【第3章】恋愛フラグ、そして身悶える

第1話

 目の前を猛スピード走り抜けるママチャリ。


「うおっ!」


 危なっ!

 もう少しでぶつかるところだった。


 あんなスピードで走っていたら、人とぶつかったとき、骨折とか最悪死ぬことだってあるんだぞ。

 もう少し安全運転を心掛けてほしいものだ。

 

 すると、ママチャリが中学生くらいの女の子に猛接近。

 これから買い物に向かうのか、大きめの買い物バッグを手にぶら下げている。

 ママチャリと同じ方向を向いているため、後ろから近付いていることに気付いていないようだ。

 さすがに、ママチャリも避けるだろう。

 そう高を括っていると、


「きゃっ!」


 ママチャリは女の子から買い物バッグを奪い、そのままの勢いで逃げ去っていった。


「待って! ……痛っ!」


 女の子の叫びはむなしく虚空に響き、そのまま地面に膝をつく形で倒れてしまった。

 その光景を露ほども気にせず、ママチャリはどんどん遠ざかっていく。


「ひったくりね。かわいそうだけど、今からじゃ追い付けないわ。すぐに警察に—————」


 前橋さんが何かを言いかけていたが、その言葉聞く前に、俺の足は勝手に動きだしていた。


 だいだい距離は20mくらいだろうか。

 

 うん。間に合いそうだ。

 

 右、左、右、左。

 交互に地面を蹴って前に進んでいく。

 今日はもともと前橋さんの心残り探検ツアーでたくさん歩くと思っていたから、動きやすいいお気に入りのスニーカーを履いてきていた。

 図らずもラッキーだ。


 前に進むのと同時に、風の障壁が次から次へと自分にぶつかってくる。

 やや向かい風。

 普通に歩く分には全く気にならない風。


 しかし、短距離走において、風は重要だ。

 追い風ならば、まるで自分を応援してくれているかのように、自分の背中を前へ前へと押し出してくれる。

 しかし、追い風を苦手に感じる選手もいる。

 本来の自分のスピードとリズムを狂わせてしまうからだ。


 だから俺は、向かい風の方が好きだ。

 走っている間、ずっと風と対峙することになる。

 その影響で自然と上半身が起き上がる。

 だが、それくらいがちょうどいい。

 いつも他人の目線を気にして猫背気味になってしまうが、向かい風の場合は、逆に身体を起き上がらせ、もっと踏ん張れと応援してくれている気になる。


 そう考えると、前橋さんも向かい風みたいだ。


 そんなことを考えているうちに、どんどんママチャリの背中が大きくなる。

 地面からの刺激が心地良い。

 足が地面に着くたびに、足首、ふくらはぎ、太もも、へそ、背中、胸、すべてにその振動が伝わってくる。


 この感覚がたまらなく好きだった。

 自分の力でしっかりと前へ進んでいる気がするから。

 前へ進む度に、ライバルの姿が視界から消えて、自由になった気がするから。


 でも、今視界にあるのは、汗のシミが背中全体に広がり、必死にママチャリを走らせるおじさん。

 さすがにそんなに長くは走り続けられない。

 すぐにケリをつけよう。

 荷台部分を手で掴む。

 そして、力の限りを尽くして後ろ方向に引っ張り、強制的にママチャリを止めた。


「な、なんだ!?」


 急にママチャリを止められ、驚きと焦りの顔がこちらに向けられる。

 普段運動をしてないのだろう。どろどろで汚らしい汗が全身からあふれている。

 おまけにめちゃくちゃ幸の薄そうな顔。

 こんなみっともない大人にはなりたくないな。


「逃げるんだったら、掴まる場所がなくて、ママチャリよりもスピードの出るロードバイクにするんだな!!!」


 荷台を掴んだ手に、今度は思いっきり右側に力を入れ、おじさんごとママチャリを倒す。

さながら柔道の背負い投げのような形になった。

「ゔぉっ……ぐっ」

「人から、しかも幼気な女の子から、ものを奪うとか何を考えてんだっ! 大人にもなって! 恥を知れ!」

「ひぃー!」


 堪忍したママチャリおじさんは、そのままうめき続けるだけで、抵抗はしてこなかった。

 すると、誰かが近くの交番から呼んでくれたのか、すぐに警官が来てお縄頂戴となった。


 その横でぐったりと倒れている前橋さん。

 うん。軽くスルーしておくことにしよう。

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