【File07】楝蛇塚

【00】楝蛇塚の怪


 藤見市の南部には蛇沼新田へびぬましんでんという肥沃な田園地帯が広がっている。

 その中に楝蛇塚かがしづかはあった。

 稲穂の海原にぽっかりと浮かぶ孤島のような盛土で、広大な田園地帯の真っ只中にぽつんと存在している。

 直径二十メートル程度の広さで、周囲を桜の木立が囲んでいた。中央には風化した石の祠があり、道祖神らしき石像が祀られている。

 そして、昔から蛇沼新田一帯では楝蛇塚に関して、こんな言い伝えがある。

 楝蛇塚の方角を見た時に“カカショニ”がいても、そのまま見つめ続けてはならない。

 もし見てしまったら、すぐに目を逸らし、その場から離れなくてはならない。

 そして井戸の水を頭から被り、身を清めなくてはならない。

 そうしない者は気が触れてしまうのだという。




 黄金色こがねいろの穂をつけた稲が秋風にさざめくある日の夕暮れ時の事。

 十一歳になったばかりの西木千里にしきちさとは、近所に住む吉島拓海よしじまたくみと共に蛇沼新田を突っ切る長い農道を歩いていた。

 吉島は三十前のもっさりとした男で、高価なデジタル一眼レフをショルダーストラップで肩からかけていた。

 彼はカメラが趣味で、よくこうして農道をうろつき、風景や野鳥の撮影にいそしんでいた。

 そんな彼に興味を持ち、最初に話しかけたのは西木の方からだった。

 このときの西木は春先に関西から引っ越してきたばかりで、新天地の生活に馴染めずいつも独りぼっちだった。

 ゆえに西木が吉島に話しかけた動機は寂しさをまぎらわす為だった。誰でもいいから話相手がほしかったのだ。

 しかし彼女は次第に、誰もいない田んぼ道でたった一人真剣にファインダーを覗く彼の横顔に惹かれていった。

 この日も撮影を終えた吉島と共に二人で帰路に着く途中だった。

 すると何の話の流れか、西木は関西弁がまだ少しだけ残る言葉で吉島にこんな質問をした。

「ねえ。おにーさんは、コンクールとか出したりしないん? 自分の写真」

「え……うーん」

 彼女の左隣を歩く吉島は一瞬、面食らった表情をして、すぐに真面目な顔つきで考え込む。

 こうして、歳の離れた自分の質問にも真剣に答えようとしてくれるところも、西木は大好きだった。

 たっぷりと間をおいて、吉島は彼女の質問に答える。

「僕は、別にいいかな。そういうの……」

「何で? おにーさんの写真、すごい綺麗じゃん。初めて見た時、わっ! て、なったし!」

 すると吉島は、夕暮れの赤い光の中でもそれと解るほどに頬を紅潮させ、照れ臭そうに笑う。

「ありがとう。でも……やっぱり、僕なんかじゃ無理だよ。そういうの……もっと凄い写真を撮れる人は沢山いるし」

 そこで西木は少し思案する振りをして、その提案を口にする。

「じゃあさ、じゃあさ……」

「何?」

「私を撮ってよ」

「は!?」

 吉島の目が点になる。

 西木は右手の人差し指を立てて得意気な顔で言う。

「おにーさんの写真の腕と、私の可愛さがあれば無敵でしょ? そうすれば、きっと、何かのコンクールで賞を総ナメじゃん!」

「えっ……でも」

 戸惑う吉島に、西木は悪戯っぽくはにかむ。

「セクシーな水着くらいだったら着てもいいよ。……ヌードはまだ駄目だけど」

「な……何を言ってるの、千里ちゃん……」

 と、吉島は盛大に慌てて周囲をキョロキョロと見渡す。きっと今の会話を誰かに聞かれてやしないかと焦ったのだろう。

 しかし、周囲は何もない農道である。

 そんな姿を見て西木は盛大に吹き出す。

「あははははっ。そんなに焦らなくたっていいのに。私みたいな子供相手にー。それに、こんな田んぼの真ん中で、誰も聞いてへんよー」

 西木は自分と親しく話をしている吉島が、大人たちにどう思われているのか知っていた。

 そのせいで彼が自分に遠慮している事も……。

「勘弁してよ、もう……また、からかってさぁ」

 吉島が唇を尖らせる。

 その顔がおかしくて西木は、また爆笑した。

 そうして、ひとしきり笑い終わったその時だった。

 西木の右目の視界の隅で何かが動いた。

 反射的にそちらの方を向こうとする。

 それは、稲穂の海の向こう側にぽっかりと突き出た浮き島のような――楝蛇塚である。

 その楝蛇塚を取り囲む木立の向こうに、何かがいた。

 白い……ゆらゆらと……まるで、それは……。


「千里ちゃん! 見ちゃ駄目だっ!」


 突然、吉島が大声をあげて彼女を、ぎゅっと抱き寄せた。

 鼻先を少し汗ばんだポロシャツに包まれた胸に埋める西木。

「えっ、何、何? ……ちょっと! 急に何なの……」

「“カカショニ”だ……」

「かか……何?」

 どうにかもがいて、彼の顔を見あげる。

 すると……。

「あ……あぁ……」

 吉島はまるで世界の全てに絶望しきった表情で唇を戦慄わななかせていた。

「ど、どうしたん……おにーさん」

 西木が再び背後の楝蛇塚の方を見ようとした。すると吉島が左腕で彼女の首を強引に抱え込む。

「駄目だ。あれ・・は、見ちゃ駄目なんだ……」

「ちょっと! 放してよ! 放して!」

 もがく西木。

 訳が解らない。

 あの白いモノは何だ。彼は何を見てはいけないと言っているのだ。

 やがて吉島は、そのまま右手で一眼レフのレンズをそれに合わせ、ファインダーを覗き込んだ。


「うわあああああっ」


 すると、西木は唐突に突き飛ばされ、吉島は尻餅を突いた。

 西木は、たたらを踏んでよろめくもどうにか堪える。

「ちょっと! 本当におにーさん、どうしたん!?」

 尻餅を突き、唖然とした表情の吉島は震えたまま何も答えようとしない。

 その表情には驚愕きょうがくと色濃い絶望がありありと浮かんでいた。

「おにーさん……」

 西木は、ゆっくりと楝蛇塚の方を振り向く。

 すると、あの白い何かは、跡形もなく消え失せていた。

 遠くの空で鴉が一声だけ鳴いた。

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