【02】依頼


 梅雨が明け、だるような暑さと共に夏休みが始まる。

 藤見高校オカルト研究会部長桜井梨沙は、見事に補習を受ける事となった。

 ずっと柔道に打ち込み続け、ろくに勉強などした事がなかった彼女は座学全教科において、他の追随ついずいを許さぬ驚異のポンコツさを見せつけた。

 高校入学からこれまでは茅野によるテスト前の指導により、どうにか急場を凌いできた桜井だったが、今回ばかりはどうにもならなかった。

 そのため、夏休みに入っても毎朝学校に通わなければならなくなった訳だが、これについては彼女自身、そこまで苦痛に感じてはいなかった。

 補習は昼前に終わり、それからオカルト研究会の部室へ足を運ぶと茅野が待っていてくれるからだった。どうやら彼女も夏休みはひまをもて余しているらしい。

 温くエアコンの効いた部室で昼食を食べて、とりとめもない雑談に興じる。ゲームや動画鑑賞などをする事もあった。

 桜井にとって茅野の話す言葉は難しく、半分も理解できない事が多かった。

 しかし、それでも茅野が、自分にはない知識や価値観を持った人間である事はよく理解していた。

 だから桜井は、彼女と過ごす時間を退屈だと感じた事は一度もなかった。

 おまけに茅野は、その清楚せいそで大人びた外見に似合わず、常識の斜め上を行く事を平気でやってのける。それが昔から、いちいち面白くてたまらなかった。

 怪我で目標を失った桜井にとって、茅野循という存在は、とても大切な人生のうるおいであった。

 ……そんな訳で、その日も昼頃に補習を終えて、弾む足取りで部室棟へと向かう桜井。

 部室の扉を開けると、室内中央にあるテーブルの上座に何時も通り茅野の姿があった。

「あら、梨沙さん。きたのね」

 しかし、この日はテーブルに向かって左手側にセミロングの女子が座っている。

 同学年で見覚えのある顔だった。

「えっと……浅田さん?」

 浅田柚葉あさだゆずは

 桜井と茅野とは同じ中学校で、現在彼女とは同じクラスであった。そして桜井とは小学校も同じである。

「お疲れ様、桜井さん」

 少し緊張気味の笑みを浮かべる浅田。

 桜井は平然と「うん。ありがとう」と返して、彼女の向かいに座る。スクールバッグから眼鏡ケースを取りだし、普段はあまりかけないリムレスタイプの眼鏡のレンズを眼鏡拭きでぬぐった。

 桜井が眼鏡を掛け直したところで茅野が切り出す。

「じゃあ、梨沙さんもきたし、話を聞かせて……浅田さん」

「何の話?」

 その桜井の疑問に茅野が答えた。

「浅田さんは、梨沙さん……貴女に相談したい事があるそうよ。生徒玄関でばったり会ったので、貴女の補習が終わるまで、ここで待っててもらったという訳なの」

「相談?」

「そう。ちょっと困った事があって」

「ふうん」

 桜井はきょとんとした顔で首を傾げる。その相談の内容がまったく想像できなかったからだ。

 物をまったく知らない自分が、他人からの相談に上手く応えられるとは到底思えない。そして、それは周知の事であるはずだと桜井は自覚していた。

「その、迷惑だったら、ごめんなさい。だけど、桜井さんしか頼れる人が思いつかなくて……」

 しかし浅田の表情は真剣で、とてもふざけているようには見えない。

「まあ、役に立てるかどうかはわからないけど、別にいいよ。でもさ、ひとつだけいい?」

「何?」

 桜井がスクールバッグの中に手を突っ込む。

「お弁当、食べながらでいい? お腹、減っちゃってさ……」

 そう言って取り出したのは、有名テーマパークの猫のキャラクターがプリントされた黄色い弁当箱だった。

「そうね。お昼にしましょうか」

 茅野もコンビニのサンドウィッチと缶珈琲をスクールバッグから取り出した。




 弁当の中身は、きんぴらにミートボール、唐揚げ、タコさんウィンナー、ポテトサラダと、かなりオーソドックスなラインナップだった。

 それらの品々に、桜井は空腹の猫のようにがっつく。

「んで、あたしに相談って、何なの?」

「……実は、その……どこから、話せばいいのか」

 浅田も学校前のコンビニで買ってきたおにぎりの包装を剥いて、ひと口かじる。昼食はあとにするつもりだったらしいが、結局は桜井たちと共に食べる事にしたようだ。

「どこからというなら、最初の最初から、全部、話して頂戴ちょうだい

 その茅野の言葉に決心を固めた様子で頷き、浅田は語り始める。

「実は私の大伯父さんの話なんだけど」

「おおおおじさん……?」

「浅井さんの祖父母のお兄さんって事よ。梨沙さん。あと“お”が一個多いわ」

「なるほどー。で?」

 桜井が頷き浅田は話を再開する。

「その大伯父さんが、ちょうど去年の今頃に死んだの」

 村瀬源時朗むらせげんじろうという人物で若い頃は教師をやっていたらしい。穏やかな性格で人望のある好々爺こうこうやであったのだとか。

 浅田一家とも懇意こんいにしており、小さい頃は何度か夏休みに彼の家へ遊びにいったりしていたそうだ。

「それは……お気の毒だね」

 頬をモグモグと動かしながらお悔やみする桜井。

 茅野が缶珈琲のリングプルに指をかけながら問うた。

「……死因は? 差し支えなければ教えてくれないかしら」

「死因は熱中症。脱水症状が原因の臓器不全らしいんだけど……」

「ああ。今の季節、よく聞くわね」

 茅野は甘ったるい缶珈琲をぐいと飲んだ。

「実は、うちのおばあちゃんが、その大伯父さんの死は祟りが原因だっていうの」

「祟り……?」

 桜井は箸を止め、茅野と顔を見合わせる。

 一瞬だけ言葉を詰まらせて、浅田は言う。

「……弁天沼の祟り」

「弁天沼……?」

「弁天沼は、黒谷くろたにの山の中にある沼地なんだけど。私の家族は元々、その辺りに住んでたらしいの」

 黒谷は五十嵐脳病院のあった一帯の地域だ。

 源時郎は死の直前まで黒谷にある霧生きりうという集落で、独りで暮らしていたらしい。

 弁天沼は霧生から程近い場所にある森の中にあった。

「で、その沼には何があるの? 何かヤバいやつが棲んでるの? モケーレムベンベ的な……」

 桜井の何気ない調子の問いに、浅田は重々しく頷く。

「ええ。笑わないで聞いて欲しいんだけど、その弁天沼には河童の怨霊が封じ込められているらしいの」

「河童って、あれでしょ? 尻に皿があるやつ」

「梨沙さん、色々と混ざってるわ。頭に皿があって、尻子玉を抜く妖怪よ。……あ、尻子玉についての説明は面倒だからあとにして」

 と、茅野は桜井の方へ右手をかざす。

「それで、浅田さんの祖母は、なぜ大伯父さんの死が、その河童の仕業だと考えたのかしら?」

「その弁天沼には、言い伝えがあって……」




 浅田は黒谷一帯に伝わる弁天沼の伝説を語り終える。

「なるほど……干からびて死んだ村人と脱水症状で死んだ大伯父さん……確かにかぶってるね」

 桜井は納得した様子で保冷カバーに包まれた水筒をぐいとラッパ飲みした。

 しかし、茅野は細いあごに右手の指を当てて、思案顔をする。

「でも、それだけで、河童の祟りに結びつけるものなのかしら」

「それが……私のおばあちゃんなんだけど、小さい頃に弁天沼で河童を見た事があるらしくて……」

「そのときの体験談があるから、大伯父さんの死と弁天沼の伝説を結びつけてしまったのね?」

「それだけじゃないの。その大伯父さんの亡くなったときの状況がちょっと不自然で……」

「不自然?」

 茅野が眉をひそめる。

 すると浅田は、大伯父が亡くなったときの状況について語り始めた。

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