【13】遺言


 西木千里が朝起きると、既に茅野が布団の上で上半身を起こし、スマホを弄っていた。

「おはよ……茅野っち……」

 眠たい目をこする西木。

 一方、桜井は、すうすうと気持ちよさそうに寝息を立てていた。

 茅野がスマホの画面から目線をあげて西木の方を見る。

「おはよう。ところで、これを見て欲しいのだけれど……」

 茅野が布団から出てベッドの脇で膝立ちになる。西木にスマホを見せた。

「……何なの。朝からテンション高いね……」

 欠伸をしながら画面を見ると、そこに表示されていたのは通販サイトだった。

「なになに……テディベアのハンドメイド製作キッド?」

「あの吉島さんの遺品と同じ物よ」

 そう言って、茅野は棚の上にあったテディベアを指差す。

「師匠の……? でも、これがどうかしたの?」

「今度はこれを見て」

 そう言って、茅野はスマホを操作する。

 次に画面に表示されたのは、そのテディベアの完成品の画像だった。

「この背中……」

 茅野はテディベアの後ろ姿の画像を指差す。

「うん」と西木が返事をすると、茅野は立ちあがり、棚の上のテディベアを手に取る。その背中を西木に見せた。

「ほら。この吉島さんの遺品のテディベアのここには縫い目がある。型紙通り作れば、こんなところに縫い目はいらない。この縫い目だけ明らかに無駄なのよ」

 西木はスマホと遺品のテディベアを見比べる。

 確かに遺品のテディベアの背中には、スマホの画面に写し出されたテディベアにはない縫い目があった。

「……でも、これがいったい何なの?」

「ずっと引っかかっていた事があったの」

「引っかかっていた事? これが、昨日、寝る前に言っていた気になる事?」

 茅野は頷く。

「このテディベア、煙草のやにで汚れているわ。吉島さんは喫煙者でないにも関わらず」

「あのテディベアが六年前の一件に関係があると?」

 流石にそれは飛躍ひやくし過ぎではないか。西木は思った。

 とうの茅野も「解らない」と頭を振り半信半疑といった様子だ。

「でも昨日、吉島さんの部屋から小茂田家をカメラ越しに覗いた時……」

「ああ……」

 西木はピッキングする茅野の姿を思い出して苦笑する。

「リビングらしき部屋の窓際にある飾り棚にテディベアが飾られていた。これと同じ色の物もあった」

「確かに、変な感じの偶然だけれど……」

「確かにそれだけなら偶然かもしれない。そう思っていたけど、そのテディベアの背中にも同じ縫い目があった・・・・・・・・・としたら・・・・?」

「それ、マジで?」

 茅野は鹿爪らしい表情で頷く。

 窓際の飾り棚に置かれたテディベアは室内を向いていた。つまり窓からはテディベアの背中が見えていたのだという。

「……それで、西木さん」

「何?」

「この縫い目、ほどいてみて構わないかしら?」

 西木は少し思案する。

「……良いよ。後で縫い直せばいいし。少しでも、今回の件で役に立つのなら」

 そう言って起きあがり、カッターナイフを机の引き出しから取り出すと茅野に手渡す。

 すると、そこで桜井が口元をむにゃむにゃとさせながら上半身を起こした。

「……二人とも、おはよう」

 と、言いながらカッターナイフとテディベアを持ってベッドの脇に佇む茅野を見あげて目をこする。

「これは、朝から猟奇的だね」

「私にとっては、すがすがしい朝よ」

 などと言って、茅野はテディベアの縫い目を切り開いた。

 その中に右手の指を突っ込む。すると……。

「梨沙さん、西木さん。当たりよ」

 茅野の指が引きずり出したのは、小さなビニールに包まれた一枚のSDカードだった。

「そのカードは……」

 西木が呆然とした口調で言った。まさか、吉島の形見にそんな物が隠されていようとは、まったく思ってもみなかったからだ。

「待って。今、起きたばかりなのに、何がなんだかさっぱりなんだけど」

 戸惑う桜井。

「説明よりも、中身を見てみましょう」

 茅野は自らのスマホにSDカードを差した。

「MP3ファイルがひとつだけ……容量も少ない」

 期待外れだったのか、少し落胆した様子の茅野。

「まあまあ、聞いてみようよ」

 桜井に促され音声を再生する。

 すると……。


 『……あー、これから、僕は小茂田の家に向かいます』


 西木がはっとした表情で口元を両手で覆う。

「師匠の声だ……」

 吉島の音声は更に続く。


 『愛弓さん……小茂田愛弓さんは多分……多分……もう、死んでいます。証拠はまだないので、断定的な事をここで述べるのは避けます。兎に角、彼女が、どうなったのか……僕はこれから、確かめに行こうと思います』


「これは期待以上の代物ね……」

 茅野が興奮した様子で言った。


 『僕がもしも、帰ってこれなかったら……帰ってこれなかった……時の為に、このメッセージを残しておきます。ただ、直接、警察に持って行くのはやめてください。もう一度、言いますが現時点では何も証拠はないし、もしも僕が思った通りならば、この音声データは確実に握り潰されます』


「やっぱり、循の言う通り、吉島さんは愛弓さんを殺した犯人が源造であると疑っていたんだね」

 桜井の言葉に茅野は頷く。

「ええ。それで、もしも最悪の事態に供えて、このメッセージをテディベアの中に隠した」


 『もし、僕が帰ってこれなかった時、誰かは……解らないけど、これを見つけたら、次の事をお願いします……』



 ……そのあと、吉島は人生で最後となった願い事を述べた。




 六年前――


 吉島拓海はスマホのボイスメモで録音したデータをSDカードに移した。それをテディベアの背中に隠す。

 誰かに相談しようか散々迷った。

 唯一と言ってもいい友人の清恵か、両親にか、あのいつも自分をからかってくる幼い少女……は、この件に巻き込む事は忍びないので頭に思い浮かべもしなかった。

 しかし、相談するといっても、根拠は今のところ超常現象のみだ。きっと頭がおかしくなったと思われて信じてはくれないだろう。十中八九じゅっちゅうはっく、小茂田家へ向かうのを止められてしまうはずだ。

 それに騒ぎが大きくなれば、きっと小茂田家と縁故の警察関係者が証拠を握り潰してしまうかもしれない。

 万が一の為に書き置きを遺して行く事も危険だ。

 だから、吉島はもしもの時の為のメッセージを、テディベアに隠すなどという回りくどい方法を選んだ。

 清恵ならばきっと気がついてくれるだろう。吉島はそう考えていた。

 彼は職業柄、他人の家の事情には通じている。

 だから、源三の母親がテディベア製作を趣味としており、小茂田家の居間には沢山のテディベアが飾られている事も知っているだろう。

 更に吉島拓海が、こうしたぬいぐるみを持つのに似つかわしくないキャラクターである事も、解っているはずだ。

 清恵ならば、そこに何らかの繋がりと違和感を見いだしてくれるはず――。

 実際、その当ては外れてしまった訳だが。

 ともあれ、あのテディベア・・・・・・・の中の物・・・・を源造に気がつかれる訳にはいかない。無闇に警察に渡す訳にもいかない……。

「よし……」

 吉島は裁縫道具を片付けるとテディベアを棚に戻した。

 更に、自室の窓際から三脚に取りつけたカメラを小茂田家へと向けた。これも、もしもの為の保険だ。

 羽織ったパーカーの右ポケットにカッターナイフを忍ばせて、反対のポケットにはスマホを入れる。

 階段を降りて玄関へと向かった。

「あら? こんな時間にどこかへ行くの?」

 途中、母と出くわす。

「ちょっと、コンビニ」

 変わらぬ表情でそう答え、靴を履いて外に出る。

 玄関の戸を閉めた後で、夜の空気を思い切り吸い込んだ。


 このあと間もなく、勇者と魔王の最終決戦が行われた――




 吉島拓海の遺言をすべて聞き終わった三人は押し黙る。

 その沈黙を最初に打ち破ったのは、西木だった。

「師匠は、たったひとりで戦っていたんだね。こんなに近くにそのヒントはあったのに、ずっと気がつかなかっただなんて……私、馬鹿だ」

「でも……吉島さんの思惑が上手くはまれば、小茂田源造を追い詰める事が出来るだろうけれど」

 茅野が両腕を組んで唸る。

 それが上手くいっているとは限らない。更にその決定的な証拠・・を手に入れる為には、かなりの危険が伴う。

「じゃあさ……」

 と、そこで普段通りの能天気な声をあげたのは桜井であった。

「もう、面倒くさいし・・・・・・正面突破・・・・で良いんじゃないかな?」

 あくまでも気楽に……それが、どれほどの事なのか、まるで理解していないかのように、彼女は言い放った。

「流石にそれは……」

 と、西木が難色を示そうとしたところで、茅野が声をあげる。

「それも、そうね」

 そして、悪魔のように微笑んだ。

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