【01】ゆうちゃんの消失


 倉本百子がゆうちゃんの事を思い出したのは三年後の夏休みの最終日だった。

 その日の朝、部屋を掃除していると本棚に差してあったジャン・コクトーの詩集の裏側に、小さなビニール袋の中に入ったSDカードを見つけた。 

 そんなところにSDカードを置いた記憶はなかったのだが、取り合えずスマホに挿して中身を見てみた。

 中身は画像データで、全て三人の人物を映した物だった。

 その三人は、榎田萌恵えのきだもえ楠木圭子くすのきけいこ、二人とも中学校の同級生である。最後の一人は見た事のない顔だった。

 写真をしばらく見つめて考えるうちに自然とその名前が口から溢れた。

「ゆうちゃん……」

 彼女も倉本の中学生の頃の同級生で、憧れの人だった。

 父親がフランス人だったので、日本人にはない肌や髪の色は幼い倉本にはとても美しく感じられた。

 性格も明るくて大人びており、クラスの人気者だった。

 そんな彼女に倉本は強く憧れていた。少なくとも倉本は彼女の事を親友だと思っていた。記憶が次々と溢れてゆく。

「何で忘れていたんだろう……」

 榎田萌恵、楠木桂子、そして、ゆうちゃん。

 このメンバーは仲良しで、いつも一緒だった。

 しかし、中学二年生の時だった。

 ゆうちゃんが父親の仕事の都合でフランスへ引っ越す事になった。

 クラスの誰もが人気者だった彼女との別れを惜しんだ。

 特に仲のよかった榎田と楠木は勿論、彼女を慕っていた倉本は大いに悲しんだ。

 そこで四人は、廃校となっていた丑骨小学校の校舎でゴニンメサマの儀式を行う事にした。

 願い事は『ずっと、四人一緒にいられますように』だ。

 そして儀式は滞りなく成功したかに見えた。

 しかし、ゆうちゃんは消え失せてしまった。

 まるで最初から存在していなかったかのように……。

 恐らく彼女が何らかの禁を破ってしまったのだろう。その為にゴニンメサマによって異次元へ連れ去られてしまったのだ。倉本はそう推測した。

「大変……ゆうちゃんを助けてあげなければ……」

 彼女は今もこの世ではないどこかで苦しんでいるに違いない。

 そう考えた倉本はある事に気がつく。

「……彼女の名前、何だっけ?」

 大好きだったはずの彼女の本名がまったく思い出せない。

 



 倉本はベッドから起きあがり、部屋着に着替えて左手首にバンダナを巻いた。

 それから自室のクローゼットなどをあさって、中学時代の物を探し出そうとした。

 文集だとか連絡網が見つかれば、彼女の名前くらいは解ると思ったからだ。

 しかし、どこにも見当たらない。

 教科書もノートも卒業アルバムすらも見つからない。

 倉本はまるで狐に摘ままれたような心持ちで自室を後にする。

 それからキッチンで家事に勤しむ母親の元へと向かった。

 流し台に向かう母の背中に倉本は質問を投げかける。

「お母さん」

「なあに?」

「私の中学時代の物って、どこに片付けたか知ってる?」

 しばらく間があった。汚れた皿を洗う音が響く。

 聞こえなかったのだろうか。倉本がそう思い、もう一度、同じ質問をしようとした瞬間だった。

 先に口を開いたのは母の方だった。

「……捨てたわよ。全部」

「へ……?」

 呆気に取られる倉本。卒業アルバムすら捨ててしまったというのか。

 何というべきか迷っていると母の方から質問が返ってきた。

「ねえ、モモちゃん」

「何? お母さん」

「どうして、あなたはそんな事を聞くの?」

「え……?」

 きゅっ、と水道の蛇口を閉じる音。

 母は倉本に背を向けたまま布巾で濡れた手をふく。

「その……昔の友だちと連絡が取りたくて」

「そう」

 感情の籠っていない返事。倉本は母にゆうちゃんの事を尋ねてみようと考えた。

「あ、そういえば、お母さん。あの……ゆうちゃんって子、覚えてる?」

「ゆうちゃん……」

「私と中学の時に仲がよかった……」

「知らないわ。そんな子」

 母はそう答えて長い溜め息を吐いた。




 次に倉本はネットで三年前の事件記事を調べた。

 中学二年生の女の子が行方不明になったのだから、必ず騒ぎになっているはずだ……そう考えたのだ。

 倉本が暮らす丑骨町は、山間の黒谷地区と隣接する何もない場所だ。

 そんな土地で中二の女子が失踪したなどといったら、メディアで報道されない訳がない。

 しかし、倉本は自室のベッドの上でスマホを指でなぞりながら、その表情を歪めた。

「何で……」

 ゆうちゃんらしき女の子が行方不明になったというニュースはどこにも報じられていない。

 また急いで母の元へ向かう。

 母は今度は庭先で洗濯物を干していた。

 お盆を過ぎてから、めっきり夏の晴れ空はなりを潜め、その日も曖昧な天気だった。

 家族の召し物が、温い湿った風になびいている。

 倉本が開け放たれた縁側に立つと、母は振り向かずに言った。

「今度はなあに? モモちゃん」

「ねえ。三年前なんだけど……」

 と、言葉を発した瞬間、父の寝間着のしわを伸ばしていた母の手がぴたりと止まった。

 倉本は構わず質問を続ける。

「この辺りで、女の子が失踪したの覚えてない? 私と同い年の女の子で、フランス人のハーフで……」

「また、お薬もらってこないと駄目なのかしら……」

「え、お母さん、何か言った?」

「ううん。何でも。それより、心当たりはないわ。ここ数年この辺りは平和なものよ」

 母は振り向いてそう言った。張りついたような笑顔を浮かべて。

 倉本は確信する。

 ゆうちゃんの存在自体が消失している。

 ゴニンメサマがゆうちゃんを消してしまったのだ……と。




 自室の天井には、庭にはえた柿の木の陰が映り込んでいた。

 風にさざめき、揺れ動いている。まるで大きな人喰いの怪物が手招きでもしているかのようだった。

 倉本はベッドに寝転びながら考える。どうやったら、ゆうちゃんを助ける事ができるのだろうか……と。

 結論は出なかった。当たり前である。彼女は物語の主人公などではないごくごく平凡な少女なのだ。

 不特定多数の持つ記憶や情報を操作して、一人の人間をこの世から消してしまえるような存在に勝てる訳がない。


 ……漫画やライトノベルだったら、格好いい主人公が助けにきてくれるのに。


 そこで彼女は思い出す。

 同じ図書委員の浅田柚葉から聞いた話。

 オカルト研究会の部長の桜井梨沙には対魔の力があるらしいと。

 何でも彼女は、小学生の時にこっくりさんを素手で殴り殺したのだという。

 しかし、図書室でよく顔を合わせる後輩から聞いた話では、桜井は非常に粗暴な性格で気にくわない者には容赦なく手をあげるらしい。

 かつては柔道での未来のメダル候補などともてはやされていたが、喧嘩の際に負った右膝の怪我が原因で引退を余儀なくされたのだとか。

 他校の不良とも親交があり近づくのはとても危険らしい。

 倉本は散々迷った挙げ句に、桜井にこの件を相談する事に決めた。他に頼れる人も思いつかなかったからだ。

 桜井との伝がない倉本は、さっそく浅田柚葉にメッセージを送った。

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