【04】右眼

 

 雪がすべてを塗りつぶす。白く、冷たく……。

 日照はほとんどなく、毎日が世界の終わりのような真冬のある日。

 放課後の教室で倉本は、榎田と楠木、そして彼女に向かって熱心に語る。

 それは彼女が転校しなくて済む唯一無二の方法。倉本が必死に考えて導き出した、たったひとつの冴えたやり方だった。

 丑骨小学校に伝わるゴニンメサマの儀式である。

 倉本は彼女本人と榎田、楠木に協力を申し出た。

 一緒にゴニンメサマの儀式をやって欲しいと……そして彼女が転校しないで済むように、ゴニンメサマにお願いしようと……。

 話を聞き終えて榎田は馬鹿にした様子で笑う。

「そんなの無理にきまってるだろ。馬鹿馬鹿しい」

「だいたい……四人目は誰がやるのよ? 四人目は右眼を……」

 楠木も反対した。

 しかし、倉本は喰いさがる。

「四人目は私がやるから。私ゆうちゃんの為なら右眼くらいなくなってもいいからッ!」

 その言葉を遮って声を張りあげたのは榎田だった。

「だから、お前のそういうところがゆうちゃんを困らせているんだって、まだ解らないのかよ!」

「でも……私は……私は四人で一緒にいたいもん!」

 倉本は泣き出し、両手で顔を覆った。

「四人でずっと一緒にいたいんだもん……」

 気まずい沈黙が寒々とした教室の空気を更に低下させた。

 クリスマス会・・・・・のときから、ずっとこの調子だった。

 その事に榎田と楠木はうんざりとしていた。

 しかし……。


「いいわよ。やりましょう」


 榎田と楠木の瞳が大きく見開かれる。

「ゆうちゃん、正気?」

 榎田が苦笑しながら彼女の顔を覗き込む。

「そんな事する必要ないって。ねえ、冗談だよね? ゆうちゃん。倉本さんが諦めればいいだけじゃん、そんなの……」

 楠木は信じられないといった調子で彼女の両肩を掴んで揺さぶる。

 その楠木の手をそっと優しく振り払い、彼女は倉本の正面に立つ。

「ただし、四人目は私よ。それが儀式をやる条件」

 楠木が絶句する。そうなれば、彼女の右眼は……。

「みんなと一緒にいられるのならば、右眼くらいは安いものよ」

 そう言って、彼女は大人びた微笑みを口元にたたえた。




 放課後、桜井と茅野は藤見市郊外にあるショッピングセンターのフードコートにいた。

 学校の体育館ほどはありそうなスペースをドーナツ屋やラーメン屋など、軽食屋の店舗が囲み、中央にはところ狭しと丸テーブルが並んでいる。

 二人は適当なテーブルに陣取る。桜井はカレーイタリアン、茅野はシナモンシュガーのドーナツと珈琲を、それぞれの店で注文する。

 それらを食しながら先日知り得た信じがたい情報をどう扱うか検討を重ねていた。

 あの生徒に蛇蠍だかつの如く忌み嫌われている戸田純平が、既婚者であったという驚愕の事実である。

「……でもさあ、やっぱり結局、幽霊と同じで確固たる証拠がないと信じられないよ」

 と、桜井。

 イタリアンをズビズバとすすってから、ミートソースで口の端を汚す。

「てか、あたし、まだ信じていないし」

 茅野は、たっぷりと甘くした珈琲を啜りながら頷き、紙のカップをそっとテーブルの上に置く。

「市役所にでも行って、先生の戸籍でも持ってこないと誰も信じないでしょうね。ただ、やはり危惧すべきは、もしも先生の奥さんと娘さんが実在した場合よ」

「だね」

 桜井はお冷やをぐいと飲んで、紙ナプキンで口の端をぬぐう。

「静かに暮らしているであろう奥さんと娘さんを好奇の眼に晒す事は忍びないわ」

「じゃあ、この情報は闇へ葬ろう」

「そうね」

 そんな風に話がまとまりかけたところで、茅野のスマホがメッセージの到来を告げた。

 手に取り、画面をなぞり一言。

「きたみたい」

 茅野はフードコートの入り口の方へと視線を向けた。すると二人組の女子高生がキョロキョロと視線をさ迷わせていた。

 制服は同じ藤見市内にある共学の高校の物だった。

 榎田萌恵と楠木圭子である。

「それじゃ、ちょっと迎えにいってくるわ」

「いってらー。あたし、お冷や持ってくるね」

 二人は椅子から腰を浮かせた。




 榎田と楠木が茅野に連れられてテーブルに着いた。

「はい。お冷やをどうぞ」

 桜井が二人分のお冷やをそれぞれに差し出す。

「ありがと」

 榎田は気さくに応じる。

「……あ、ありがとう」

 楠木は一瞬だけ遅れて反応するも、桜井が差し出した紙コップを掴み損ねてしまった。

「あっ」

 紙コップはテーブルの上に落下して中身をぶちまけ、床に転がった。

「ああ、ごめん! 濡れてない?」

 桜井は慌ててテーブルの紙ナプキンを何枚か取り、こぼれた水をふき始める。

「私の方こそごめんなさい」

 楠木も慌てて、同じように溢れた水をふき始めた。

 その様子を眺めながら茅野がポツリと呟く。

「楠木さん……もしかして」

 楠木が手を止めて茅野の方を見た。

 茅野は唇を戦慄わななかせながら言葉を続ける。

「貴女、右眼が……」

 楠木が不気味に微笑む。

「そう。私の右眼は見えていないの」

「え……?」

 桜井も手を止めて楠木の顔をまじまじと見つめた。

「まさか、貴女はゴニンメサマの儀式を……」

 茅野の言葉に楠木は右眼を掌で覆い隠し静かに頷いた。



「ゴニンメサマの儀式をやったのは小学二年の時。私がじゃんけんで負けて四人目をやらされたの」

「面白半分だったんだ。最初はね。どうせみんな信じてなかったし」

 と、榎田が肩をすくめる。因みにメンバーは楠木と榎田、そして当時中学生だった榎田の兄とその友だちの四人なんだとか。

「願い事は何にしたの?」

 桜井の質問に、榎田はどこか物悲しそうな笑顔を浮かべる。

「百万円」

「は!?」

 桜井は茅野と顔を見合わせる。

「子供っぽい願いでしょ? どうせなら、一兆円くらいにしておくんだったわ」

 楠木は冗談めかして言った。

「それで、願いは叶ったのかしら?」

 その茅野の質問に楠木は榎田と顔を見合わせてから答える。

「ええ。その日は何もなかったんだけど後日、コンビニの駐車場で大きな財布を拾って……その中に百万円が」

「結局、警察に届けたけどね」 

 と、榎田。

 因みにその財布を拾った日から楠木の右眼の視力は下がり続け、今はほとんど見えていないらしい。

「マジでか……ゴニンメサマ」

 桜井は驚愕して茅野と顔を見合わせる。

「踏んだり蹴ったりよ。結局」

 などと、当時を思い出して笑う楠木に対して、茅野は喰い気味で問う。

「じゃあ……貴女はゴニンメサマを見たのね? どんな姿をしていたの?」

 楠木は遠い眼差しで、しばらく過去の記憶を反芻はんすうすると口を開いた。

「実はよく覚えていないの」

「覚えていない?」

「……と、言うより、何だかよく解らなかった。認識できなかったというか……年寄りみたいで子供のようだった。女みたいで男みたいだった。着物をまとっているようで裸みたいだった……兎に角、説明できない。とても不思議な感覚よ」

「興味深いわね……できればナマで見てみたいけれど」

 と、思案する茅野に榎田は言う。

「言っておくけど、ゴニンメサマの儀式はもうできないよ」

「え? どうして?」

 桜井が聞き返す。その問いに答えたのは楠木だった。

「私たちが、二階の南西にある姿見を壊したからよ」

 伝説ではゴニンメサマは丑骨小学校の二階南西の角にある姿見の中から現れる。

 その姿見を壊してしまったのだという。

「……もっとも、試した訳じゃないから、まだ儀式はできるのかもしれないけれど」

 楠木はそう言って不敵に笑う。そんな彼女に向かって茅野は胡乱うろんげに問うた。

「では、貴女たちはなぜ、姿見を壊してしまったのかしら?」

 榎田が神妙な顔つきになり口を開く。

「その前にひとつよいかな? こっちからも質問があるんだけど」

「どうぞ」と促す茅野。

「DMでは倉本百子について話があるって事だけど、先にそれを聞かせて欲しいな」

「ええ。今日の本題はそっちですものね」

 と、茅野はこれまでの経緯を語り始めた。

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