【02】尾鰭


 倉本百子が小学四年生まで通っていたのは丑骨小学校だった。

 しかし、少子高齢化による生徒数の減少と施設の老朽化などから廃校となり、当時の在校生は少し遠い黒谷小学校へと移る事となる。これが六年前の事だった。

 多くの者たちはすぐに新しい環境に馴染み適応してゆく。

 しかし、生来からの引っ込み思案で内に隠りやすい性格の倉本は、友だちができずにずっと独りだった。

 休み時間や放課後、他の同級生たちが輪になり笑い声をあげる様子を端から眺める日々を過ごしていた。

 そんなある日の事だった。

 それは一学期の終わり。

 夏休みの直前に林間学校へと行く事になり、クラスのホームルームで班を組む事となった。

 班の組分けは当初、クラスの席順によって定められようとしたが、学級委員長とその取り巻きたちが強弁な主張を行った為に児童たちの自由となった。

 クラス中は大喜びだったが、倉本は内心でほぞを噛んだ。

 友だちのいない彼女には、こうした自由こそが最も辛かったからだ。

 どこの誰を頼ればよいのか解らない。どこのグループに入っても自分は余所者で、迷惑になるような気がした。

 一つの班は四人。

 教室内を満すざわめきと共に、次第に四人の班が完成してゆく。

 ……最後に余るのは自分だ。倉本は吐き気と目眩めまいを覚えた。

 もし、最後まで残った自分をクラスのみんなが見たら馬鹿にして笑うかもしれない。

 しかし、どこかのグループに入れて欲しいなどと、図々しい事も言い出せない。

 自分の席に座り、じっと学習机の木目を眺める倉本。

 その周りをクラスメイトたちが小鳥のようにさえずり、楽しそうに羽ばたき回っている。

 絶望的な時間は刻々と過ぎてゆく……。

 と、そのときだった。


「ねえ。まだ班が決まっていないなら、私たちの班に入らない?」


 それが自分に向けた言葉であると気がつくのに数秒を要した。

 顔をあげると机の前に彼女が立っていた。

 日本人離れした白い肌と綺麗な髪。大人びた笑顔で彼女は一人ぼっちの倉本に救いの手を差し伸べる。

 彼女の隣には榎田萌恵えのきだもえ楠木圭子くすきけいこが気安い微笑みを浮かべていた。

「え……何で?」

 思わず聞き返してから後悔した。

 彼女たちはクラスの女子ではトップカーストに君臨する三人だった。

 自分などとは住む世界が違うのだと倉本は常日頃から感じていた者たちだ。

 そんな者たちが自分たちの仲間に入れてやると言っているのだ。ならば、四の五の言わず頷くべきだった。

 倉本は己の不明さを恥じた。だから自分には友だちができないのだと落ち込んだ。

 しかし、彼女はそんな心に立ち込めた暗雲を一掃するかのような眩しい笑顔を振りかざす。

「だって、私たち三人だから一人足りないし」

 実も蓋もない言葉だったが、はっきりと言われた事で倉本の肩の荷は逆に軽くなった。

「あ、ありがと……嬉しい」

 倉本は照れながら、ようやくそれだけを言った。

 彼女が自然な所作で右手を差し出す。

 それを椅子に座ったまま、ぽかんと見あげる倉本。

「私の事は、ゆうって呼んでいいよ?」

 倉本は言葉を詰まらせてから、その名前を初めて口にする。

「ゆうちゃん……」

 それは、まるで、恋の始まりのようだった――




 夏休みが終わり二学期の初日だった。

 高校二年生の倉本百子は普段は足を運ばないグラウンド脇の部室棟へと向かっていた。

 目的はもちろん、オカルト研究会の部室である。

 グラウンドでは陸上部やソフトボール部などが威勢のいいかけ声と共に練習を始めていた。

 それを横目に部室棟の玄関までの道を急ぐ。

 オカルト研究会――この藤女子では有名な部であった。悪い意味で……。

 顧問はあの戸田純平・・・・・・で、副部長はあの茅野循・・・・・である。

 著名な海洋生物学者の両親の元に生まれ、頭脳明晰にして容姿端麗の才色兼備。

 しかし、悪趣味の塊のような人物で問題行動や奇行も多く見られた。

 例の図書室でよく顔を合わせる後輩によれば、茅野が一年の時、教室に出現したゴキブリを素手で捕まえ『カブト虫のメスと何が違うの?』と真顔でのたまったのだとか。

 どうも、本物のサイコパスらしく、桜井梨沙と同様に危険な人物なのだという。

 浅田柚葉によれば、真摯しんしに自分の相談を聞いてくれたらしいのだが。

 ともあれ、もう部室へと訪れる約束を、浅田の仲介で取りつけていたので逃げ帰る訳にもいかない。

 倉本は胃袋をきしませながら、どうにか部室棟二階の奥にある目的地へと辿り着いたのだった。




「それは清掃の時に生物室で飼育されていたゲンゴロウが脱走していたから捕まえただけよ。流石の私もゴキブリは少しだけ・・・・躊躇ちゅうちょするわね」

 倉本は恐る恐る噂話に関しての真偽を確かめてみると、こんな答えが返ってきた。

「あたしの家も対魔師なんかやってないよー。流石にそれは盛りすぎ。霊能力はあるけど」

 桜井が笑う。その様子は屈託くったくがなく、とても噂のような粗暴な人物には思えない。

 かぁっ、と倉本の頬が赤らむ。

「何か私たちに関しての話の尾ひれがとんでもなくエグい事になっているけれど……それはさておき」

 そこで茅野は入れたての珈琲を倉本の前に置いた。

 そして、桜井のところにもカップを置くと自分の席へと戻った。

「……それで、相談は何かしら? 梨沙さんの力が必要という事は心霊がらみね?」

 倉本はゆっくりと頷き、芳ばしい香りを立ちのぼらせる黒い水面みなもに視線を落とした。

 思っていたよりもずっと気さくな茅野の態度に緊張がほぐれた倉本は語り始める。

 ゆうちゃんの事。

 彼女がフランスに引っ越す予定だった事。

 ゴニンメサマの儀式。

 ゆうちゃんがこの世から消え失せてしまった事。

 そして、自分も大切なゆうちゃんの事をずっと忘れていた事。

 余す事なく全てを語り終える。

 話しているうちに消えてしまった彼女への想いが高まり、感情が溢れそうになる。

「……お願い。ゆうちゃんを取り戻したいの」

 倉本は浅田柚葉から聞いていた通り、報酬の一万円を財布から取り出す。

 その紙面の福沢諭吉の顔に水滴がぽたりと落ちた時、倉本は自分が泣いている事に気がついたのだった。

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