第3話

「あなたは立派なことをしたわ。なかなかできないことよ。とても、とっても尊敬するわ。だけど、私に何か言うことがあるんじゃないかしら」


 無表情が逆に怖いですよ、前橋さん。

 商店街を後にした俺たちは、自宅へと向かっている。

 先ほどのママチャリ事件を解決した余韻に浸ることもできず、前橋さんはご立腹のようだ。


「しかたないだろ。身体が自然と動いちゃったんだから。今からママチャリを追いかけます、なんて言う暇なかったんだよ」

「えー、理解していますとも。でも、あなたと私はそこまで遠くに離れられないの。急に走られたらどうなるか、お分かり?」

「えーと、引っ張られる……?」

「分かってるじゃない。急に引っ張られたおかげで、腰がへし折れるかと思ったわ。おまけにあんなスピードで走られたりしたら……。はぁ、凧あげの凧の気持ちがよく分かったわ。とても勉強になった」

「新たな発見だな!」

「皮肉で言ってるのだけど、頭のいいあなたには理解できますよね?」

「うっ……はい……ごめんなさい」

「最初からそうやって素直に謝ればいいのよ」


 確かに走り出したとき、前橋さんがどうなるのかも考えずに走ってしまった。

 でも、これ、俺が悪いのか?

 圧に押されて、つい謝ってしまったけど「女の子は素直に謝ってくれる男の子が好きなのよ、覚えておきなさい」という前橋さんの言葉を不服ながら信じることにした。

 女の子と付き合うのって、思ったより大変なのかもしれないな。


 前橋さんは恋を応援してくれると言ってくれたものの、前途多難そうだ。

 そう思ったとき、前橋さんから思いもしない言葉が飛び出した。


「なんであのとき、女の子に名前を名乗らなかったの? もしかしたらあれこそが恋につながる重要なきっかけだったかもしれないじゃない」

「えっ、だって、別にあの女の子だから助けたわけじゃないし、見返りとかも別に……」


 分かりやすく前橋さんが溜息をする。


「はぁ、そんなだからいつまでたっても女の子と話せないのよ。きっかけもなく女の子に話しかけるのは、相手からしたら不快に思うこともあるかもしれない。だけど、きっかけさえあれば、女の子に限らず誰だって相手にしてくれるものよ。私はあえてきっかけを作らないようにしていたけど」

「きっかけができたとしても、相手が会話を望まなかったら?」

「あの子は望んでいなかったの? むしろ、お礼をしたいというくらいなのだから関わる気があったと思うのだけど。それに名前だって聞いてきたのに。それをあなたは拒んで逃げ出した。違う?」

「……違わないです」


 情けない声が出てしまった。

 声だけじゃない、本当に情けない。

 家族や前橋さん以外の女の子と話すきっかけができたにも関わらず、いつもの悪い癖で逃げ出してしまったんだ。


「チャンスはいつ転がってくるか分からないわ。そのチャンスを掴むタイムミングさえ逃さなければ、あとはうまくいくと思うの。今日の大活躍みたいに」


 確かにそうかもしれない。あのときは無意識に身体が動き、最終的に女の子を助けることができた。

 それは他ならぬタイミングを逃さなったからだ。

 あと少しでも躊躇してママチャリに前に進まれていたら、追いつけたかどうか分からない。


 チャンスを逃さない……か。


「でも、俺にできるか分からないよ。走るのと女の子に話しかけるのとじゃ、レベルが違い過ぎる」

「私からしたら走る方が大変だと思うのだけど」

「あれ、前橋さんって走るの苦手?」

「走るどころか運動全般が嫌いよ。憎らしいくらいにね」

「そ、そうなんだ……」

 昔、運動が苦手なことで笑われたりしたのかな。相当憎んでいそうな雰囲気が漂っている。

「そんなことはどうでもいいの。でも、そうね、話すのが苦手なのを克服しないことには恋なんて一生無理なことは確かね」

「一生!? そんなぁ」

「当たり前でしょ。太田君は無言で恋愛ができると思っているの? 未来では心だけで会話できる技術が発達するかもしれないけど、そんなこと夢のまた夢よ」

「ですよねぇ」

「そこで私の出番よ」

「おっ! 何か名案でも?」


 何やら自信がありそうな雰囲気を出す前橋さん。だけど顔は無のままだ。


「私がみんなから認識されないことを利用するの。私が認識されないということは、女の子と向き合っているときでも、私がそばにいて、その都度アドバイスができる」

「アドバイスって言ってもなぁ。たとえばどんな風に?」

「あなたは女の子の前に立つと緊張して、頭が空回りして何を言ったらいいのか分からなくなる。違う?」

「そ、その通りです……」


 情けないことだが、前橋さんの言う通りだ。

 なぜか女の子と意識しちゃうと、何か気の利いたこと言った方がいいのかなとか、今の俺、なんか気持ち悪い顔しているんじゃないかなとか、変なことばかり考えてしまう。

 そして最終的に口から出る言葉といえば「あ……」とか「う……」しか出てこない。


「だからこそ、あなたが何を言えばいいのか躊躇わないように、私が教えてあげるの」

「でも、前橋さんは人と話すのが得意じゃないじゃん」


 すると、前橋さんが一瞬、時を止めた。

 しかし、それは次の言葉を矢継ぎ早に続けるための、ただの助走だったようだ。


「私はいつどこで話すのが得意じゃないと言ったのかしら? 確かに人と関わらうのは嫌いかもしれないけれど、話すのが苦手と言った覚えはないわ。それに、コミュ障のあなたとだってこうやって普通に話せているのだから、なんら支障はない。むしろ得意なジャンルと言っても過言ではないと思うの」


 腕をものすごい勢いでパタパタさせている。

 疲れてストレスがたまり、その上さらに怒らせるわけにはいかない。


「……分かりました。じゃあお願いするよ」

「気に入らないわね、その言い方」

「お願いします、前橋様!」

「『様』を付けられると逆にバカにされているみたいで不快よ」

「あー、もう! こんなコミュ障で情けない僕はどうか助けてください、前橋さん!」


 腰の角度を90度にして、渾身のお願いポーズをとる。


「太田君、周りを見てみなさい」

「えっ」


 いつのまにか駅に近づき、人通りも多くなっていた。

 はたから見れば、誰もいない相手に向かって、お辞儀をする変な奴に見えることだろう。

 その恥ずかしさに耐えかねて、急いで改札に向かう。


「あれっ」

 ポケットから定期入れを取り出そうとしたが、いくらまさぐっても見つからない。

 ここから自宅の最寄り駅までは定期区間のため、本来ならお金がかからずにすむ。


「どうかしたの?」

「定期入れをどこかに落としたみたいだ。あの中に学生証も入っていたのに」

「さっき走ったときとかに落としたんじゃないの?」

「そうかもしれない。週明け学校帰りに交番に届いてないか確認するしかないか」


 今から交番に行くのは疲れているし面倒だ。

 数百円とはいえ、交通費を自腹で払わないといけないが、早く帰って休みたいのが本音。

 しかたなく、券売機で切符を買い、そのまま自宅へ帰ることにした。

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