一部始終を見ていたであろう西木に向かって、勝利のVサインを送った。
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