【06】ポンコツ


 原田から抜けた女の霊は浴室に戻ったようだ。男の霊は回転ベッドの上で相変わらず悶え苦しんでいる。

 女の霊の視線は、悶える男に向けられていた。どうやら、原田への興味はいったん逸れたらしい。

 その原田は気絶していた。

「ふう……落ちたみたいだけど」

 小柄な少女が額の汗を手の甲でぬぐう。

「私が警察に連絡するわ」

 黒髪の少女がスマホを取り出したところで九尾は慌てる。

「とっ……取り合えず、警察に通報するのはいいから、この部屋を出ましょう」

 すると黒髪の少女が眉をひそめる。

「別に被害者の貴女がいいっていうなら、それで構わないけれど、個人的には婦女暴行未遂をなあなあで済ますのはどうかと思うわ」

「いや、その……この人は知り合いで……婦女暴行未遂とか、そういうんじゃなくてね?」

 警察に連絡されると面倒臭い事になる。

 それに、このまま、この部屋に居続けるのも不味い。またいつ、あの女の霊が原田に興味を向けるか解らない。少なくとも原田を外に出さなければならない。

 あの女の霊はかなり強力な力を持っている。あれを祓うには、もっと腰を据えて挑まなくてはならないだろう。

「……ね? お願い。早く出ましょう」

 九尾は両手を合わせて懇願こんがんした。

 すると黒髪の少女と小柄な少女が顔を見合わせる。

「怪しいなあ……」

 小柄な少女が九尾を胡乱げにめつける。黒髪の少女もいぶかしげに言う。

「何か隠してるわね」

 仕方がないので、九尾はこの少女たちにすべてではないにしろ、ある程度の事情を話す事に決めた。

 原田の脇に手を入れて上半身を持ちあげる。

「まっ……まず、その、外に出ましょう? そこで事情を説明するから。ね? だから警察沙汰だけは勘弁して」

 二人の少女がジト目を九尾に向ける。

「“警察沙汰だけは勘弁して”って、だいたい犯罪者しか言わないセリフだよね」

「そうね」

 少女たちの会話を聞いた九尾は乾いた笑いで誤魔化しながら、

「ほら。この人の足を持ってくれると助かるんだけど。お願い……」

 再び二人の少女が顔を見合わせる。

 しばらく、ヒソヒソと何事かを話し合って……。

「じゃあ、約束ですよ。ちゃんと事情を話してくださいね?」

「も、もちろんよ!」

 黒髪の少女の言葉に九尾は何度も頷き同意する。

「それじゃ、あたしが持つよ」

 小柄な少女が原田の両足を持ちあげる。

 すると、そこで黒髪の少女はしゃがみ込み、足元に落ちていた黒いボタンのような物を摘まんだ。

「循、どうしたの?」

 小柄な少女が尋ねると、黒髪の少女は首を振って微笑む。

「何でもないわ。それじゃあ、行きましょうか」

 そう言って、部屋の入り口の扉を開けた。




 クリスタルパレスの玄関前にて。

 まず依然として意識を取り戻さない原田を車のシートに寝かす。

 九尾は自分が霊能者で依頼を受けて霊障事件の解決に当たっている事を、二人の少女――桜井と茅野に明かした。

 すると桜井と茅野は目を見開いて驚く。

「うえええ……おねーさん、霊能者なの!? すごーい!」

「まさか、心霊スポットで、幽霊じゃなくて、霊能者に出くわすとは思わなかったわ」

「あ……あの」

 その二人の反応を見て、逆に九尾は戸惑う。

「疑ったりしないの? わたしが霊能者だって」

「え、あ、うん」

 あっさりと頷く桜井。

「じゃあ、さっきの男は霊に取り憑かれていたとか、そういう話なのかしら?」

 鹿爪らしい表情の茅野の問いに九尾は「え、うん、そう」と頷く。

 やはり、この二人、物分かりがよすぎる……九尾はだんだん怖くなってきた。

「ねえねえ……やっぱり、こんなにあっさりと信じるなんて、おかしくない?」

「いや、逆に聞くけれどこんなところで遭遇した貴女みたいな人が、霊能者じゃなかったらいったい何なのよ」

「実は女子レスリングの選手でコーチと練習していたって言われるよりは、霊能者の方が納得できるね」

 九尾は思った。兎に角この二人は落ち着き過ぎである。

「……あなたたちの方こそ、いったい何者なの?」

「よくぞ聞いてくれたわ!」

 茅野は鼻を鳴らして笑う。

「私たちは、藤見女子高校オカルト研究会の者よ!」

 そして、漫画であれば『バーン』と効果音のつきそうな勢いで言い放つ。

 桜井がどや顔で続ける。

「あたしたち、呪われた事もあるんだよ?」

 オカルト研究会……成る程、と合点がいった。こういう事にはある程度、慣れているのかもしれない。

 恐らく今回のように興味半分で心霊スポットに訪れたりしているのだろう。

 本物の霊能者としては、あまり関心できない行為だった。

 そう感じた九尾は釘を刺す事にした。

「駄目よ? あなたたち。そうやって、軽い気持ちで、こういうよくない場所に足を踏み入れると、そのうち手痛いしっぺ返しを食らうわ」

「いや、ついさっき、手痛い目に合っていた貴女に言われたくないのだけれど……」

「本当だよね。あたしたちが助けたのに」

「うっ……」

 九尾の眉間に特大のブーメランがぶっ刺さる。

 そして茅野が好奇心を隠しきれない表情で、

「それはそうと……貴女は何でこの場所に? あの霊に取り憑かれていた男の人との関係は?」

「し、仕事よ」

 桜井が追い討ちをかけるように問うた。

「だから、どんな仕事? 心霊がらみなんでしょ? くわしく」

「そっ。そんなの言える訳がないでしょ!? 守秘義務よ! コンプライアンスよ!」

 茅野は額に手を当てて『こいつ、解ってないな』と言いたげにかぶりを振る。

「梨沙さん」

 桜井がひとつ頷き、ネックストラップに吊るしたスマホを手に取る。

「警察に電話しよっと」

「ああああーっ! ちょっと、待ちなさあーいっ!」

 九尾が慌てふためく。

「安心して。このカメラで、その車で寝てる男が貴女に馬乗りになってるところは、ばっちり撮ってあるわ。証拠は充分よ。その男を有罪にできる」

「ううっ……」

 一応はこの手の案件・・・・・・を専門とする警察関係者の知り合いもいるので、力を借りれば原田が罪に問われる事はないだろう。

 しかし、日本の警察は縦割りで横の繋がりが希薄である。その人物の力が及ぶまである程度の時間と手間を必要とするだろう。そうなると、結局は原田に迷惑をかけてしまう事には変わりない。

 できれば穏便に済ませたい。

 悩んだ末に結局、九尾は観念した。




 九尾は洗いざらい、事の経緯を桜井と茅野に語った。

「成る程。貴女は、そのリフォームだとか解体を請け負っているオカシンという会社に取り憑いた男の霊の正体を探りにここへ訪れたという訳ね?」

「そう。無理矢理、除霊する事はできるけど、なるべくならそれはしたくないから。まずは男がなぜ、オカシンに取り憑いているのか動機を探って……」

「それなら、だいたい、解ったわ」

「そう。だいたい、解ったって……えええ!?」

 九尾が大きく目を見開いて茅野の顔を見る。

「男の霊がオカシンに取り憑いている理由が? 解ったの?」

「ええ。だから、そう言ったわ。これまでの経緯と貴女の話を総合すると自明の理よ。考えるまでもない」

「循、すごーい」

 桜井が関心した様子で、ぱらぱらと拍手をする。

「ただし、これはあくまでも、その男の霊が、今年の六月頃に、このクリスタルパレスの三号室で発見された遺体の人物である事が前提となる仮説ではあるけど……」

「取り合えず、話して、み……みなさいよ……」

 九尾は恐る恐る促す。

 すると、茅野は右手の親指と人差し指で摘まんだそれを掲げる。

「これが、あの“死の三号室”の秘密よ」

 桜井と九尾は、茅野の指先に摘ままれた物を見つめる。

 それは、真っ黒に変色した十円玉だった。

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