【06】あの白い花の名前を決して忘れない


 それは次の日の放課後。

 そこは藤見市内の城址公園じょうしこうえんだった。

 綺麗に整えられた芝生に桜並木。

 石垣に囲まれた堀には蓮の葉が浮かび、その対岸には今や本丸と一部の門だけとなった城があった。

 授業が終わると桜井と茅野は、倉本と共にこの公園へと訪れていた。

「懐かしいな……。ゆうちゃんと、もえちゃんと、けいちゃんと、四人で一緒にここで花火を見たんだよ。それ以来かも」

 当時を思い出しているのか、テンション高めではしゃぐ倉本。

 因みに彼女には「例の件で大事な話がある」としか言っていない。

 やがて三人が堀に沿った桜並木を歩いていると、前方のベンチに座っていた二人が立ちあがった。

 榎田萌恵と楠木桂子である。

「あっ。もえちゃんとけいちゃんだ!」

 倉本はまるで仔犬の尻尾のように右手を振り乱す。

 そして二人と合流する。

「久し振りだね。二人とも!」

 ぴょんぴょんと倉本が跳びはねるようにはしゃぐ。

 榎田は極めて冷静に「まったく変わってないね」と言った。

 そして、楠木が話を切り出す。

「ゆうちゃんの……森田優花さんの事を思い出したんですって?」

 その名前を聞いた途端、倉本の瞳孔が大きく開いた。

「森田優花……そうだ。それがゆうちゃんの名前だよ……」

 倉本は榎田と楠木の顔を見渡す。

 榎田がゆっくりと頷く。

「そうだよ。やっぱり思い出してしまったんだね……」

「でも……何で? 何で、もえちゃんとけいちゃんは、ゆうちゃんの事を覚えているの? ゆうちゃんはゴニンメサマに連れ去られて、この世から存在ごと消えたんじゃ……」

 そこで榎田はリュックサックを開けて、中から一枚の水色の封筒を取り出した。

「それ、ゆうちゃんから預かっていた手紙……読んでみて」

 倉本はきょとんとした表情で封筒を開けて、中の便箋びんせんを取り出して開いた。

 そこに並んでいた文字は、確かに見覚えのある森田優花の筆跡であった。




 Dear 倉本さん

 これを読んでいるという事は私の事を思い出したんですね。

 実はあの日……私とあなた、もえちゃんとけいちゃんの四人でゴニンメサマをやった時、私がお願いしたのは『四人でずっと一緒にいられますように』ではありませんでした。

 あなたの記憶から私の存在を消して欲しいとゴニンメサマにお願いしました。

 なぜそんなお願いをしたのか?

 あなたは今疑問に感じたと思います。

 もしかしたら『何でそんな事をするの!?』って怒っているかもしれませんね。

 でも聞いてください。

 これは、あなたのためでもあるのです……。

 実は私がフランスに転校するというのは嘘です。

 もえちゃんにもけいちゃんにも嘘を吐いていました。

 ごめんなさい。

 本当は私は、ある難病におかされていて春から病院に入院する事になっていました。

 入院といっても治療目的ではありません。

 私の病気はもう現代の医学で治る見込みがないために、安らかな死を迎える為の緩和かんわケアを目的としたものです。

 だから飼い主の前から姿を消す年老いた猫のように、みんなに黙ったまま私は死ぬつもりでした。その為にフランスへ行くだなんて嘘を吐いたのです。

 もえちゃんも、けいちゃんも、クラスのみんなも、その嘘を信じてくれて納得してくれました。騙されてくれました。

 でも、あなたは、あのクリスマス会で言いましたね。

『ゆうちゃんがフランスに行くなら私は死ぬ。私の命をプレゼントしてあげるよ』と……。

 そして、あなたは自分の左手首を切りました。

 それを見た私は思いました。

 この子は、私がいなくなるだけで死ぬほど辛いんだと。

 そして、もしも、本当の事を知ったなら、あなたは確実に私の後を追って自ら死を選ぶだろうと……。

 私はそれが怖かったのです。

 こんなにも私の事を慕ってくれているあなたには、私の分まで生きていて欲しかった。

 私のせいで大好きなあなたの未来を閉ざしてしまいたくなかった。

 だから私はゴニンメサマにお願いしました。

 あなたの私に関する記憶を消してください……と。

 この手紙は万が一、あなたの記憶が何かの拍子に戻ってしまった時の為の保険に榎田さんに預けておきます。


 最後に。

 例えあなたが、私の事を忘れてしまったとしても、私はあなたに生きていて欲しい。

 私の大好きなあなたに私の分まで生きていて欲しい。

 強く生きて。

 さようなら。一番の親友へ。




「ゆうちゃん……ゆうちゃん……ゆうちゃ……うぇえええええ……」

 手紙を読み終わると倉本は膝を突いて泣き崩れた。

 便箋と封筒を胸に抱え、くしゃくしゃにして人目をはばからず泣きわめく。

 左手の甲で目元を拭うと、いつも彼女がしているバンダナがずれて、そこからあのときの傷痕が覗いた。

「倉本……解ってくれたかな? ゆうちゃんの気持ちが」

 榎田の言葉に倉本は叫ぶ。

「解らない! 解らないよっ! 何で……何でなの!? ゆうちゃん、ゆうちゃあああん!」

 そこで倉本はよろよろと立ちあがり、虚ろな眼差しで笑う。

「私も……私も死ぬ」

「ちょっと、倉本さん……」

 榎田が困惑する。倉本は更に激しく泣きわめきながら大声を張りあげた。


「私も死ぬからッ!!」


 そこで、ぱしん、という乾いた音が鳴り響く。

 楠木が倉本の頬を思いきり右手でひっぱたいたのだ。

 赤らんだ頬を押さえ、唖然とした様子で唇を戦慄わななかせる倉本。

 そんな彼女に向かって楠木は言った。

「ゆうちゃんがあなたを大切に思う気持ち……解ってあげなよッ!!」

「でも……私……」

 倉本の言葉を遮り、楠木が今度は鞄の中からある物を取り出す。

 それは一枚のしおりだった。手作りの物らしく、ラミネート板に白い押し花が挟んである。

「これも、ゆうちゃんが本を読むのが好きだったあなたの為に残してくれた物よ」

「これを、ゆうちゃんが……」

 倉本は楠木の手から栞を受け取る。

「この花……天竺葵ゼラニウムの花言葉……知ってる?」

 楠木の問いに倉本は首を横に振った。

天竺葵ゼラニウムの花言葉はね、“信頼”と“尊敬” ……そして“君がいてさいわい”よ」

「君がいて……幸……い」

 その言葉が溢れた瞬間、再び倉本の頬が涙で濡れる――




 榎田と楠木に連れられて去って行く倉本。

 その後ろ姿を見て桜井は疲れた様子で溜め息を一つ。

「終わったね」

 茅野は頷いてから、

「とんでもない茶番だったわね」

 と、鼻白んだ様子で言った。

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