【05】抑え込み


 桜井梨沙と茅野循は駅のレンタルサイクルを借り、郊外に横たわる国道を目指していた。

 真新しい分譲住宅地の只中ただなかを抜けると、遠くの方に高い塀に囲まれた墓標のような建物が見えてくる。クリスタルパレスである。

「……でも、あたしたちも、随分と心霊スポット慣れしてきたけど、この凸る前の独特な高揚感はいつまでたっても変わらないよね」

「そうね。一種の“心霊スポットハイ”なのかもしれないわ」

 茅野はクスリと笑って、桜井の言葉に応じる。

「ダンジョン探索に向かう前の冒険者もこんなノリなのかな?」

「なろう系のチート主人公でも流石にもう少し緊迫感を持っているんじゃないかしら?」

「あははは、確かに」

 桜井が例の如く、まったく緊張感のない様子で笑う。

「それに、今回の目的の部屋は、一階の三号室だから、ダンジョンの入り口のすぐ近くよ」

「それも何だかしまらないね」

 ……などと、呑気にペダルを漕ぎながらクリスタルパレスを目指した。




 四メートル近くある塀のアーチ状の門は開いていた。

 桜井と茅野は、その内側へ自転車を乗り入れ駐車場へと向かう。

「今どきピロティタイプじゃないのはけっこう珍しいかもしれないわ」

「ピロティタイプ?」

「この手の宿泊施設や集合住宅でありがちな、一階が駐車場になっている建物の事よ」

「ふうん」

人気にんきのない低層を駐車場にする事で、敷地のない都市部でも駐車スペースを確保できるという利点があるわ」

 塀の門の裏手にある駐車場へと向かう二人。

 そして、開け放たれた玄関の前に停めてあった軽自動車を見て、二人は落胆した。

「誰かきているみたいだね……」

「管理者かしら。これはいったん引きあげた方が無難かもしれないわね」

 と、そのときだった。

 開け放たれたままになっていた玄関の扉から微かに女性の悲鳴が聞こえてきた。

 桜井と茅野は顔を見合わせる。

「梨沙さん。悲鳴が聞こえたっていう事は、その悲鳴の主を救助しなくてはならないわ」

「だね」

 茅野の表情がにやける。

「つまり、これは遠慮なく建物の中に侵入していいって事よ。ついでに三号室も見せてもらいましょう」

「うん」

 二人は開け放たれた玄関を潜り抜け、エントランスホールへと足を踏み入れる。

「暗いね……」

 桜井が神妙な顔つきで周囲の様子を注意深く窺いながら、奥のエレベーターホールへと進む。

 彼女の隣で茅野がデジタル一眼カメラで動画撮影の準備を手早く済ませ、リュックから取り出した懐中電灯をつけた。

 すると、その光の帯の先にスマホやパスケース、財布など、幾つかの小物が床に散らばっている事に気がつく。

 二人は駆け寄る。 

「あまり汚れていない……」

 と、茅野が膝を突きスマホを拾いあげた瞬間だった。

 ががが……と、何かが床に擦れる音が鳴り響く。

 茅野は咄嗟とっさに立ちあがり、その音の聞こえた方へと懐中電灯の明かりを向けた。

 すると、ばたん……という扉が閉まる音が響き渡る。

「梨沙さん……今のは……」

「たぶん、あそこの部屋」

 桜井がエレベーターホールから左手に延びた廊下の向こうを指差す。

 茅野はその先に視線を向けて言った。

「……あそこは、三号室じゃないかしら?」

「もしかして、幽霊かな?」

 桜井が、そのあどけない顔立ちには不釣り合いな勇ましい笑みを浮かべた。

 二人は三号室の前に向かった。




 ぼんやりと歪んだ景色が、後頭部の痛みと共にはっきりとする。

 九尾が目を覚ますと割れ落ちた鏡張りの天井が視界に映った。起きあがろうとする。しかし腹部と肩に強い圧迫感を覚えてままならない。

 突然、不気味に笑う原田の顔が視界をふさいだ。

 九尾は、自分が三号室の回転ベッドの上で原田に馬乗りにされているのだと気がつく。

 両肩は原田の膝でしっかりと抑えられていた。

 両足をバタつかせるが、黒いワンピースの裾がまくれた以外、何もならなかった。

 すぐ隣では、血塗れの男の霊が相変わらず、苦悶の表情のまま視線を虚空にさ迷わせていた。

「ふーっ、ふーっ……」

 どうにか落ち着こうと深呼吸を試みるが、逆効果だった。

 そこで九尾の右頬に冷たく硬い物が当てられる。

 涙で濡れた眼球を動かして見ると、それは尖った鏡の欠片だった。

 原田はまったく瞬きをせずに、唇の端を大きく釣りあげた凄絶な笑みを浮かべる。その鏡片で九尾の頬をゆっくりとでた。

「やめて……お願い……」

 九尾は懇願するも、原田は何も答えない。

 右手の鏡片を頬から顎……喉元を伝わせ、ワンピースの襟から胸元を縦に切り裂く。

 九尾が絶叫した。

 その瞬間だった。

 部屋の扉が勢い良く開かれた。

 原田が腰を捻って後ろを向いた。

 肩を抑えつけていた彼の膝の力が少しだけゆるむ。

 九尾はこの隙を逃がさなかった。

 身体を揺り動かし原田の膝をずらして肩を抜き、彼の胸元を両手で突きながら上半身を起こした。

 原田が回転ベッドから転げ落ちて、床に背中を打ちつけた。

 九尾は咄嗟に立ちあがると……。

「大丈夫ですか!?」

 と、声をあげて原田と九尾の間で視線をさ迷わせるのは、あのホテルのロビーにいた黒髪の少女であった。

 九尾は原田を指差して、

「その男を抑え込んで!」

 と声を張りあげる。

「任せて!」

 その要請に応じたのは小柄な少女だった。

 少女は起きあがろうとしていた原田の腹部に腰を落とすと、右手で彼の顔面を鷲掴みにする。

 アイアンクローであった。

「うりゃーっ!」

 そのまま体重をかけて原田の後頭部を再び床まで押し返す。

 それから彼の頭と左肩を抱え込んで締めあげた。

 基本に忠実な縦四方固たてしほうがためである。

「ええ……」

 確かに抑え込めとは言いはしたが、ここまで本格的な抑え込みがくるとは思っていなかった九尾はしばし唖然とする。

 すると原田が顔を真っ赤にしながら暴れ出した。

「ジャマをするナァあああ……」

 身体をよじり、激しく足をばたつかせる。

 小柄な少女の技は完璧であったが、いかんせん体重が軽い。

 揺り落とされそうになるも……。

「梨沙さん、頑張って! そのまま落としてしまいなさい!」

 黒髪の少女はカメラを床に置いた。そして、原田に何発か蹴りをもらいながらも彼の両足首を掴んで、体重をかけながら抑え込む。

 そこで九尾は己のやるべき事を思い出して、回転ベッドから降りる。

 依然として寝技を維持し続ける小柄な少女の肩口から覗く原田の眉間に、右手の人差し指と中指を当てた。

 乱れた精神を整えて集中しながら、小さな円を描くように原田の眉間をさすった。

 すると、原田の動きが次第に弱まり完全に沈黙する。

 九尾により彼に取り憑いていた霊はひとまず抜け落ちた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る