【07】後日譚


 それから数日経った放課後――。

 いつものオカルト研究会の部室にて。

 珈琲の匂いで室内が満たされた頃、椅子に腰をおろした茅野が手元のタブレットに目線を落とす。

 その画面には、オカシン社長の岡崎政直と常務の原田昇ら数名が逮捕されたというネットニュースが表示されている。

「結局あの霊能者、警察に通報したみたいね」

「あのおねーさん、割りといい人だったみたいだね」

 桜井はテーブルに身を投げ出しながら気だるげに微笑み、二日前のクリスタルパレスの玄関前でのやり取りを思い出す――




「……この十円玉の黒ずみは硫化反応よ」

「りゅうか……はんのう……?」

 桜井が首を傾げる。

 九尾は少し思案して、両手をぽんと打ちあわせた。

「それって、確か温泉なんかで、シルバーアクセサリーが黒くなるアレの事よね?」

 茅野は頷く。

「この十円玉は、恐らくこのクリスタルパレスへと肝試しに訪れた者か誰かが落とした物で、それが硫化水素によって硫化反応を起こした。ここで六月に発見された男も、この硫化水素による中毒症状で死んだんじゃないかしら」

「そういえば、硫化水素による自殺が一昔前に流行ったみたいだけど……ある洗剤と洗剤を混ぜて硫化水素を発生させるの。三号室で死んだ男は、それで自殺したっていう事?」

 その九尾の問いに茅野は首を横に振る。

「だったら、その痕跡が現場に残っていたはず。それを警察が見逃すはずはないわ」

「じゃあ、その毒ガスはどこから発生したのさ?」

 桜井の疑問に、茅野は不敵な笑みを浮かべながら答える。

「それは、三号室の床下からよ」

「床下!?」

 九尾が目を見開く。茅野はそびえ立つクリスタルパレスを鋭い眼差しで見あげる。

「恐らく、この建物の地下ピット内には、大量の石膏ボードが投棄されているはずよ。それが硫化水素の発生源ね」

 桜井が首を捻った。

「せっこう……ボード?」

「石膏ボードは、建築資材としてはポピュラーな物ね。どこにでも使われているわ。ただし、廃材として地中などに埋めた場合、 石膏に含まれる硫酸カルシウムが雨水などと化学反応を起す。結果、硫化水素を発生させるの」

 桜井が青い顔をする。

「え……石膏ボードって、どこにでも使われているんでしょ?」

「そうね。家の内装の壁なんかによく使われているわ」

「じゃあ、家の壁に水をかけただけで毒ガスが発生しちゃうの?」

 茅野は首を横に振る。

「安心して。そんなに簡単に、この化学反応は起こらない。なぜなら石膏ボードから硫化水素が発生するには、硫酸塩りゅうさんえん還元菌かんげんきんの力が必要だからよ」

「りゅうさんえん……なんちゃら……つまり、悪いバイ菌って事?」

「そうよ、梨沙さん。硫酸塩還元菌は嫌気性……つまり空気中では活発に活動ができないの」

 そこで九尾が声をあげる。

「成る程……地下ピット内が外から入り込んだ雨水で満たされ、硫酸塩還元菌が活性化した。そのお陰で致死量の硫化水素が発生したのね。それが、ちょうどあの三号室の真下だった」

 茅野は「その通り」と頷いて、解説を続ける。

「きっと、経年劣化なのか何なのか知らないけど、三号室の床と地下を繋ぐ亀裂か穴みたいな物ができた。その結果、ピット内に充満していた硫化水素が吹き出し、あの部屋に充満していた」

「そこへ、あの不気味な男が訪れて、死に至った……」

 そこで九尾は思い出す。あの三号室の入り口の扉は妙に立てつけが悪かった。

 地震の影響で床が歪んで、その結果、どこかに亀裂か隙間でもできたのかもしれない。

 そして、あの男が死んだあと、大量の硫化水素は扉や窓の隙間から時間をかけて徐々に外へ漏れて拡散する。

 死体が発見された頃には、硫化水素の濃度は安全なレベルまでさがっていた。

 あのわずかに漂う卵の腐った臭いこそ硫化水素の香りだったのだ。

「……でも、何でそんな危ない物を地下に捨てたの?」

 桜井の発した当然の疑問に茅野が答える。

「それは、危ないからこそよ。そういった廃材を安全に処理する為にはお金を払わなければならないの。当然、そうした手順を踏まずに破棄するのは違法よ」

「だから、バレないように勝手に棄てたんだね?」

「そうね。そして、それを行ったのが、あのホテルを改装した……」

 そこで茅野の目線は未だに軽自動車の運転席で眠りこけるオカシン常務の原田昇へと向けられた。

「だから、あの不気味な男はオカシンという会社自体に取り憑いたのね……」

 あの不気味な男は、間違いなくこれを訴えたかったのだ。

 もしかすると、自分はオカシンを断罪する者として、この土地に呼ばれたのかもしれない……九尾はそんな事を思った。

 しかし、このまま強制的に除霊する事なく彼の望みを叶えるとなると、報酬は確実にフイとなる。

 どうにか、上手く立ち回れないものかと打算を巡らせる九尾。

 そんな彼女の心情を知ってか知らずか、茅野は肩をすくめる。

「もちろん、これは単なる憶測よ。正しいかどうかは解らない。というか、そもそも貴女の話が本当かどうかも私には解らない。だから、どうするのかは貴女に任せるわ」

「ええ……そうね」

 と、九尾は上の空で返事をする。

 すると、彼女の正面に立つ桜井と茅野の背後にいつの間にか、あの男が立っていた。

 男はまるで『それで正解だよ』とでも言いたげに不気味に笑って消えた。




 テレビに映し出されたオカシンの社長らが逮捕されたというニュースを見ながら、ソファーに腰を埋め、九尾天全はカップラーメンのチリトマト味をずるずるとすすった。

 そこは彼女の経営する雑貨店の二階にある居住スペースのリビングだった。

 趣味で集めたアンティークの調度品に溢れるその部屋を見れば、彼女は少し詰めが甘いだけで腕は立ち、それなりに稼いでいる事が見て取れるだろう。

 しかし『The Haunted Seeker』の一件と今回の一件と連続で報酬なしは流石に痛い。

 結局、九尾は悩んだ末に報酬よりも不気味な男の望みを叶える事を優先したのだ。

 霊の気持ちに寄り添った除霊をする事。それが彼女の師匠からの教えであり、自らの信条であったからだ。しかし、その結果の金欠である。

 もっとも雑貨屋の売上げも少ないながらある事はあるし、それなりに貯蓄もしていたので、すぐに路頭に迷うとかそういうレベルではないのだが……。

「それにしても、あの二人、大丈夫かな……」

 九尾はクリスタルパレスで出会ったあの二人の少女の事を思い出す。

 何でも聞けば、これまでに幾つかの心霊スポットを巡った事があり、これからも心霊スポット探索をやめるつもりはないのだという。

 一応、今回のお礼として相談に乗るくらいならただだから、いつでも連絡して欲しいと、名刺をおいてきた。

 しかし、心霊スポットの中には九尾ですら手に余る、人を完全に殺しにきているいるような超危険な場所も存在する。

 ずぶの素人である二人が知らずにそんな場所に足を踏み入れたとしたら……。

「心配だなあ……」

 と独り言ち、人のよい九尾は、ずるずるとチリトマトラーメンの鮮血のように赤いスープをすするのだった。




「くしゅん」

「風邪?」

「いいえ。体調はすこぶるいいわ。誰かが噂をしているのかも」

 と、言って茅野は鼻をかむ。

 すると桜井が、けだるげにテーブルへと上半身を投げ出す。

「……にしてもさあ」

「何かしら?」

「あの霊能者のおねーさん、心配だよね。妙にポンコツというかさあ」

「ああ……確かにそうね。ちょっと、頼りない感じだったわ。一応、相談に乗ってくれるらしいけど……本当に頼りになるのかしら?」

 茅野は九尾からもらった名刺を眺めて苦笑した。


 そのとき、遠く離れた地で九尾が「くしゅん」とくしゃみをした。






(了)

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