【07】真相


 森田優花が、同じクラスで小学生時代からの親友である榎田萌恵と楠木桂子に、翌年の春にフランスへ行く事を明かしたのは、夏祭りの花火大会の夜だった。

 城址公園じょうしこうえんのベンチで、流れる人混みを眺めながらその話を告白すると、榎田は瞳に涙を溜めながら黙り込み、楠木は声をあげてすすり泣いた。

 そして、残りの時間を精一杯楽しもうと三人で誓い合う。

 このとき森田は、まだこの事は誰にも言わないで欲しいとお願いした。

 彼女は私事によって騒がれる事をよしとしなかったからだ。

 他のクラスメイトたちに知らせるのはもう少し後でいい……森田は当初、そんな風に考えていた。




 それは夏休みも明けて二学期の初日だった。

 朝、学校で授業が始まるまでの間、いつも通り、榎田と楠木、他にも仲のよかったクラスの男子たち数人と輪になって雑談をしていた。

 榎田と楠木は花火大会の日以来、あの話は一切口にせずにいつも通りの態度でいてくれた。

 森田にはそれが嬉しくて、二人の親友に心の中で感謝していた。

 この日も普段と変わらない朝の時間が過ぎ去ってゆく。

 そうして、もう少しでチャイムが鳴ろうかという、その時だった。教室の前方の入り口から、誰かが駆け込んできた。息を切らせ、顔をあげたのは二年四組・・・・の倉本百子であった。

 倉本は教室中に響き渡るような声で叫んだ。

「ゆうちゃん、来年、フランスに行っちゃうって本当なの!?」

 森田は一瞬、我が耳を疑った。

 この事は家族以外では榎田と楠木しか知らないはずだ。もちろん、クラスも別で、大して・・・仲よくもない・・・・・・彼女に話すはずもない。

 森田が榎田と楠木の顔を見ると、彼女たちも驚いた様子で首を横に振った。

「……ゆうちゃん!」

 倉本は更に続ける。

 まるで“泣ける”などというキャッチフレーズのついた映画かドラマのワンシーンのように……。

「どうして黙っていたのよ! 答えてよ!」

 そのときクラスにいたすべての人間の目線が自分に集まっている事に気がついた。




「きっと、彼女は人気者だった森田さんについて、自分が知り得た情報を周囲に披露ひろうする事により優越感を得たかったのね」

 茅野がそう言うと、榎田は苦笑して頷く。

 あの城址公園じょうしこうえんで酷い茶番があった翌日の事だった。

 桜井、茅野、榎田、楠木の四人は、例のショッピングセンターのフードコートに集まっていた。

 話題はあの倉本百子についてである。

「……でも、何で倉本さんは知っていたんだろうね。森田さんがフランスに行く事を」

 桜井のその疑問に答えたのは楠木であった。

「それはね。あの子、ゆうちゃんの事をこっそりストーカーして隠し撮りしていたらしいの」

「うえ……キモ」と桜井の表情が歪む。

「たぶん、私たちが城址公園で、ゆうちゃんからフランスに行く事を告げられた時にも、彼女は近くにいたんじゃないかしら」

「そういえば、彼女から見せてもらった写真の中に、浴衣を着た貴女たち三人がベンチに座っている後ろ姿の写真があったわね」

 その他の写真も、正面からのアングルの物はほとんどなく、あっても被写体からの距離が遠かったりした。

 明らかに隠し撮りされたような写真ばかりであったのだ。

 因みにあのSDカードは倉本本人が作ったバックアップである。

 後に娘の異常性に気がついた倉本の両親は、彼女が森田優花の記憶を失ったのを切っかけに中学時代の物をすべて処分した。

 しかしジャン・コクトーの詩集に隠していたあのSDカードだけは、見つける事ができなかったようだ。

「兎も角、倉本とは、昔……小学校の林間学校の時に、先生に頼まれて一緒の班になった時くらいしか絡んでなかったし……兎に角、驚いたよ」

 榎田がぞっとしない表情で言う。

 林間学校の時も倉本はずっと黙って遠巻きに三人の様子を眺めていただけだったのだと言う。

 林間学校から帰ってきてからも、まったく口を聞いた事もなく、あの中学二年生の二学期の初日までは彼女の存在すら忘れていたらしい。

「……それで、例のクリスマス会ね?」

 茅野の言葉に楠木は「そう」と頷く。

「あのとき、突然、三組でもない倉本さんが飛び込んできて、急に手首を切り出して……本当に人生で一番最悪のクリスマスだったわ」

 楠木は当時を思い出した様子で脅えた顔をした。

 そこで榎田が話を引き継ぐ。

「それで、後々、ゆうちゃんから聞いたんだけど……」

 何でもクリスマス会の数日前に、森田の父親が県庁所在地の駅のホームから転落したらしい。

 混雑時に誰かに背中を押されたのだとか。

 幸い大事には至らなかったのだが……。

「その日の深夜、ゆうちゃんの元に倉本からメッセージが届いたんだ」


 ……お父さんがいなくなれば転校しなくて済むのにおしかったね。


 転落の一件は特にニュースにもなっていないし、その時点では誰にも教えていなかった。

 もちろん、これだけでは倉本が森田の父親の背中を推した犯人であるとは言えない。単にその場に偶然にも居合わせただけなのかもしれない。

 更に……。

「これは、ゆうちゃんが倉本から直接言われた事らしいんだけど……」


 ……フランスに行ってもクラスの誰かが死んじゃえば、お葬式で日本に帰ってくるよね? あんなに仲よし三組なんですもの。


 この発言も、質の悪い冗談かもしれない。

 すべてに確証はないが、精神的に追い詰められていた森田は決心する。

 右眼と引き換えに倉本の記憶の中から自分の存在を消去すると……。

「あの手紙としおりは、ゆうちゃんが万が一、倉本の記憶が戻った時の為に用意をした保険よ」

 楠木の言葉に続き榎田が苦笑しながら言う。

「私は必要ないって言ったんだけど、ゆうちゃんって割りと小心者っていうか心配性なところがあるから」

 森田は後になって気がついたそうだ。

 願い事をする際に『倉本百子が私の事を忘れますように』と口にしたのだが、ここに“一生”とか“永遠に”とかいう語句をつけるべきだったと。

 結果的に森田の懸念は的を射た物となってしまった。

 ともあれ、最後に彼女たちは、ゴニンメサマの儀式を倉本が悪用出来なくする為に姿見を割ったという訳だった。

「倉本は中学時代の仲のよい友だちはまったくいなかったし、人づてに真実が伝わる可能性は低いからね」

 その榎田の言葉を引き継ぐように楠木がつけ足す。

「それに彼女は思い込みが激しい性格のようだから、自分の都合のよい事を現実だと選びやすい。最愛の親友と死に別れた悲劇のヒロインという自分自身は、きっと倉本さんにとって、何よりも甘い天上の美酒って訳。多分、よほどの事がない限り気がつかないわ」

 そこで桜井が「ふうん」と、いつもの解ったような解ってないような相づちを打って榎田と楠木に質問する。

「そういえばだけど、その森田優花さんは今も元気なの?」

 榎田は楠木と顔を見合わせて意味深な微笑みを浮かべる。

「ああ。元気だよ。今もネットでよくやり取りしてるよ」

「実はこの夏、日本に彼女、帰ってきてたのよ。流石に地元に戻るのは怖がってたから東京で三人で遊んだわ」

 榎田と楠木の返答を受けて、桜井は「それは、よかった」と満足げに頷いた。

「まあ、これは酷い話になるかもしれないけど」と楠木は前置きして言う。

「倉本さんが、私たちの知らないところで勝手に死んでくれるなら、私はいっこうに構わないんだけど」

 榎田がうんざりした様子でつけ加える。

「彼女、絶対にそういうタイプじゃないから」

「まあ、そうでしょうね」

 と、茅野は同意する。きっと倉本は死ぬにしても、大勢を精神的に巻き込む方法を選ぶだろう。自分という存在を死してなお人々の記憶へと残す為に……。

 彼女たちはそれを恐れているのだろう。

「という訳で……これで、話は全部だけど、他に質問はない?」

 楠木の問いに二人は顔を見合わせて首を横に振る。

 すると榎田が一つ手を叩き、

「それじゃあ、つまらない話はおしまいにして、今日は私たちのおごりだよ。口止め料。何でも食べて」

「うわーい! カツカレー!」

「じゃあ私は、あの店の沖縄フェアでいちばん売れてなさそうなゴーヤパフェと珈琲をいただくわね」

 桜井は破顔し、茅野は口角を静かに釣りあげた。

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