【14】疫病神


 六年前のその夜、小茂田源造は自室で酎ハイの五〇〇ミリ缶を片手にソーシャルゲームの行動力消費に精を出していた。すると呼び鈴が鳴る。

 玄関に向かいインターフォンのモニターを覗くと門前に立っていたのは、もっさりとした男だった。

 すぐに名前を思い出せず、しばらく思案する。

 それから、マイクスピーカーのスイッチを入れた。

「……お前、吉島か?」

『話がある』

 吉島はカメラ目線でそう言った。

 小茂田は鼻で笑う。

 吉島拓海。

 いつもオドオドしていたネクラ。キモいオタク野郎。自分より下の存在だ……小茂田はそう認識していた。

「何だ、てめえ? 誰にどういう口の効き方をしてやがる……」

『お前の友だちが見たっていう愛弓さんと一緒にいた男っていうのは、僕の事だ』

 その言葉を聞いた途端、小茂田の表情が凍りつく。

 単純な彼は一気に頭に血が昇った。

 怒りを堪えて声を絞り出す。

「は……話って、何だよ?」

『ここでは話せない』

「い、いいから、そこで言えよ。テメーごときが逆らってるんじゃねえ」

『じゃあ、ここで、大声で叫んでやろう』

「だから、何をだ?」

『愛弓さんがどうなったのか……今、どうしているのか。浮気相手と逃げただなんて、嘘なんだろ?』

「てっ、てめえ……」

 その言葉を聞いて、小茂田の顔が鬼の形相になる。

 証拠はない。そもそも、吉島のような無職の半端者の言う事なんて誰も信じないだろう。

 でも、もしも、そうじゃなかったら……。

 また母親に無様にすがりついて泣きつかなければならない。それでは済まないかもしれない。

 小心者でプライドだけは高い小茂田は……。

「解った。ちょっと、待ってろ」

 金でもゆすろうというのか……小茂田には吉島の真意が解らなかった。

 かかとの潰れた靴を突っかけ、外に出る。

 門まで行って鍵を開けた。

 小茂田を真っ直ぐに睨みつける吉島。

「入れよ」

 顎をしゃくって招き入れる。

 吉島は何の躊躇ちゅうちょもなく門の内側に足を踏み入れた。エントランスまでの石畳を無言で渡る。

 玄関の扉を開けて、先に家の中に入った。

 ……そうして、後に続いた吉島が玄関の扉を閉めたところで、その背後から襲いかかる。

「死ねよ……クソオタクがイキってんじゃあねえ……」

 羽交はがめにして、動きを封じる。殺すつもりだった。

 吉島は暴れるが、身体も大きく体力もある小茂田には敵わない。

 もう一人殺すのも二人殺すのも同じだと、開き直った小茂田に弱気な心は欠片もなかった。

 それよりも自分を脅かす危険分子を始末しなければいけない。その思いの方が勝っていた。

 吉島が呻きをあげながら、バタバタと小茂田の腕を叩く。しかし、蚊に刺されたような物だった。

「しかしよぉ、何だって、愛弓はおめえみてえなダサ男になんざ股開く気になったんだ?」

 勝利を確信した小茂田がほくそ笑む。次の瞬間だった。

 吉島の首に食い込んでいた小茂田の腕にカッターナイフの刃が突き刺さる。

 悲鳴をあげる小茂田。

 そして、吉島は拘束を振りほどき、小茂田を突き飛ばした。

 すると、ドタドタと廊下を駆ける音が聞こえてくる。

「源造! あなた、また何をやらかしたの!?」

 源造の母の富子の声。どうやら源造の悲鳴と物音で事態に気がついたらしい。

 その声を背に吉島は玄関の扉を開けて逃げる。

「助けてくれ!!」

 門まで駆けながら大声で叫んだ。

「逃げるんじゃねえよ、クソオタがッ!!」

 源造はその背中に向けて、跳び蹴りをかました。吉島が前方につんのめって倒れる。その拍子にポケットのスマートフォンがエントランスから続く石畳の上に落下して弾んだ。

 源造は吉島の身体を裏返し、馬乗りになって殴りつける。

 何度も、何度も、拳を振り下ろす……。

「オラ! キモオタ野郎!! ぶっ殺してやるッ!!  ぶっ殺す!! 死ね!! 死ね……」

 貧弱なボキャブラリーで叫び続ける源造の凶行は、近隣住民の呼んだパトカーが到着するまで続けられた。

 その吉島に拳を振りおろし続ける息子を呆然と見つめながら、富子は、

「本当にあんたは何て子だよ……」

 と、呟いて吉島のスマホを拾う。

 画面を見るとボイスメモが作動していたので、電源を落とし、それを羽織っていたナイトガウンのポケットにそっとしまった。




 インターフォンの音で、小茂田源造は目を覚ました。

 酷い夢を見ていた。六年前のあの夢だ。そういえば今頃の季節だったと思い出す。

 殺意を抱いて人を死に至らしめたのはあれが初めてだった。

 愛弓に関しては、単なる手違いだったと今でも思っていた。だから、彼の中で人を殺したのは吉島拓海が初めてだった。

 インターフォンは、まだ鳴っていた。充電器に挿したままだったスマホの時計を見ると、まだ昼前だった。

「ババア……出かけてんのか?」

 母親の富子は来津市内の友人宅へ、朝から遊びに行っていた。

 小茂田は舌打ちをして、昨日の酒が残る重たい身体を引きずり、玄関へと向かう。

 そして、インターフォンのモニターを確認すると……。

「何だ? こいつら……」

 門前に立っていたのは、二人の少女だった。見た事のない顔である。

 スタイルの良い黒髪と小柄な丸顔……どちらもかなりの美少女だ。見た事のない制服を着て、スクールバッグを肩にかけている。

 特に何の警戒も抱かず、小茂田はマイクスピーカーのスイッチを入れた。

「何の用だ?」

 黒髪の方がカメラ目線で答える。

『小茂田愛弓さんについて、話があるんだけれど』

 小茂田は眉をひそめる。愛弓の知り合いだろうか。それにしては、歳が離れている。

 何よりこの流れ……さっきまで夢に見ていた六年前とそっくりだ。小茂田は背筋にうすら寒い物を感じていた。

「愛弓の……何だよ? ここに愛弓はいねーぞ?」

 すると黒髪の少女が肩にかけたスクールバッグの中から、ジップロックを取り出した。

 それをカメラの前に掲げる。

「何だ……そりゃあ……」

 画像が不鮮明なモニターに映し出されたそれが次第にはっきりとした像を結ぶ。

 ジップロックに入っていた物……それは、壊れたスマホだった。

「お前……それ、どこで」

 一瞬で記憶が蘇る。愛弓と共に楝蛇塚に埋めたはずの彼女のスマホだ。

 黒髪の少女が口元を歪める。

『ここで立ち話をしてもいいんだけど……できれば、家の中に入れてくれないかしら?』

 小茂田は少し思案した後に、か弱い女子高生二人程度なら、どうとでもなると踏んで返事を口にした。

「いいぜ……今から門を開ける。待ってろ」

 そう言ってマイクスピーカーを切ると、踵の潰れた靴を突っ掛けて外に出た。

 女子高生たちがどこで愛弓の事を嗅ぎつけたのやら、小茂田には当然ながら知るよしもない。

 どうせ、金でもゆすりにきたのか……と、高を括った。

 しかし小茂田は、この二人の少女が自分にとって最悪の疫病神である事を、すぐに思い知る事となる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る