【01】カカショニ


 三連休がつつがなく明けて、その日の放課後の事だった。

 オカルト研究会の部室に、桜井梨沙の噂を聞きつけた依頼人が訪れた。

「……桜井ちゃんの噂聞いたよ。こっくりさんを素手で殴り殺したり、河童と相撲を取って外無双をキメたりとか、大活躍なんだって?」

 などと、大変に鹿爪らしい顔でのたまうのは、制服をお洒落に着崩した派手な印象の少女だった。十七になった西木千里である。

 いかにも遊んでいそうなギャルギャルしい外見の彼女だったが写真部のエースで、何か大きなコンテストで賞を取ったらしい。

 日々真面目に部活動にいそしんでおり、よく学校内や周辺の農道で被写体を求めてうろつく彼女の姿を見かける事があった。

「いや、外無双は流石に……」

 桜井は苦笑する。

 そして茅野が入れたての珈琲を西木の目の前に置いた。

「ありがと。茅野さん」

「どういたしまして……」

 と、そこで茅野はテーブルに置かれた西木のカメラに目線を落とす。

「ライカTにMマウントのオールドレンズを使っているのね」

 すると、西木が途端に瞳を輝かせる。

「お、茅野さんも、カメラやってるの? こういうの解るクチ?」

「私の使ってるのは父のおさがりよ。貴女ほど本格的ではないけれど、やはりライカで撮られた写真の色味には憧れがあるわ」

「私のはねー。ネットでギリギリ手の届くくらいの中古のやつを偶然見つけてね」

 貯めていたお年玉、及びバイト代をはたいて、レンズ共々購入したのだそうだ。

「これで、賞をもらえたんだから、結果オーライだけど」

 と、愛しげに自らの愛機に目線を落とす西木。その表情を見て茅野は問う。

「……もしかすると、ライカには何か特別なこだわりがあるのかしら?」

「私の師匠がね、ライカ使いだったの。だから、いつか絶対に私もって」

「師匠……? カメラの師匠?」

 その桜井の質問に、西木は懐かしそうに、そして、どこか切なげに答える。

「そう。私の師匠。……といっても、私が勝手に心の中で師匠って呼んでいただけなんだけど。でも、私が写真を撮りたいって思うきっかけをくれた人なんだ」

 そこで西木は、いったん遠い目をしながら口内で言葉をさ迷わせ、カメラに目線を落としながら言った。

「……今日の相談っていうのは、その師匠の事なんだけど」


 ……そう前置きをして、彼女は六年前の初秋の夕暮れ時に見た、あの白い何かについて語り始めた。




「そのときは知らなかったんだけどね。蛇沼新田の辺りじゃ“カカショニ”って言われてるみたいなの」

「……成る程。伝承では、そのカカショニを見ると気が触れてしまうのね」

 茅野の言葉に西木は頷く。

「カカショニって何語?」

 と、桜井が首を傾げると茅野は「さあ?」と肩をすくめて苦笑した。

 そして、西木が肩を落として力なく言う。

「……それで、そのあとずっと、師匠、黙り込んじゃって……」

「結局、貴女の師匠はどうなったのかしら……」

 茅野が話を促すと、西木は何かを思い出したらしく、悲壮な顔つきで目に涙を浮かべる。

 言葉を詰まらせ、忙しなく瞬きを繰り返す。

「だいじょうぶ……西木さん?」

 桜井が彼女の顔を心配そうに覗き込んだ。

 すると西木は涙を堪えながらどうにか頷き、話を再開する。

「それからね……その日の夜に師匠は……殺されたの」

「殺された……?」

 突然、飛び出した物騒な言葉に茅野は桜井と顔を見合わせる。

小茂田源造こもだげんぞうっていう人に……」

 西木の師匠こと吉島拓海は六年前の今頃。

 夜半に小茂田宅へと不法侵入し、鉢合わせた源造と取っ組み合いになって頭を強く打ち意識を失った。

 救急車で病院に搬送中、そのまま死亡したらしい。

「……これはね。あとから聞いた話なんだけど」

 どうも小茂田と吉島は幼馴染みで小中高と同級生であったらしい。そして、同じく同級生の小茂田の妻である愛弓あゆみ横恋慕よこれんぼしていたのだとか。

 過去に小茂田邸の近くでカメラを持って、うろつく姿が見かけられたり、人気ひとけのない場所で愛弓に何事かを言い寄る吉島の姿が、しばしば見かけられたのだという。

 噂では愛弓をしつこくストーキングしていたらしい。

「……それにね。師匠は東京の大学を卒業してから県外で働いていたんだけどね。ストレスで身体を壊して、こっちに帰ってきてね……ずっと、働いていなかったの」

「成る程……つまり、貴女の師匠は集落の住人からすると無職の怪しい男だったと」

 茅野のはっきりとした言葉に西木は弱々しく笑う。

「でも、師匠は悪い人じゃなかったよ。私ね、その頃、両親が離婚して、関西からこっちに引っ越してきたんだけど……」

 元々、彼女の母はこちらの生まれらしい。母と一緒に六年前の春に、この県へとやってきたのだという。

 当時、西木の母方の祖母が他界し、まだ祖父も定年前で仕事をしていた。

 母も当然ながら家計を維持する為には仕事に出ざるを得ず、更に学校でもうまく馴染めなかった彼女はいつも独りだった。

「……そんな時に話し相手になってくれたのが、師匠だったんだ」

 そこで桜井が、まるで好きな食べ物の話でもするような気安さで問う。

「好きだったんだ?」

 西木は遠い目をしながら、はにかむ。

「うん。全然、イケメンじゃなかったんだけどね……。優しい人だったよ。当時、私と一緒にいるところを見たやつらが、ロリコンの盗撮魔だなんて、噂してたけど」

「六年前というと二〇一四年ね。あの頃は特に風当たりが厳しかったんじゃないかしら?」

 茅野の言葉に西木は苦笑して頷く。

 その当時、藤見市周辺では少女が誘拐されて殺害される事件が二年連続で発生していた。

「それでも、師匠は嫌な顔一つせずに真剣に私の話を聞いてくれた。頼んでも私の写真一枚も撮ってくれなかったけど」

「ふうん。優しいお兄さんだったんだね」

 その桜井の感想に、西木は「おにーさんじゃなくて、三十くらいのおじさんだったけどね」と言って笑った。

「つまり、西木さんの目から見て師匠の吉島さんは、横恋慕した相手の家に押しかけるような、粗暴な人間ではなかったと?」

 茅野が問うと西木は力強く頷く。

「そうよ。きっと師匠はカカショニのせいで頭がおかしくなったに違いないわ」

「要するに、私たちに、敵討ちをして欲しいって事?」

 桜井は、しゅっ、しゅっ、と椅子に座ったまま虚空に向かって右ストレートと左フックを繰り出す。

「敵討ちは出来れば嬉しいけど、桜井ちゃんや茅野さんもおかしくなっちゃったら怖いし、そこは無理しなくてもいいよ。それより……」

 と、言葉を区切り西木は一度、うつむいてから顔をあげる。

「師匠が……あの人が……カカショニのせいでおかしくなったって、証明できたらそれでいい。私の師匠が本当は優しい人だったんだって……みんなが解ってくれれば……それで良いから……」

 西木はそう言って悲しそうに微笑んだ。




 取り合えず、桜井と茅野の二人は、翌日の放課後に蛇沼新田へと向かう事になった。

 西木は礼を言い、二人と連絡先を交換したのちにオカルト研究会の部室をあとにした。

「……で、カカショニって結局、何なんだろうね?」

 桜井の問いに茅野は大して悩まずに答える。

「ぱっと、思いつくのは“くねくね”ね……」

「くね……くね?」

 桜井が両手を頭上にあげ、上半身をくねらせながら言った。

 その動きに頬を緩ませながら茅野は解説する。

「くねくねは二〇〇三年頃に流布るふし始めたネット怪談よ。田んぼや水辺に現れる白または黒のくねくね動く何かで、それを見続けると精神に異常をきたすと言われているわ」

「まさに、カカショニと同じだね」

「一応は創作怪談という事にはなっているけれど福島の“あんちょ”や東北の“タンモノ様”など、似たような妖怪の伝承が農耕が盛んな地には残っているわ」

「ふうん」と例の如く、解ったような解らないような相づちを打つ桜井。

「一説によれば、これらの存在は農村部に伝わる蛇神信仰と関係の深い存在らしいのだけれど、正体は判然としないの」

「ともかく、カカショニを倒すには、目に頼らず相手の気配だけを感じて戦う練習をしないとだね……」

 桜井が難しそうな顔をして唸る。

「貴女なら本当にできそうな気がするわ」

 茅野は呆れ顔で笑い肩をすくめた。

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